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「アート」を知ると「世界」が読める

2024.04.25 公開 ポスト

ヒトラーに愛されてしまったワーグナー 芸術が権力者に気に入られるリスク山中俊之(著述家・ファシリテーター)

世界のビジネスパーソンにとって、アートは共通の必須教養! 世界97カ国で経験を積んだ元外交官の山中俊之さんが、アートへの向き合い方を解説する『「アート」を知ると「世界」が読める』より、一部を抜粋してお届けします。

ワーグナーが物語る、権力者のお気に入りになるリスク

ドイツ人に「歴史上、一番ドイツ的な文化人は?」と聞くと、ワーグナーと答える人が多くいます。モーツァルトはドイツ語圏ですが、オーストリアの人です。

ドイツのボン出身のベートーヴェンは、パトロンとしての王侯・貴族の援助をあまり受けずに、自らの力で音楽家の道を切り拓きました。フランス革命時からその後の混乱期に生きたベートーヴェンには、市民社会や個人の力への強い信頼感があったのだと思います。

ベートーヴェンの偉大さは誰しも認めるものの、ウィーンでの活動が長かったこともあり、ドイツというよりも、より広くヨーロッパ社会、世界全体を見据えて作曲をしていたように感じます。そのため“ドイツ的”という点では、ワーグナーに一歩譲るのではないでしょうか。

ワーグナー(Franz Hanfstaengl, Public domain, via Wikimedia Commons)

19世紀初め、ドイツ・ライプツィヒの音楽好きの一家に生まれたワーグナーは、神話と哲学、演劇と音楽とを融合させた、楽劇と呼ばれる新たなオペラを確立。これはたいていのビジネスパーソンが知っている一般知識ですが、ワーグナーを知らない若い人でも、〈ワルキューレ〉などを聞けば「ああ、あの曲!」と反応するはずです。壮大で劇的な楽曲は映画やドラマに幅広く使われ、アニメやゲーム音楽にも多大な影響を与えたと言われています。

ドラクエっぽい音楽」という声もあるほどで、インスパイアされたアーティストは数知れず。世界中に熱狂的なファン“ワグネリアン”がいますが、その中の一人がヒトラーでした。

1806年、ナポレオンによって神聖ローマ帝国は解体されました。ドイツ連邦の成立は1815年、ワーグナーが2歳の頃です。しかし、この連邦はやわやわな緩いもので、野心まんまんの隣国に狙われていました。プロイセン首相のビスマルク主導で、ようやくドイツ帝国が誕生するのは19世紀も終わりに近づいた頃。しかし第一次世界大戦では敗戦国となり、「ワイマール共和国」として再編成されたものの、不安定なまま。

「ドイツ人のための、強い統一国家をつくろう!」という悲願がなかなか果たされない中、わかりやすい民族主義を掲げて登場したのが、ナチスでした。

人を高揚させるワーグナーのドラマチックな音楽は、ヒトラーの好みにぴったり。名もなき画学生の頃から、ヒトラーはワーグナーのオペラ〈ニーベルングの指環〉などを聴き込んでいました。

さらにワーグナーは、論文「音楽におけるユダヤ性」で「ユダヤ人の芸術は模倣である」と批判しています。「人を熱狂させる大音楽家がユダヤ批判をしている!」というのは、ヒトラーにとっては好都合。このような経緯によって、ワーグナーの名曲はナチスのプロパガンダ音楽として演奏されていくのです。

 

ワーグナーには、反ユダヤ主義の傾向が多少なりともあったのかもしれません。しかし、ユダヤ人音楽家との交友もあり、凝り固まった差別主義者とは言い難い。ユダヤ人の芸術への批判というよりも、メンデルスゾーン個人への批判の側面が大きいと私は考えています。

メンデルスゾーンはドイツの裕福な銀行家の一家に生まれ、ロマン主義の華やかで優美な旋律が特徴でした。「ドイツ人らしさ」にこだわったワーグナーとは異なり、メンデルスゾーンは特にユダヤ人らしさを強調するわけでもありません。

