オタクという言葉がまだなかった頃、私と私の友だちは、学校で男子たちから「ブラックホール」と呼ばれていました。
要するに、同じクラスの女子たちを「美人」「運動ができる」「頭がいい」とか男子たちが勝手にざっくり分類していって、その分類のどれにも当てはまらず、はみだしていた私たちは「ブラックホール」だと。そんなのあんまりだと頭にきたかといえば、まったくそんなことはなくて、ある意味、とても的確な分類だったんじゃないかと今でも思っています。だってその名前があることで、聖子ちゃんカットにしなくてよかったし、休み時間にヘアアイロンをあてなくてもよかったし、「関係ないもん、私たち、ブラックホールだから」って、ほかのいろんな煩わしいことから逃れることができたから。
三島由紀夫の『仮面の告白』じゃないけれど、「仮面をかぶる」というと本心を押し殺して生きるみたいなネガティブなイメージがありますよね。だけど、社会生活を営んでいる以上、誰もがある意味、仮面をかぶって生きることからは逃れられないじゃないですか。
だったら、オタクでもギャルでもヤンキーでも何でもいいんだけど、そういうわかりやすい仮面をかぶっておいて、その中の自分を大切にするというのもひとつの方法です。「数字は苦手だけど、運動は得意な人」とかね、「別にそう思われても構わない」くらいのわかりやすい仮面をかぶって、そこから始めていく方が、ほとんどの人にとっては楽だと思うんです。
そもそも「自分らしさ」なんて、社会はさほど求めてないですから。才能以外の自分らしさは家族や友人など少数の人に発揮すれば良い。
自己実現とか自分らしい働き方とか言い出したのは最近のことで、私の子どもの頃は、仕事っていうのは「何をしたいから、やる」というようなものではなかった。会社に空きがあるから入れてもらって、知らなかった業種だけど一から何かを取得しながら、そこで自分の何かしら秀でた能力を発揮していけば、それでよかった。
よっぽど突出した才能がある人ならともかく、それ以外の人たちは「自分らしく生きろ」とか「個性を発揮しろ」とか言われても、そんなもの、自分に本当にあるのか、戸惑ってしまうことがほとんどじゃないかと思うんです。
社会は、個人をとりこみやすくするために、わかりやすく、大雑把な分類をしてくる。男子たちが私のことを「ブラックホール」と呼んだみたいに。だったら、とりあえずその仮面をかぶっちゃうのも、ひとつの手だと思うんですよ。
そうやって仮面をかぶっていても、どうしようもなくにじみでてしまうものこそが、その人の大切な個性なんだと思います。
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