新しい発想で世界経済をけん引する企業が次々と登場する欧米に比べ、なぜ日本ではイノベーションが生まれないのか。それは、欧米では子どもの頃から「当たり前を疑うことが大事だ」と徹底的に教え込まれ、物事を批判的に思考するクセができているから。その教育の根底にあるのが「哲学」だ。
好評発売中の『「当たり前」を疑う100の方法』(幻冬舎新書)では、人気哲学者の小川仁志さんが古今東西の哲学から、マンネリを抜け出し、ものの見方が変わる100のノウハウを伝授。本書より、試し読みをお届けします。
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私たちは一生懸命勉強しようとします。知を身につければつけるほど、自分が磨かれると思っているからです。でも、本当にそうなのでしょうか? 古代ローマ支配下のエジプトで活躍した哲学者プロティノス(205頃― 270)にいわせると、必ずしもそうではありません。
プロティノスはこういっています。「彫刻家が彫像を完成させるように、たえず自分の完成につとめなさい」。つまり、自分を彫刻に見立てて、常に完成を目指していきなさいということです。その際プロティノスは、彫刻とは自分の余分な部分を削ることだといっています。
私たちは何か新しい知を学ぶたび、その知を身につけるのだと思い込んでいます。しかし自分を磨くというのは、自分の不要な知識を捨てることにほかなりません。
プロティノスの彫刻のイメージと同じで、むしろ余分なものをそぎ落とすことで、より美しく、より強靭な姿に近づいていくということです。彼はその究極の状態を「一者」と呼びました。これこそが理想の自分です。
その理想の自分に近づくために、新しい知を彫刻のノミのように用い、不要なものと必要なものをより分けていくということです。プロティノスは、そんな彫刻を続けていれば、宇宙を支配することさえ可能だといいます。かなり大げさな話ですが、理屈としてはあり得ないことではありません。そうして自分を磨き続けていれば、いずれはこの世のトップに立つことも不可能ではないということです。
〈こんな感じで使ってみよう〉
Q、学ぶことは余分なものを削ることだと考えてみてください。
A、たしかに、何か新しいことを学ぶと、それまで勘違いしていたことや古い知が不要になります。つまり余分なものが削られていくのです。哲学がまさに典型です。なぜなら哲学とは物事の本質を探究することであり、ということは、本質以外のものは余分なものだからです。むしろそんな余分な知をそぎ落とさないことには、本質は見えてこないでしょう。たとえば、かつて私は愛とは自分にないものを求めることだと思っていました。ところが、古代ギリシアの哲学者プラトン(紀元前427 ― 紀元前347)が、完璧なものに憧れることこそが愛の本質だと論じているのを知って考えが変わりました。まさに余分な知を削り、本質を手にしたような感覚を覚えたものです。
「当たり前」を疑う100の方法
新しい発想で世界経済をけん引する企業が次々と登場する欧米に比べ、なぜ日本ではイノベーションが生まれないのか。それは、欧米では子どもの頃から「当たり前を疑うことが大事だ」と徹底的に教え込まれ、物事を批判的に思考するクセができているから。その教育の根底にあるのが「哲学」だ。「知っていることを知らないと思ってみる」(ソクラテス)、「答えを出さない方がいいと考えてみる」(キーツ)等、古今東西の哲学をもとに、マンネリを抜け出し、ものの見方が変わる100のノウハウを伝授する。