大竹しのぶさんの朝日新聞の連載エッセイ「まあいいか」を1冊にまとめた『ヒビノカテ まあいいか4』より、大竹さんの日常が覗けるエピソードを少しずつお届けします。
今回は、ライブに込めた思いと、父からもらった言葉のこと。
ケサラケサラ、歌は祈り
終わった。終わってしまった。先週も書いた、自分がやりたくて開いたライブ。とうとう終わってしまいました。制作の方に「この短い準備期間でやるのは、かなり稀なことです」と言われたほど、急に決めたライブだった。でも、今この時を逃したら、少なくとも1年先までは絶対にできない。やろう! 今できることを、今やる! のだ。
これは、毎晩のように父がよく言っていた言葉。押し入れから父が布団を出し、私と妹はその周りをキャッキャッ言いながら枕カバーを替えたり、シーツを敷いたりしてお手伝いした。家族七人の布団を敷きながら、幼い私たちに、父はよくいろいろな言葉を投げかけた。「嫌なことは嫌と言える人間になりなさい」「魂に皺の寄らない若さをもつこと」「女の子は年を取っても、いつまでも可愛くなくてはね」。言い出したらキリがない。そして、その一つが「今できることはできるだけ、今やることだよ」だった。
そう、私は歌いたかったんだ。私は叫びたかったんだ。誰かに、私の思いを音楽を通して知って欲しかったのかもしれない。別にヒット曲があるわけでもない私だが、まあ逆を言えば、歌いたい歌を歌えるわけだ。たとえば「このまま人を愛することがなく人生が終わってしまうのだろうか」と悩みを打ち明けてきた友人のために歌った、恋愛メドレー。芝居仕立ての歌にして、トークの部分では大いに笑ってもらって、歌に入るとまた芝居の中へ。
そして2月24日にロシア軍の侵攻が行われた今年、叫びたかった戦争に対する思い。「脱走兵」「朝日のあたる家」……、そして「一本の鉛筆」を歌った。“あなたに聞いてもらいたい”“あなたに愛をおくりたい”と歌いながら、私はのどのケアのために訪れた耳鼻咽喉科の先生の言葉を思い出した。「しのぶさん、歌は祈りですからね」。そう私は祈りたかったのだ。みんなと思いを共有し、音楽と共に祈りを捧げたかったのだ。だから私はこれからも、歌いたい歌を、歌い続けるだろう。皆と共に祈りを捧げるために、歌っていくだろう。またこの年になったからこそわかってきた人生についても。アンコールで歌ったのは「ケ・サラ」。“ケサラケサ ラわたし達の人生は涙とギター道連れにして夢みていればいいのさ”(訳詞=岩谷時子)。なんて素敵な歌詞なんだろう。苦しいことや悲しいことはあるけれど夢を見ながら歩いてゆこう。
そんなことがわかる年になった。
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ヒビノカテ まあいいか4
「一日一日、一瞬一瞬の中にささやかな喜びを見つけられる人間でありたい」。
女優・大竹しのぶの過激で、微笑ましく、豊かな日常。
朝日新聞人気コラム書籍化! 第4弾。