理論武装、いちゃもん、因縁、いいがかり、難クセ……。さまざまなテクニックを駆使する「ヤクザ」の交渉術は、意外や意外、ビジネスパーソンにも参考になる部分が多々あります。そのテクニックを豊富な実例とともに紹介するのが、裏社会の事情にくわしい山平重樹さんの『ヤクザに学ぶ交渉術』。読めばこっそり試したくなる本書から、一部を抜粋してお届けします。
交渉は場所選びから始まっている
経済ヤクザとしてつとに名を馳せる広域系三次団体組長のM氏。
「交渉というのは、どこで行なうかという、最初の場所選びの段階からすでに始まっているもんなんだ」
とM氏はいう。
企業との交渉で、M氏たちが3人ほどで相手側の会社に乗りこんでいったときのことだ。
「どんな内容の交渉だったか、いまとなっては忘れたが、それは圧倒的にわれわれに有利、企業側には不利な交渉だったわけだよ。企業にすれば、申し開きの余地もないような失態でね」
当然ながら、M氏たちは応接室に通され、会社の偉いさんたちが応対に出てくるわけである。
そこでM氏はハタと考えた。
〈待てよ。会社の応接室というのは、いわば密室だ。こんな自分たちのほうが圧倒的に正しく、誰が考えても悪いのは企業だという交渉ごとに、密室を使うという手はないわな。
それでなくても、世間じゃわれわれのほうが悪者で通ってるんだ。こういう状況じゃ、分のいい話も悪くなってしまう。あとでこいつらに、右翼やヤクザに脅かされたって、ありもしないことをでっちあげられてもかなわんしな……よし、ここはガラス張りの交渉というもんをやろう〉
M氏はさっそくその考えを企業側に申し出た。
「どうですか、われわれとすれば、密室でこそこそ話したくない。いっそ下の受付け前のホールで話しあいませんか。誰に見られようが、誰に話を聞かれようが、疚しいことはひとつもありませんから」
「えっ、あそこでですか」
M氏の提案に、企業のお偉いさんたちは少なからず意表を突かれたようだった。
そこは、会社を訪ねてくる客が必ず通る、人の行き来が最も激しい場所であった。
「そうですよ。構わないでしょ」
M氏は有無をいわせなかった。すでに応接室を出てそこへ向かおうとしている。
あえて人目につく場所で交渉した結果…
企業側にすれば、
「いや、あそこでやるわけにはいきません」
と拒否したいのは山々だったが、それをできないところが、交渉は端からM氏側のペースで進められていることを証明していた。
さて、会社のお偉いさんたちと、いかにも裏社会の住人にしか見えない、怖そうな連中がゾロゾロ目の前に現われたのを見て、まずびっくりしたのは受付嬢であった。
一行はホールの目と鼻の先のソファーにすわって、何やら話しあいを始めだした。
その様子は、そこを通る社員や来客たちには、嫌でも目につき、みなが、
〈いったい何ごとだろう?〉
と興味津々といったふうに、それでも恐々とうかがいながら通りすぎていく。
なかには立ち止まって眺め、聞き耳をたてる好奇心の旺盛な者もいた。
それはどう見ても話しあいという様子ではなく、ガラの悪い、怖いお兄さんたちに企業側がさんざんやりこめられ、頭をさげているという図にしか見えなかった。
事実、その通りであったわけだが、会社のお偉いさんたちにすれば、針のムシロである。
来客の目に、この場の情景がどう映っているかと思うと、気が気でなかった。
〈何だ、この会社は。あんなヤクザみたいな連中に脅かされて、ペコペコ頭さげて、そんなに何か良からぬことをしてるのか?〉
というふうに見られているとしたら、社会的信用はガタ落ちであった。
「わかりました。そちらさまの納得するような形でやらせていただきますので、どうか今日のところはひとつこのへんで……」
追いつめられた会社側は、一刻も早くこの状況を終わらせたかったから、ほとんど相手のいいなりに話を進めるしかなかった。
M氏にすれば、してやったり──といったところで、内心で快哉を叫んだのだった。
作戦勝ちであろう。
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この続きは幻冬舎アウトロー文庫『ヤクザに学ぶ交渉術』でお楽しみください。