ただし、才能溢れる両者が比較されうる存在だったのは事実で、そのためにワーグナーはメンデルスゾーンの楽曲を、「あれはユダヤ人音楽だ」と批判したのではないでしょうか。

 

今の時代、あるアーティストがライバルに対して「あいつは○国出身だからダメだ」などと出自を根拠に誹謗中傷をしたら、完全にアウト。許されることではありません。

しかしワーグナーが生きた頃、人権意識やモラルはまだまだ確立されておらず、「ユダヤ人だから云々」という偏見は、多くの人が悪びれずにもち、口にしていました。

ヒトラーが台頭した頃、ワーグナー自身はすでに世を去っていたことを考えても「ワーグナー=ナチス音楽」と決めつけるのは、稀代の天才に対してあまりにも気の毒でしょう。

 

ちなみに“ワーグナー推し”の権力者はヒトラーに限らず、バイエルン国王のルートヴィヒ2世は熱狂的ファンにしてパトロンであり、彼が建てたノイシュヴァンシュタイン城には「ワーグナーの世界を再現したい」という情熱が込められています。

ノイシュヴァンシュタイン城

名もなき職人からアーティストになっても、才能だけで生活していくのはたやすいことではありません。音楽でも絵画でも、宮廷や教会、そして富裕層が長い間パトロンでした。

フランス革命を経て印象派が誕生した19世紀末には、アーティストはすでに個人として活動していますが、極貧の中認められないまま亡くなったり、富裕層や権力者の庇護下にあったりします。

大富豪でも独裁者でも、「権力者のお気に入り」となれば、生活の心配をせずに創作活動に打ち込み、時代のスターとして一世をふうできます。

しかし、潤沢な資金で制作した“自由なアート”には、ひっそりと権力者のサインが入っていた──そんな“陰の支配”があることも忘れてはなりません。

近代以前のアートやアーティストを理解するうえで、これはとても重要な視点です。

関連書籍

山中俊之『「アート」を知ると「世界」が読める』

NYタイムズではアート関連の記事が頻繁に1面を飾るなど、アートは欧米エリートにとって不可欠な教養である。他方、日本でそのようなことはなく、アートに対する扱いの差が、まさに欧米と日本のイノベーション格差の表れであると、世界97カ国で経験を積み、芸術系大学で教鞭をとる元外交官の著者は言う。アートに向き合うとき最も重要なのは、仮説を立てて思考を深めることである。そこで本書ではアートを目の前にして、いかに問いを立て、深い洞察を得るかについて解説。読み終わる頃にはアートの魅力が倍加すること必至の一冊

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「アート」を知ると「世界」が読める

世界のビジネスパーソンにとって、アートは共通の必須教養! 世界97カ国で経験を積んだ元外交官の山中俊之さんが、アートへの向き合い方を解説する『「アート」を知ると「世界」が読める』より、一部を抜粋してお届けします。

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山中俊之 著述家・ファシリテーター

芸術文化観光専門職大学教授。神戸情報大学院大学教授。株式会社グローバルダイナミクス取締役。1968年兵庫県西宮市生まれ。東京大学法学部卒業後、1990年外務省入省。エジプト、イギリス、サウジアラビアへ赴任。対中東外交、地球環境問題などを担当する。2024年現在までに世界97カ国を訪問し、先端企業から貧民街、農村、博物館・美術館を徹底視察。京都芸術大学卒(芸術教養)。ケンブリッジ大学大学院修士(開発学)。高野山大学大学院修士(仏教思想・比較宗教学)。ビジネス・ブレークスルー大学大学院MBA。大阪大学大学院国際公共政策博士。著書に『世界9カ国で学んだ元外交官が教えるビジネスエリートの必須教養「世界の民族」超入門』(ダイヤモンド社)などがある。

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