「お世話になっておりますぅ」と、「す」を伸ばすようにして言うのはなぜか? 「旨い旨い」「偉い偉い」と、同じ言葉をわざわざ繰り返すのはどうしてなのか……? 日本語には、私たちが知っているようで知らない謎がたくさんあります。7万部を超えるベストセラーとなった『日本語の大疑問』の続編、『日本語の大疑問2』の編者の一人である国立国語研究所の儲叶明さんに、これらの謎を解説していただきました。
* * *
「偉い偉い」と同じ言葉をくり返すのはなぜ?
── 前作では、〈若者ことばの「やばみ」や「うれしみ」の「み」はどこから来ているものですか〉という項目が話題を呼びました(編注:参考記事はこちら)。
「やばみ」や、「ぴえん」「ワンチャン」といった、新しい言葉を取り上げると注目されやすいようですね。
ただ、新しい言葉はそのまま普及して定着するパターンもあれば、時間の経過とともに廃れていくパターンもあります。
前者は、たとえば「就活」「女子会」などですね。新しい言葉ですが、今では定着しているイメージはあります。
後者は、コロナ期に使われた「3密」「ステイホーム」「クラスター」といった言葉が挙げられます。
── 後者は、ちょっと懐かしい感じがします。
数年後にこの本を読んだ読者から、「そういえば、こんな言葉もあったっけ」と思われないようにしたいと思いました。
単に新しいだけではなく、何年たっても古びない、読みごたえのある本を目指して、テーマを選定して先生方に執筆を依頼しています。
── ほかには、テーマを選定する際にどんなことを意識しましたか?
新しい言葉というではないけれども、「言われてみたらなぜ?」と思えるような、新しい視点のテーマを選定して、執筆をお願いしました。
たとえば、青山学院大学の大江元貴先生に執筆していただいた、〈「旨い旨い」「偉い偉い」と、同じ言葉をわざわざ繰り返すのはどうしてですか〉という項目があります。
大江先生の解説を私なりにまとめて、少し紹介してみます。
転んだ子どもに対して「泣かなかったね、偉い偉い」と言うことがありますよね。「泣かなかったね、偉い」と言うこともできるのに、なぜ「偉い偉い」とわざわざくり返すのか。
そればかりか、くり返さないと不自然になる場合もあります。「6畳の部屋って、けっこう広いよな」「いや、狭い狭い」。これが「いや、狭い」だと、どんな印象になるでしょうか。
── ちょっと変な感じがします。
そうですよね。では、次の例文はどうでしょうか。
「今から生きるうえで重要なことを言うよ。それは適度に妥協すること。これ大事」。
これが「今から生きるうえで重要なことを言うよ。それは適度に妥協すること。これ大事大事」になると、どんな印象ですか?
── 軽い感じがします。
このように、くり返すのが自然な場合と、不自然な場合があるんです。
この違いは、どうして生まれるのか。そもそも、くり返し表現はどういった基準で使われるのか。
こうした新しい視点のテーマを意識して集めるように、執筆を依頼しました。
謎のカギを握るのは「母音の無声化」だった
── そのように意識していただいたおかげで、前作に勝るとも劣らない面白い本になったと思います。今作では儲さんに執筆も担当していただきました。〈「お世話になっておりますぅ」と、「す」を伸ばすようにして言うのはなぜですか」〉という項目です。なぜ、このテーマに注目したのでしょうか?
私は中国出身で、日本語が母語ではありません。ですから、日本語を学習するにあたって、発音を正しく真似る必要がありました。
そのため、発音の微細な部分にもアンテナを立てて聞く習慣が身についたんです。
以前、企業に勤めていたことがあるのですが、営業マンが取引先との電話で「お世話になっておりますぅ」と発音することに気づきました。
それを聞いて、このほうがより丁寧で礼儀正しいのだなと直感的に思って、真似していました。
ところが、地域差もありますが、ビジネスシーン以外の、日常生活のコミュニケーションでは逆なんです。
文の最後に来る「す」の発音は、「すぅ(su)」ではなく、「す(s)」と発音することが多いのです。
── 母音(u)がなくなる感じでしょうか。
その通りです。無声子音(
このルールは、「
のどに手を当ててみると、よくわかると思います。「ます(s)」と発音したときは、それほど振動を感じませんよね。でも、「ますぅ(su)」と発音したときは、ブルブルと手に振動を感じると思います。
「母音の無声化」はなぜ起こるのでしょうか。
それは、
いわば、省エネになるということです。
ところが、営業マンが取引先に電話するとき、省エネでは相手に対して失礼です。当然、丁寧さや礼儀正しさが求められますよね。
だから、「お世話になっておりますぅ」と、母音までしっかり発音するのだと考えられます。
つまり、「す(s)」ではなく、「すぅ(su)」と発音することは、対人関係において丁寧さを加えるために使われているというわけです。
ちなみに、この文末の「す」を使って、親しさを加える方法もあります。この話は、みなさんが本書をお読みになったときの楽しみとして取っておきましょう(笑)。ぜひ、本書で確認してみてください。
※本記事は、 Amazonオーディブル『武器になる教養30min.by 幻冬舎新書』より、〈【前編】儲叶明と語る「『日本語の大疑問2』から学ぶ日本語研究の最先端」〉の内容を一部抜粋、再構成したものです。
儲 叶明(ちょ・ようめい CHU Yeming)……国立国語研究所 プロジェクト非常勤研究員。専門は相互行為の社会言語学、言語人類学、語用論。近年では、中国語における「遊びとしての対立」に焦点をあて対人コミュニケーションを研究している。富士山登頂の経験あり。大変でした。
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武器になる教養30min.by 幻冬舎新書
AIの台頭やDX(デジタルトランスフォーメーション)の進化で、世界は急速な変化を遂げています。新型コロナ・パンデミックによって、そのスピードはさらに加速しました。生き方・働き方を変えることは、多かれ少なかれ不安を伴うもの。その不安を克服し「変化」を楽しむために、大きな力になってくれるのが「教養」。
『武器になる教養30min.by 幻冬舎新書』は、“変化を生き抜く武器になる、さらに人生を面白くしてくれる多彩な「教養」を、30分で身につけられる”をコンセプトにしたAmazonオーディブルのオリジナルPodcast番組です。
幻冬舎新書新刊の著者をゲストにお招きし、内容をダイジェストでご紹介するとともに、とっておきの執筆秘話や、著者の勉強法・読書法などについてお話しいただきます。
この連載では『武器になる教養30min.by 幻冬舎新書』の中から気になる部分をピックアップ! ダイジェストにしてお届けします。
番組はこちらから『武器になる教養30min.by 幻冬舎新書』
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