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時をかける老女

2024.03.13 公開 ポスト

ついに恐れていた日が来た。私のことを忘れてしまった。中川右介

2023年11月1日 水曜日

<介護1098日>

午前中は試写会。

夕方、母の病院へ行き面会。元気。「久しぶりね」塗り絵と色鉛筆を渡す。

看護師さんから、「とても元気で、もう歩いている」と。それも、勝手に歩き回るので、転んでしまわないか心配。というわけで最長60日のはずが、早く退院しそう。

めでたいのだが、介護休暇が終わりそう。

11月2日 木曜日

<介護1099日>

母は入院中。何も連絡もなし。

歌舞伎座へ。終演後、朝日新聞出版の担当者から、『沢田研二』のゲラをもらう。

阪神勝つ。

11月3日 金曜日

<介護1100日>

母は入院中。何も動きなし。

執筆。

11月4日 土曜日

<介護1101日>

母は入院中。

ケアマネさんから、「その後どうですか」とメール。「退院は早いかも」と伝える。

そう言えば、病院関係者は電話でしか連絡してこない。メールのアドレス教えろとも言わない。

月曜日の講座の準備。音楽家伝記映画について。

11月5日 日曜日

<介護1102日>

午前中、執筆。

午後は、武蔵野市の松下玲子市長の集会へ。

阪神タイガース、日本シリーズ優勝。

もうひとつのタイガースの本は来週で、校了予定。

11月6日 月曜日

<介護1103日>

日本一から一夜明ける。

母は入院中。面会の予約を入れる。

午前中は講座の準備。午後は講座。

夜は編集者と会食。以前から今日と決まっていたが、阪神日本一の祝杯に。

野球がなくなり、夜は読書、映画鑑賞に。

11月7日 火曜日

<介護1104日>

母は入院中。病院の相談員から電話。木曜日に面会へ行くとき、話すことに。

『沢田研二』のゲラの整理。確認することがあり、図書館へ新聞の縮刷版を見に行く。

夜は渋谷でyaeさんのコンサート。ジャンルなき音楽。説明が難しい。声の洪水を浴びる感じ。打ち上げに参加。

11月9日 木曜日

<介護1105日>

母は入院中。

菅直人元総理の本の編集。

夕方、母の面会へ。先週は車椅子だったが、歩行器を使って歩いて登場。

しかし、ついに恐れていた日が来た。私のことを忘れていた。「誰だか分からないけど、懐かしい感じがして、安心できる」でも、話していると、「ゆうちゃん」と呼ぶ。

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「ここはどこ?」「高井戸」と教えたが、首をかしげる。ピンとこないようだ。伯母(母の姉)が下高井戸に住んでいたので、「お姉さんの家の近く」と言ってみると(実際は近くないが)、「お姉さん? 誰?」

名前を言っても分からない。「お父さんは中川○○」と言える。兄2人も名前を言える。しかし、母、姉、妹は名前も言えない。不思議。

1週間で認知症はだいぶ進んだ。

 

面会は15分。「あなたは誰」「ここはどこ」「私はなぜここにいるの」を5回繰り返すと、「時間です」と、看護師さんが来る。1時間いても無限ループだろう。

そのあと、相談員、リハビリの作業療法士、看護師と面談。「歩けるようになっている。トイレも自分で行ける。長くいると認知症は進む」と説明。というわけで、今月中に退院となりそう。家に戻れば思い出すか。

夕食は家で妻と。阪神日本一のお祝いケーキも。

11月10日金曜日

<介護1106日>

母は入院中。

午前中は部屋の整理。資料の入れ替え。

午後、試写会。

その後、来年の本の打ち合わせ。帰宅して月曜日の講座の準備。

11月11日 土曜日

<介護1107日>

母は入院中。来週、退院日が決まりそうなので、12月、1月のショートステイの予約を取り直す。いくつか、満室だった。

書籍以外の原稿を4本書く。

11月12日 日曜日

<介護1108日>

母は入院中。ちょうど4週間。

午後、編集者と打ち合わせ中に母の病院から電話。良い知らせではないなと思いながら出ると、転倒して後頭部を打ち、手のひら大のコブになったとのこと。意識はある。明日、CTを撮る。「当直医です」と名乗る若そうな男性だった。いまは眠っているとのことで、行っても会えないらしい。任せるしかない。

