「子どもを持つことで、人は保守的になる。自分の子さえ良ければいい、というエゴイスティックな感情も湧き起こる。私は人にそんな感情を起こさせる子育てというものは、社会悪だとさえおもっていたのだ」。これはつい最近増補されて復刊した『生きることのはじまり』(人々舎)、障碍者だけのパフォーマンス集団の主催者である金満里の著作のプロローグにある一節で、私の好きな言葉だ。似たような感覚は私の中にもずっとあって、長らく自分が子どもを作ることに積極的になれずにいた。
それで自分が妊娠してみたらそんなことは杞憂だった、なんてことは全然なくて、日に日に大きくなっていく自分の身体は気に入らないし、産み落とした瞬間ワタシは世の中に対するシニカルでクールな見方を失って、ついでに常に三センチ以上をキープしていたネイルも失い、赤ちゃん言葉でうんちとかちんちんとかぽんぽんとか平気で頭の悪い言葉を連発して、少なくとも人に対してフェアであろうという今までの信条を手放すことになったらどうしようと気が重い。
子どもは無垢でかわいいのだろうが、まだ何の想像力も持たない存在は当然めちゃくちゃ利己的で理不尽で横暴。他者の子どもにミートソースを頭からぶちまけられるくらいなら、はやく大人になって詫び入れろよと思う程度で済むものの、子育ての質の悪いのは、そういう横暴な存在に自ら好んでひれ伏してしまうところで、当然、横暴な子どもの奴隷になった大人なんて、ヒトラーに盲目的に従うナチの下っ端くらい、ある意味子どもよりも危険な存在になる。
子どもの想像力は無限大というクリシェもいまいちピンと来ない。子どもが無限の可能性を秘めていることは否定しないけど、見ている限り、幼稚園や小学校に通う者たちは私の周囲にいるオモシロ人間たちよりもずっとずっと保守的で、線からはみ出ることを嫌い、あまり面白いことは言わない。オモシロオトナたちだったら口にしない、借りてきたような優等生的発言を平気でするし、誰かが言っていたことを疑いもせず信じ、そこに自分の思想を乗せる方法はまだわかっていない。
以前、同い年の友人とその三歳か四歳くらいの娘と一緒に食事をしていた際、友人とのおしゃべりに集中したい私が、三歳児が集中するのにちょうど良さそうなきゃわいい塗り絵とクレパス的なものをプレゼントしたら、その子は終始、表紙にある手本のようなプリンセスの絵をにらみながら、すべてのプリンセスを全く同じ色に塗りつぶそうとしていた。子どもにクリエイティブを期待する私の友人が横で、一生懸命、肌が緑色だっていいのよ、髪が黄色じゃなきゃいけないわけじゃないのよ、と言いながら変な病原体みたいな色を差しこむので、完成したのは実にオリジナリティあふれるものだったが、子どもの塗った部分は、肌は肌色で髪は黄色でドレスはピンクだった。独創性があるようにちょっと見えるのは単に塗るのが下手で雑だからだ。
現在ユーロスペースなどで見られる井口奈己監督の短編映画『左手に気をつけろ』はそういう子どもの横暴なのに保守的、利己的なのにオリジナリティがない、というような性質を上手くとらえた不思議な映画だった。左利きが媒介するウイルスが蔓延する奇妙な世界で、「こども警察」たちが左利きを取り締まり、勝手に逮捕して引きずり回す。「御用だ、御用だー」と呪文のように唱えながら左利きの人間を有無を言わさず捉える子どもたちは、無邪気で、可愛らしくて、こちらの理など理解してはくれない。輪から外れず、みんなで同じ呪文を叫んで街中で暴れる。
そういう物騒な世の中で、大人たちの世界は比較的淡々と描かれる。失踪した姉を探す主人公は姉の軌跡をたどるが、大学の授業もホットサンドが美味しいカフェも普通に緩やかに時間を流している。そのメリハリのようなものが逆に怖くて、子どもの暴走に対して大人ができることなどないのでは、という気にもなるが、奇妙なユートピアに導かれるラストには、横暴で利己的な子どもに身を投げてみれば、意外と牛に惹かれて善光寺みたいな明るさに到達するのかもしれないという気にもなる。
エグゼクティブ・プロデューサーには金井久美子・美恵子姉妹が名を連ねており、ゴダールを彷彿とさせるタイトル、各所に匂わせられた小さなオマージュを考えると、少し小難しい頭になってしまいそうなものを、随所で暴れる子どもたちの、久美子先生の言葉を借りれば「子供じみた図々しい感性」のお蔭で、別に映画全体に気難しさのようなものはない。
子どもが想像力を獲得する前に、既存の価値観を埋め込んでしまうような大人にもなりたくないが、やはり横暴で怖い子どもたちに簡単にひれ伏してしまうのは気が引ける。彼ら彼女らの可能性を否定せずにおおらかかつ一線を引いたようなバランスを獲得したいものだが、すでに日常の三割ほど赤ちゃん言葉になりつつある私にはちょっとハードルが高いのかも。
夜のオネエサン@文化系
夜のオネエサンが帰ってきた! 今度のオネエサンは文化系。映画やドラマ、本など、旬のエンタメを糸口に、半径1メートル圏内の恋愛・仕事話から人生の深淵まで、めくるめく文体で語り尽くします。
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