息子が、かわいくてたまらない。かわいすぎて語彙力がフライアウェイして、“かわいい”ってことしか考えられないくらい、かわいい。言葉の仕事をしているくせに、恥ずかしげもなく「ママとパパの宝物だよ」と捻りゼロのどストレートセリフを毎晩言っちゃうくらい、かわいくて仕方がない。
私の順調な愛の増幅に伴って、息子の「ママっ子」も、これまた止まらない。
というか、こちらの加速のほうが、激しいくらい。
我が家はフリーランス共働き夫婦なのもあって、夫と私は同じくらい息子に接していたはずなのに、生まれて数ヶ月後には、すでに夫の抱っこだとぐずぐず泣いてしまったり、ママが見えなくなると泣いたり……と、言葉を持たないころから圧倒的ママっ子だった息子。「子どもがママっ子になるのは、接する時間量の違いによるものだ」と思い込んできた、かつての私。はい、謝ります(誰に?)。時間によるもの、向き合い方によるもの、いろんな理由が確かにあるけども、我が家のようにもはや何が良いとか悪いとかではなく、どちらのバイブスが合うかって、ただそれだけの話もあるようです。
我が家では私と息子のバイブスが共鳴しあって、最近では言葉ではっきりと「ママだけが好きなの」とあからさまな依怙贔屓をしてくれるようになり、「ママがいいの。ママがいないとさみしいの。お迎えもママがいいの。お風呂もママがいいの。寝るのもママがいいの。いい?」と澄んだ目でリクエストするようにもなった。
夫がいくら「パパとやろう」と言っても、寝るのも「ママがいい!」、食事中隣に座るのも「ママがいい!」、着替えるのも、歯磨きをするのも、おむつを替えるのも、鼻水を拭くのさえも「ママがいい!」な状態……(パパと二人きりになれば、とても楽しそうに過ごしているんだけどなあ)。家庭によっては「パパはイヤと言われて、夫が拗ねて部屋から出てこなくなった」とか「夫が逆ギレして、なだめるのが大変だった」とか、う、うそやろ? 子どもの世話と夫の世話、どっちもしないといけないわけ? ってな状況が繰り広げられているらしいのだけど、夫の場合は「本当に、ママが好きだねえ」と朗らかに笑っており、その点は、とても楽に暮らせている。
私も、長くてもあと数年で終わってしまうであろう(し、そうでなければならない……)ママ溺愛時期を存分に味わわない手はなく、「その任務、俺にお任せだぜ!」と全ての負荷を両肩に乗せて、力強く抱きしめている。
夫も家にいるのに、私だけが「ママがいい!」のリクエストに応じて家を走り回り、息子の「特に寝るときは、ママ一択」の強い意志に従って、本当に毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日、一緒に眠っている。まじで。毎日。
「ママ、幸せだよ。ほんと。……でもさ、たまにはパパと寝ない?」
「嫌なの。ママと寝たら、えっと、嬉しくなるの」
「かわいいねえ。じゃあまた今度でいいから、パパと寝ようか?」
「ううん。ママがいい」
「たまにでいいから」
「ううん。ママ」
「たまにで!! いいから!!!」
「イヤ。ママ」
……。
……。
いや、嬉しいけど!?
た、たまにはパパにして!?
ママも、夜の自由時間、欲しいんですけど!?!?