11月15日 水曜日

<介護1109日>

母が入院して、1か月。

午前中は編集作業。午後、病院へ。医師、相談員、ケアマネさんらとミーティング。

日曜日の転倒はカーテンを閉めようとして、ベッドに立ち、転がり落ちたためらしい。

月曜日にCTを撮り、頭蓋骨に異常なく、血栓もないとのこと。しかし、昨日から腰が痛いと言い出し、MRIを撮ると仙骨にひびが入っている。

そもそもの原因の恥骨骨折は治った。そういう訳で、入院していると、かえって危険なので、来週水曜日に退院することに。

その後、本人と面会。今日は右介と分かる。しかし、「あなたは息子よね」となる。「ここはどこ。わたし、ここに泊まるの?」ど無限ループ。

元気に歩いていた。看護師さんたちは、「中川さんのようなお婆さんになりたい」と、みんな憧れているという。楽しそうにしているからか。

介護休暇もあと1週間になった。めでたいのだが、これから大変だ。

11月16日 木曜日

<介護1110日>

母は入院中。

一日、編集作業。

11月17日金曜日

<介護1111日>

今日も編集作業。午後、母に面会。義妹も来るはずが、発熱し、来れなくなった。

今日は私が誰か分からなかった。「見たことあるし、懐かしいけど、誰なの?」

自分の名前、生年月日、両親、兄、姉妹の名は言えたが、元夫、2人の子は言えない。

だが、「ゆうすけ」と教えると「みぎすけね」と言う。不思議。

テレビや映画の認知症の人は目がうつろだが、母は目は輝き、表情は豊か。はたから見ると認知症には見えないだろう。ともかく、水曜日に退院。

11月18日 土曜日

<介護1112日>

母は入院中。何も連絡なし。今日も編集作業。

11月20日 月曜日

<介護1113日>

母は入院中。午前中は編集作業。

午後は早稲田の講座。夜また、編集作業。

11月21日 火曜日

<介護1114日>

母は入院中。明日、退院。今日で介護休暇、おしまい。

認知症がどれくらい悪化しているか。回復するか。3年過ぎで、次のステージとなりそう。

午前中は編集。午後、議員会館で菅直人元首相と打ち合わせ。たまたま今週のAERAに菅さんのインタビューが載っていた。

そのあと、神保町へ。古書店。東京ドームホテルで、中森明夫さんのパーティー。行く途中、猫の本棚の前を通ったので、顔を出す。

11月22日 水曜日

<介護1115日>

昼まで編集作業。高井戸の病院へ母を迎えに行く。

さぞや喜ぶだろうと思いきや無関心というか、無反応。「息子さんが来てくれましたよ」と看護師さんが言っても、「この人、誰?」という表情。

着替えさせられたので、「どこかに行くの?」「うちに帰る」「あら、静岡に?」「違う。荻窪」と言うと、がっかりする。

ここでも人気者だったらしく、看護師さんが「元気でね」「よかったね」「おめでとう」と、次々と声をかけて握手。母もにこやかに応対。しかし、病院を出ると全て忘れている。

タクシーで帰宅。「見たことあるような気がする」

玄関のドラを見ても分からない。中へ入っても、感動なし。足は問題なく、普通に歩く。

「ここがあなたの部屋」と言っても、思い出せない。飾ってある、母の両親、きょうだいの写真を見ても無反応。これはかなり認知症が進んだかと覚悟。

15時にケアマネさん来訪。いろいろな確認。明日からデイサービス。母も同席。「あなた、こんな美人のお友だちがいるのね」

そのあと、昼寝。17時過ぎ、起きてくる。

「ご飯はまだかしら」さっきとは異なり、表情もしっかりしている。私が息子で、ここに暮らしていると分かっている。元に戻ったのか。恐ろしき回復力。夕食。

「ここは久しぶりなの、分かる?」「あら、ずっといたわよ」「45日、入院して、さっき帰ってきた」「全然、 覚えてない」

かくして、45日間の記憶は消えた。

19時就寝。明日はどうなるか。

11月23日 木曜日

<介護1116日>

朝から、入院前と同じ日常に。入院していたことは何も覚えていない。それは予想していた。しかし、入院中は分からなかった私のことは、覚えているし、うちのどこに何があるかも分かる。着替えもトイレも、入院前と同じ。46日間だけがすっぽり消えた。

