1年あまりの闘病生活で伴侶を亡くした樋口裕一さん。家族が悲しみ、うろたえるなかで、妻ご本人はただ一人泰然とし、「あっぱれな最期」だったといいます。なぜ妻のような「凡人」が、そんな最期を迎えることができたのか? その答えを探す思索の旅を綴った新刊『凡人のためのあっぱれな最期 古今東西に学ぶ死の教養』より、その一部を紹介します。また3月16日には「凡人のためのあっぱれな生き方・
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ただ一人、泰然と逝く
2022年8月、妻・紀子が亡くなった。61歳だった。現在では若すぎる死と言って間違いないだろう。妻は私より10歳年下で、しかもほぼ専業主婦。女性でもあり、ストレスなく生きていることから、私の死後30年か、ことによったら40年も生きていくものと思い込んでいたのだったが、私よりも先に逝ってしまった。
2021年の4月に異常出血があり、近くの医院で診てもらったところ、癌(がん)の疑いがあるとのことで大きな病院での検査を勧められ、結果として、子宮体癌が見つかった。
病院で6月に手術。ともあれ手術は成功した。その後、標準治療を進め、8月から抗癌剤治療も行った。少しやせ、髪は抜けたが、その時点では、抗癌剤の副作用も覚悟していたほどひどいものではなく、このまま治療を続ければ、あと数年は少なくとも生きていけるに違いない、うまくすると、癌と付き合いながら天寿を全うできるかもしれないという期待を抱いていた。
ところが、2022年に入ったばかりの1月にMRI検査を受けて再発が判明した。病院での治療は妻に合わず、少しも効果を示さないばかりか、むしろ妻の身体は弱るばかりだった。標準治療だけでなく、怪しげな「先端医療」も試みた。
治療がむしろ体力をなくしてしまうということで、毛髪も再び生えてきたこともあり、しばらく抗癌剤治療を中止して、温泉に行くなどして過ごしていたが、8月に病状が急変して、そのまま入院、すぐにホスピスに入って帰らぬ人になったのだった。
その間、家族はあたふたとし、時に絶望し、検査結果に一喜一憂したのだったが、ただ一人、泰然(たいぜん)としていたのが妻本人だった。
ステージ3――抗癌剤治療始まる
妻が癌を発症したのは、私が大学教授の職を定年でやめ、時間を決められて外出するのは週に3日間ほどだけで、あとは自宅で物書きをしたり、かかわっている機関の仕事をするようになっていた時期だった。
妻は私が印税や教育関係の仕事のために経営している従業員のいない零細企業の経理を担当していたが、たいして収入のない会社なので、それほどの仕事もなく、ほぼ専業主婦として生活していた。経済的に困っているわけではなかったが、もちろんたっぷりの余裕があるわけでもなく、東京多摩地区の駅から徒歩20分ほどかかる郊外に居を構えて暮らしていた。
妻は自覚症状があって産婦人科医院に出かけ、癌の疑いがあると知って、近くの大病院で検査を受けたのだったが、検査の直前まで、夫である私にもそのことは伝えず、何事もなかったかのように日常生活を送っていた。検査の前日に初めて私に打ち明け、驚く私を尻目に一人で検査を受け、一人で結果を聞きに行った。私が同行することを申し出たが、一人で大丈夫だといって聞かなかった。
癌とわかってからも、特に態度に変化はなかった。私に癌を伝える時も、うろたえる私を前にして、きわめて平静だった。確かに、最初は「ステージ1であると考えられる」と聞いていたので、それほど命にかかわる事態とはとらえていなかったのかもしれないが、それにしても冷静そのものだった。
その後、手術を受けると、ステージ3であるらしいことが判明した。抗癌剤治療を始めた。状況によっては数時間、時には一日入院して、治療を受けた。
そのころから病院にはなるべく私が同行するようにしたが、それは妻一人では医師の話を聞き漏らしたり、検査の後の車の運転が危険なのではないかと考えたからだった。診察がなく、危険性のない検査だけの時には、妻は車を使って一人で出かけようとするのが常だった。
その時点では、危惧していたよりは抗癌剤の副作用は大きくなく、自宅にいても、妻はときどき、横になることが増えた以外は、大きく病状が悪化することはなかった。
ただ、副作用によって髪の毛が抜け始めた。妻は元から帽子を愛用していたが、様々なタイプの帽子を購入、またウィッグも注文して、専門店にまで出かけていた。
髪の抜けた頭部を私にも見せることはなかったが、それについても特に気に病んでいる様子はなく、「こちらの方が似合うかなあ」などと言いながら、通信販売で帽子を選んでいた。そして帽子をかぶってあちこちに出かけていた。
市民講座にも参加し、以前と同じような生活を続けていた。妻は服装にはあまり気を遣わず、質素な服装で通し、ほとんどの衣料を通信販売やスーパーで購入していたので、それに安物の帽子のコレクションが増えた形だった。
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3月16日14時~会場&オンライン開催
樋口裕一「凡人のためのあっぱれな生き方・死に方講座」
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凡人のためのあっぱれな最期
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