なぜある人にとっては何の変哲もないモノが、別のある人には感情を揺さぶる特別な存在になるのか。こうした問題に答えるのが「プロジェクション」の科学だ。世界を見る時、私たちは心で生成されるイメージを現実の存在に投射し、重ね合わせている。この「プロジェクション」の概念が、今、心をめぐる謎を解き明かしつつある――。
最新の研究から人間の本質に迫る知的興奮の一冊、鈴木宏昭さんと川合伸幸さんの共著『心と現実 私と世界をつなぐプロジェクションの認知科学』より一部を抜粋して紹介します。
プロジェクションは身近に起きている(川合)
次章でプロジェクションとは何か具体的に説明をする前に、実験を一つ紹介しよう。川合の研究室では「他者がいること」、正確にいうと「他者がいると思い込むこと」が、脳の活動や行動にどう影響するかを調べている。
川合の子どもは、しばしばタブレットでオンラインゲームをする。何人かとオンラインで対戦しているようだが、傍から見ていると実際に誰かとゲームをしているのではなく、コンピュータが誰かのふりをしているのではないか、と思ってしまう。でなければ、ゲームを始めてすぐに何人もが集まるはずはないのではないか。しかし、子どもは「また、○○さんが参加してくれた」と喜んでゲームをしている。
一人でゲームをするよりも、誰かと一緒にプレイする方がゲームに熱中して、より楽しく感じることはよく知られている。そこでプレイヤーは、「誰かとゲームをしている」と思い込むだけでよいのではないかと考えた。
ある対戦ゲームで、一人でプレイする状況と、隣にいる他者と対戦すると説明された状況(実際には他者はゲームをしておらず、一人でプレイしているときと同じ状況)を設定し、どれほどゲーム以外に注意を向けているかを調べる脳波を測定しながら、ゲームをしてもらった。
ゲーム中にヘッドホンから、ピッ、ピッ、ピッ、ピッという音が聞こえてくるが、たまにポッと、高さの違う音が聞こえる。その高さの違う音が何回聞こえたかを参加者には数えてもらうのだが、このたまに聞こえる音がはっきり聞こえていると脳波(P300と呼ばれる)が現れる。脳波が大きいほど、音に注意を向けていたことになり、脳波が小さければ、ゲームに熱中していたことになる。
実験参加者は、二回ゲームをし、そのうち一回は「一人でコンピュータ相手に対戦してください」、もう一回は「別の参加者(サクラ)と対戦しましょう」と説明された。しかし実験参加者は、VR用のヘッドマウントディスプレイをかぶってゲームをしているので、隣の対戦相手は見えない。
その結果、一人でプレイしていると伝えられた状況に比べて、「別の参加者と対戦している」と説明された状況では、一人でプレイするのとまったく同じ状況だったにもかかわらず、音刺激に対する脳波が小さかった。また、単純にポッの音を聞き落とした回数も、「対戦している」と言われたときの方が多かった。さらに、それぞれのゲーム直後にアンケートに回答してもらったところ、興味、面白さ、楽しさの得点が、「対戦している」と説明されたときの方が高かった。
この結果を図1─4にまとめた。
他者とゲームをしていると思い込むことで、ゲーム中の関係ない音への注意と脳の活動が変化し、聞き落としが生じるばかりか、主観的にも楽しいと感じたのだ。
この実験における他者の存在(していると信じる)による効果は、他者が存在しているとする心的な感覚に支えられている。今対戦しているのは、隣に座っている他の実験参加者である、と信じ込むこと、つまりコンピュータが動かす対戦相手に、他の実験参加者の表象を重ねているのである。そのことで、脳の活動も、行動も、主観的な楽しさも変化したのだ。
実際に対戦相手がいる(環境)と、対戦をしていると思い込む(脳)が、主観的な楽しさ(心)、そして音を実際に聞く行為(身体)に同じ働きを与えたのである。この実験からも、心と環境、脳、身体を巡る構造の重要性が理解できるのではないだろうか。
プロジェクティッド・リアリティとは何か(川合)
いよいよ「プロジェクション」の内容に入りたい。具体的な説明に入る前に、簡単な例を紹介する。
ある日、川合が子どもと『ちびまる子ちゃん』を見ていて、あぁこれはプロジェクションの良い例だなぁと思ったことがある。
まる子ちゃんにはお姉さんがいて、彼女は西城秀樹の熱烈なファンである。あるとき、姉妹が部屋の壁を見上げていた。同居しているおじいさん(友蔵)がやってきて、二人に何をしているのかを尋ねた。二人は、西城秀樹の身長のところに印をつけて、西城秀樹はこんな感じなんだぁと壁を見てうっとりしていたのだった。
友蔵にすれば、壁を見てうっとりするなんて、変な子どもだと感じるだろう。ところが、姉妹からすれば床から壁の印までの領域に西城秀樹の表象を投射していたために、壁はただの壁でなく西城秀樹がそこにいたのだ。
これは、頭の中、心の中で起きていること、つまり認知的な処理の結果が、現実の世界にプロジェクション=投射されているということだ。
この考え方は卓越した物理化学者であるとともに、独創的な哲学者としても活躍したマイケル・ポランニーの思想に由来している。彼は私たちの認識が、近接項と遠隔項との間の投射に基づいていることを『暗黙知の次元』という有名な本の中で指摘した。
近接項とは世界から伝わる情報が、私たちの中に生み出す感覚のことである。まる子ちゃんの例では近接項は、まる子ちゃんたちが意味を感じている壁に書かれた床から182センチメートルの高さの印である。そして遠隔項は、その情報を与えた原因、つまり世界の中の実在のことである。この場合の遠隔項は西城秀樹のことだ。
そして近接項と遠隔項をプロジェクション(投射)の働きによって結びつけたときに、理解が得られる。そうポランニーは論じている。
この考え方からすれば、プロジェクションによって自分の感覚が、現実の世界の中に映し出されているということになる。つまり私たちが直面している現実=リアリティとは、プロジェクティッド・リアリティ(投射された現実)なのだ。
プロジェクティッド・リアリティはいわゆる物理的、客観的な世界ではないし、また私たちが頭の中に作り出した心的な世界というわけでもない。物理的な世界と心的な世界の二つが重ね合わされた世界なのだ。
このような心の動きによって、まる子ちゃんとお姉さんにとって、壁は紛れもなく西城秀樹になるのだ。こうした情報処理の結果を現実世界に反映する心の動きを、「プロジェクション」と定義する。