息子と眠ることが、本当に本当に大好きで、寝かしつけが育児の中で一番好きというのはマジで天に誓って本当なんだけど、そうは言っても、息子が布団に入るのは、だいたい21~21時半ごろ。どれだけやりたいことがあっても、やり残したことがあっても、この時間までには寝室に連れていかなくてはいけない。そんで寝かしつけって、ただ寝るだけじゃないのよ。
「お話つくって」「歌って」「今度は黙って」「次は座って抱っこして」「やっぱ赤ちゃん抱っこがいい」「いや、やっぱり立ってゆらゆらして」「もう寝る」「いやいや、やっぱもう一回抱っこ」
など次から次にリクエストされ、丸一日保育園で頑張ってくれているのだしな……と、できる限り、彼の命令を忠実に実行する家来と化して寄り添う。
やっと横になれても、携帯を触ろうものなら「何見てるの? 一緒に見たい」と言われるわ、目を開けていようものなら「ママは寝ないの? なんで目開けてるの?」と目をギンギンに開いて質問してくるわで、この時間、アタクシに自由などは一切ございません。暗くて穏やかで、極めつけにオルゴール曲までかかっている部屋で、ねむったふりをし続け、その母の様子を見てやっと眠る気になってくれて、子が実際に眠るのは、布団に入ってからだいたい1時間後くらい。
……となれば。隣にいる私も寝ないようにするなんて、さすがに無理……。
ハッ! と目を覚ませば、AM2時。こんな時間から起きても明日に響くしな、と再び眠る。で、息子と同時に目覚め、22時~7時半まで、たっぷり9時間眠って充電満タンの母となるわけです(ちなみに息子の場合、眠りが浅くなった瞬間に隣に私がいないと必ず起きてきてしまうので、早起きして仕事をする……と、子どもも早く起きるという仕組みになっており、早起きも諦めました)。
育児と仕事で毎日エネルギーを使い果たしている生活だから、たっぷり眠れて、お肌にも健康にも宜しくて、結構結構(にっこり)。
ってなるか~いっ! できれば0時くらいまでは起きていたいよ! やりたいことも、いっぱいあるもん! いや、たまにでいいんだよ!? ねえ私、そんな贅沢言ってる!?!?
ってな心の叫びを抱えたまま、眠ったフリを続け、ついでに届いた仕事のメールも見ないフリをして、終わらなかった仕事を明日に回し、観たかった映画を明後日に回し、ゆったり美容パックタイムは“そのうち”に回し、ゲームはそもそも買わないように努め、22時に就寝するその間。夫がリビングでテレビを観る音が聴こえてくると、あのね、これはもう、いいなあああああああああって暴れ出したくなる。仕事であれ、リビングでくつろいでいるだけであれ、どんな理由であれ、シンプルに! 羨ましくてたまらない!!
夫は、私より1日が長い。
これはもう、事実。
たった数時間に思えるかもしれないけど、眠くない日も、仕事がある日も、21時には布団に入って強制終了ボタンを押される私にとっては「あと数時間」が喉から手が出るほど欲しい。だいたい、毎日数時間の差があるって、1年に換算したら、圧倒的な差よ? 朝と昼の時間の使い方だって変わるだろうし、自分のペースで布団に入れるだけで、いろんな心の余裕が生まれるはず……。ああいいなあ。
何度も言うが、夫が育児をしないわけではないし、いまのこの我が家の状況は、夫の努力不足ではなく、息子の願望と、できる限りそれを叶えたいと思っている私が引き起こしているのだけど、その状況を甘んじて受け入れている夫の様子を見ると、何とも言えない気持ちにもなってくるのよ。これはもう、しょうがない。人間だもの。
「夜の自由時間欲しいから、出かけてくるね」と言えば、夫は嫌な顔ひとつせず「行っておいで!」と言ってくれる(本当にありがたい)。
けれど、そうすると、息子が完全に寝付く22時半までは家に帰ることができなくて、ただ家でのんびりZOZOTOWNをぽちぽちしたり、テレビを見たり、ゆっくりお風呂に入りたかったりするだけの願いは叶わず、22時半まで家を追い出された子どもみたいに街で時間を潰すしかなくて、仕事をしたり映画に行ったり飲みに行ったりしても、毎週それらを義務のように予定を入れるのは辛いし、そもそも毎晩22時に眠っているボディが街にいると、もう眠くてたまらないし、だいたい、どうして私だけ街を彷徨う羽目に!? って、ちょっとすみません、この不満、誰か止めてーッ! 無限に書けちゃうッ!!