言わなくてもデイサービスへ行く支度をして、クルマを待つ。スタスタ歩くが、昨日のミーティングで歩行器を持って行くことになったので、クルマに乗せる。

今日も編集作業。

夕方、「我が家、我が家」と帰宅。歩行器は明日からはなしに。

夕食、完食。18時半、就寝。

ボケて帰ってくると覚悟していたので、拍子抜け。まあ、いいか。

11月24日 金曜日

<介護1117日>

今朝も、入院前と同じ。元気にデイサービスへ。

ひたすら編集作業。午後は吉祥寺の書店へ。

母は元気に帰る。夕食、肉は食べたが、それ以外を残す。

18時就寝。

11月25日土曜日

<介護1118日>

デイサービスがない日。なかなか起きてこなかった。先に朝食。

昼まで編集作業。午後は月曜日の講座の準備。

母はずっと部屋にいた。久しぶりに、母とドラえもんを見ながら夕食。

18時就寝。今晩は起きてこない。うちにいても、ぼんやりしているだけ。入院していたほうが看護師さんに囲まれ、楽しく過ごしていた。全て忘れてるけど。

11月26日日曜日

<介護1119日>

事件なし。完全に元の生活に戻った。

今日は編集作業は休み。明日の講座の映像探し。

『沢田研二』が発売前なのに売れている。ありがたい。今週半ばに見本ができるはず。

11月28日 火曜日

<介護1120日>

事件なし。デイサービスへ。

見送って藤沢のクリニックへ。数値が少し悪化。母がいなくて不規則な生活だったせいか、ストレスか。新橋へ出て来年の本の打ち合わせ。

今日は定刻に戻り夕食。18時就寝。

編集作業。

11月29日 水曜日

<介護1121日>

朝食時、「わたし、ここの存在を忘れていた。どうしたのかしら」朝から、存在論。時々、難しいことを言う。デイサービスへ。

今日は一日中、編集作業。明日で終わるか。

母の帰宅は今日も15分遅れ。スタッフが足りないのだろうか。

夕食。18時就寝。

11月30日 木曜日

<介護1122日>

11月も今日で終わり。以前は朝、ドラめくりを見ては、「もう8月なの」とか、「月末よ」などと言っていたが、何も言わなくなった。もはや、時のない世界にいるのだろうか。

デイサービスへ。

編集作業、ラストスパート。

夕食。「疲れたから寝ます」と18時就寝。

*   *   *

※連載は終了しましたが、著者への感想、コメントはしばらくの期間、こちらのフォームで受け付けています(非公開)。これまでも様々なご感想をお寄せいただき、誠にありがとうございました。

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時をかける老女

91歳の母親と、33年ぶりに一つ屋根の下で暮らすことになった。この日記は、介護殺人予防のために書き始めたものである。

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中川右介

一九六〇年東京都生まれ。編集者・作家。早稲田大学第二文学部卒業。出版社勤務の後、アルファベータを設立し、音楽家や文学者の評伝や写真集を編集・出版(二〇一四年まで)。クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲、マンガ、政治、経済の分野で、主に人物の評伝を執筆。膨大な資料から埋もれていた史実を掘り起こし、データと物語を融合させるスタイルで人気を博している。『プロ野球「経営」全史』(日本実業出版社)、『歌舞伎 家と血と藝』(講談社現代新書)、『国家と音楽家』(集英社文庫)、『悪の出世学』(幻冬舎新書)など著書多数。

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