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きょうだいコンプレックス

2024.06.12 公開 ポスト

30年越しの謝罪 年の離れた弟のために尽くした兄。しかし弟は…岡田尊司

きょうだい(兄弟・姉妹)といつも比較されて育った。嫉妬や怒り、憧れをおぼえる。特別扱いされていると感じる。きょうだいのために我慢してきた……。少しでも当てはまると思ったあなたは、「きょうだいコンプレックス」を抱えているかもしれません! 精神科医、岡田尊司さんの『きょうだいコンプレックス』は、そんな「きょうだいコンプレックス」の実態と、克服法を教えてくれる本です。一部を抜粋してご紹介します。

年の離れた弟のために尽くした兄。しかし弟は…

栄造さんには、年の離れた弟がいた。栄造さんは弟思いで、よく弟の面倒を見た。栄造さんがまだ16歳のとき、父親が事業に失敗し、大きな借金を抱えて亡くなったため、栄造さんは学業を断念し、家業を継いだ。それから栄造さんは、一家を養うために必死に働いた。

弟は学業優秀で、栄造さんに大学に行かせてくれと懇望した。まだ戦争前のことで、大学に行くのは、庶民にとってたやすいことではなかった。結婚して、子どももいた栄造さんに余裕などなかったが、学業に励んできた弟の夢を摘んで泣かせることに忍びず、「学費なら、わしが何とかする」と請け合ったのだった。

 

しかし、それは大きな無理を生むことになる。

家業の上がりだけでは、仕送りの金をまかなうことができず、栄造さんと妻は深夜まで夜なべ仕事をして、弟に毎月送る金を工面したのだ。何とか弟を卒業させることはできたが、その無理がたたって、妻は病みつくようになってしまう。肺結核だった。

だが、そんなことを言えば、弟が気に病むだろうと思い、栄造さんは窮状を何一つ知らせず、弟の勉学ぶりをただ喜んでいた。

 

弟は大学を卒業すると、鉄道省に入省した。国の「生命線」として満州鉄道が大きな関心を呼んでいた頃である。弟は、満州鉄道で、エリートとしてとんとん拍子に出世し、戦争が始まる頃には、多くの使用人のいる豪壮な邸を構え、優雅に暮らす身分となっていた。

その頃、兄の栄造さんは、病気の妻と5人の子どもを抱えて、苦労を重ねていたが、弟は故郷のことなど忘れてしまったかのように、音信さえ途絶えがちだった。

妻の病気が悪いと知らせたときも、一度も帰っては来ず、当時では珍しい高級菓子を送ってきただけだった。栄造さんの妻は、終戦の半年前に亡くなった

鞍山の昭和製鋼所(国書刊行会, Public domain, via Wikimedia Commons)

戦争が終わって、満州国は崩壊した。一朝にしてすべてを失った人々が、命からがら満州から引き揚げてきた。弟が実家に帰り着いたとき、女とわかったら強姦されて殺されるというので、弟の嫁は男の恰好をして、顔を墨で真っ黒にしていた。

とにかく無事でよかったと、栄造さんは快く迎え、一家の滞在を受け入れたのだった。終戦直後の食糧難で、家族が食べるのもやっとではあったが、幸い栄造さんのところには、わずかながら耕作する土地もあったので、それで食糧を賄えていたのだ。

 

弟一家が転がり込んできて、半年ばかりが過ぎたある日、弟が改まった様子で話があると言ってきた。栄造さんと向かい合うと、弟は、再起するのに商売をしようと思うが、元手がいる。ついては、自分の相続分をもらえないかと切り出してきた。

栄造さんは、あっけにとられていたが、やがて激しい怒りが込み上げてきた。

確かに弟も、満州で築いた財産を失くし、心細いことだろう。しかし、弟には学歴もあり、華々しい経歴もある。だが、兄の方は、もっと悲惨な状況にあった。妻を亡くしたばかりで、男手一つで5人の子を育てていかねばならない。頼りにするのは、この体一つと家業のために必要なわずかな財産だ。それを売って、半分寄越せというのか。

 