聞くところによると、友人たちの家もだいたい同じようなもんか、もっと酷い状況らしい。朝の支度。保育園の送り迎え。急な体調不良への対処。病院通い。習い事通い。食事のタイミング、風呂、寝かしつけ……。「家庭の仕組みや、仕事的に本当にどうしようもない」場合もあれば、「それらに関係なく、子どもの指定によるもの」な場合もあって、いっしょくたには語れないけれど、同じ家庭の中に、子どものペースに100%合わせて生きている人と、自分のペースで生きられている人がいて、不協和音が至る所で鳴り響いている。
時短勤務の友人は「私には、“急に仕事が長引いて”は存在しない。どれだけ長引きそうでも、切り上げる。謝ってでも、切り上げる。自分が迎えに行かないと、子どもが困るから。でも夫は、それができる。自分が迎えに行かなくてもいいと、思っているからできること。その不平等が、時に憎い」とつぶやいていたことがある。
そんな不公平を、不平等を感じるたび、心が必死に自分を諭す。
「こんなことで文句を言っていてはいけない」「うちは、かなりやってくれているほうだ」「夫は仕事をしてくれているのだし」「子どもが可愛くて、子どものために頑張りたいのは自分だし」「この時間も好きだし」「それに、今、幸せなのもたしかでしょ?」「これ以上、何を望むの?」。
気持ちを言いくるめる言い訳だけが得意になって、寝かしつけで眠ったふりをするのと同じように、不満に気づかないふりをして、痛みをやり過ごしている。
私の夫は、時に爆発する私の話をちゃんと聞いてくれて、「どうしたらいいかなぁ」と言ってくれた。解決策を考えてくれる日も、「どうしてほしいの?」と聞いてきた日もあった。どうしたらいいんだろうね。私も、わからないよ。だって、どれだけ解決策を考えても、子どもはその斜め上をいくものだし、親の理想通りには進まないし、子どもの願望をできるだけ叶えたいと願う切実さも、不満と同時に存在するんだもの。
時に沸き起こる「不平等な思い」を消し去れないまま、2年10ヶ月が経った。
体調が悪くても、40度近い高熱を出しても、乳腺炎でおっぱいが痛くて眠れなくても、コロナにかかっても、生理で起き上がることさえつらくても、ねじきれるような子宮の痛みがあっても、仕事に追い詰められていても、誰かに仕事で迷惑をかけていても、なにがあっても、どんな夜でも、家にいる限りは、私が寝かしつけをしてきた。毎晩寝かしつけをするとはそういうことで、その時々で心に生まれるアレコレのことはどこかに書いておかないと、なかったことになりそうで、そのこともちょっと怖い。
今しかない。見逃したくない。自分でやりたい。たまにはやってほしい。何かを変えたい。何も変えなくてもいい。これが幸せ。これが辛い。今日くらいは寝たい。今日はがんばれる。しんどくて泣きたい。夫が憎い。夫がいてくれてよかった。
あらゆる気持ちがあっちへいったりこっちへいったり、真実は全然ひとつじゃなくて、この気持ちもあの気持ちも本当で、ぜんぶぜんぶがまぜこぜで、自分の気持ちさえ確かめることもままならないまま眠りに落ちて、私の意思には関係なく、私は今日も「ママ」をやっている。
夜中。
目を覚ました息子が起き上がり、暗闇でぽつんと座りこんで「ママ、どこ?」と言った。ちいさなちいさな声だったが、息子が生まれてから、どれほど小さな泣き声でも囁きでも聞き漏らさなくなった私はもちろん起きて「ここだよ」と手を繋ぐ。こてんと腕の中に倒れて、いつものように手にキスをしてくれる息子。「大丈夫だよ。大好きだよ。ここにいるからね」と言うと、世にも優しい甘やかな声で「しわわせ」と言って眠っていった。夫は、横で眠っている。この「しわわせ」は、私しか知らない。眠る前の、甘えた笑い。眠りに落ちる直前に、手の甲にあたるほっぺのやわらかさ。丸いおでこを撫でるときの感触。「ぷすー」と寝息が響く腕の中。「ママ、大好きだよ」と寝ぼけて呟く声。この瞬間は、今、私にしか向けられていないものだ、ぜんぶはここに横になっている私だけのものだ、世界でたった一人、この時間を知っているのは私だけだ。
そうして、扱いに困る黒い気持ちにまみれながらも、不公平の天秤の反対側の秤に「しわわせ」の記憶をのせて、ぐらりぐらりと揺れる天秤がどちらに傾くかを見届けないまま、またひとつ夜を超えるのだった。
想像してたのと違うんですけど~母未満日記~
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