烈火のごとく怒った栄造さんは、これまでの辛苦を弟にぶちまけた。そうすれば、弟もきっと納得してくれると思ったのだ。

だが、弟の反応はクールだった。「わかった。もう兄貴には頼まない」と一言のもとに話を打ち切ると、席を蹴ったのだ。

数日後、弟は出ていった。妻の実家を頼り、その近くに家をかまえたのだ。それっきり、2人の縁は途絶えた。

30年越しの思い

弟は、とても優秀な人物だったので、国鉄(現JR)に職を得ると、そこでも出世して、要職を歴任した。訣別から、30年の時間が流れた。

兄の栄造さんは70歳に、弟も60に近づこうとしていた。

 

きっかけは、弟が妻を亡くしたことだった。栄造さんとは断絶したままだったが、弟から栄造さんの娘にコンタクトがあり、娘が会ってみると、栄造さんとのことがずっと気にかかっている。若気の至りで、自分もひどいことを言ったと思う。できれば、栄造さんに会って謝罪し、和解したいのだという気持ちを吐露したのだ。

心を打たれた娘は、何とか間を取りもちたいと思ったが、栄造さんの怒りはいまだに激しく、弟のことを少しでも話題に出しただけで、気分を害してしまうというありさまだった。栄造さんが受けた傷は、それほど深かったのである。

それでも、弟の方から何度も頼み込まれるうちに、娘も何とかしなければと思うようになり、とうとうその話を切り出してみた。案の定、栄造さんは烈火のごとく憤り、「今さら何が謝罪だ」と、まったく取りつく島もなかった。

 

再会が実現したのは、それから1年あまりのやり取りが続いた末のことだった。

再会の日は、よく晴れていた。普段通りでいいと言っていた栄造さんも、いつの間にかきれいなワイシャツに着替え、落ち着かない様子で、弟の到着を待っていた。

弟は、背広姿で、自転車を押してやってきた。30年ぶりに、実家の敷居をまたぎ、「ご無沙汰しています」と入ってきたのだ。

 

威勢のいい声は、出迎えた栄造さんと向かい合うと、不意に途切れた。

「許してください、兄さん。僕が間違っとった」と頭を下げる弟を見たまま、栄造さんはただ一言、「もうええ。早く上がらんか」と言って弟の手を取った。

手を握ったまま、どちらの目からもただ涙が溢れていた。

 

それから栄造さんが亡くなるまでの10年余りの間、弟は時々やってきて、よもやま話をして帰った。始終海外旅行に出かけていて、写真を見せながら、栄造さんに見聞したことを話して聞かせるのだ。弟の自慢話を栄造さんは面倒くさそうにもせず、感心したように聞いていた。そうやって弟が甘えてくれることがまんざらでもないのか、弟の優雅な暮らしぶりを他の人にも目を細めて話すのだ。

思いがあったからこそ、裏切られた思いも強かった。しかし、誰だって、本当は人を憎みたくなどない。ましてや、かつては大事な存在であったならば。

関連書籍

岡田尊司『きょうだいコンプレックス』

きょうだいは同じ境遇を分かち合った、かけがえのない同胞のはずだ。しかし一方では永遠のライバルでもあり、一つ間違うと愛情や財産の分配をめぐって骨肉の争いが起こることもある。実際、きょうだい間の葛藤や呪縛により、きょうだいの仲が悪くなるだけでなく、その人の人生に暗い影を落としてしまうケースも少なくない。きょうだいコンプレックスを生む原因は何なのか? 克服法はあるのか? これまでほとんど語られることがなかったきょうだい間のコンプレックスに鋭く斬り込んだ一冊。

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きょうだいコンプレックス

きょうだい(兄弟・姉妹)といつも比較されて育った。嫉妬や怒り、憧れをおぼえる。特別扱いされていると感じる。きょうだいのために我慢してきた……。少しでも当てはまると思ったあなたは、「きょうだいコンプレックス」を抱えているかもしれません! 精神科医、岡田尊司さんの『きょうだいコンプレックス』は、そんな「きょうだいコンプレックス」の実態と、克服法を教えてくれる本です。一部を抜粋してご紹介します。

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岡田尊司

1960年、香川県生まれ。精神科医、医学博士。東京大学哲学科中退。京都大学医学部卒。同大学院高次脳科学講座神経生物学教室、脳病態生理学講座精神医 学教室にて研究に従事。現在、京都医療少年院勤務、山形大学客員教授。パーソナリティ障害治療の最前線に立ち、臨床医として若者の心の危機に向かい合う。 

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