理論武装、いちゃもん、因縁、いいがかり、難クセ……。さまざまなテクニックを駆使する「ヤクザ」の交渉術は、意外や意外、ビジネスパーソンにも参考になる部分が多々あります。そのテクニックを豊富な実例とともに紹介するのが、裏社会の事情にくわしい山平重樹さんの『ヤクザに学ぶ交渉術』。読めばこっそり試したくなる本書から、一部を抜粋してお届けします。
ヤクザは“交渉”ひとつひとつが命がけ
現代はネゴシエーションの時代であるという。何ごとにおいてもネゴシエーション──交渉・掛けあいの重要性はいまさらいうまでもないであろう。確かに大は国際政治から小は主婦の買い物の場に至るまで、われわれの日常生活は“交渉”から成り立っている。
ビジネスマンの仕事の大半は交渉ごとである──とするなら、それ以上に“交渉”を生活における根幹、最重要テーマとしている集団がヤクザ社会であろう。
《どのような交渉事においても全身を「肝」にせよ。どんなことがあっても顔色を変えて「肚」を読まれてはならない》
とは、ある組織が掲げている「若者心得」の一項目だが、これをもってしても、彼らが交渉ごとをいかに重要と考えているか、またそこで決め手になるのは胆力であると認識していることも見てとれよう。
たとえば、組織同士でひとたびトラブルが生じたとき、ドンパチを防ぐためにはどうしても話しあい──掛けあいというものが必要になってくる。それはまさに体を張ったやりとりになるわけで、いったんこじれてしまえば即抗争に発展せざるを得なくなる。
舐められたらおまんまの食いあげとなるのがヤクザ社会である。掛けあいはヤクザの生命線であり、性根がかかっているといっても過言ではあるまい。下手な話のつけようでは指を詰めるだけでは済まず、組織が潰滅的な打撃を受けてしまうことだってあり得よう。
となると、掛けあいはヤクザにおけるもうひとつの命を賭けた抗争といってもいいだろう。カタギ社会における交渉ごととの決定的な違いはそこである。
カタギは交渉で失敗してもピストルの弾が飛ぶことはまずあるまい。
ところが、そうはいかないのがヤクザの世界で、失敗は許されないし、ごめんなさいで済む問題ではなくなってくる。指も飛ぶし、弾も飛ぶ。ましてこの時代、ますます喧嘩御法度となったヤクザ社会において、交渉ごと・掛けあいの重要性は昔の比ではあるまい。
圧倒的に不利な交渉もひっくり返す伝説の親分・浜本政吉
さて、そういう意味で、ヤクザ界には、掛けあいの凄さということでいまも語り草になっている伝説的な親分がいる。
東京・赤坂に居を置いたことから晩年は“赤坂の天皇”とも呼称され、住吉会の最高顧問をつとめた浜本政吉である。
「負けん気と喧嘩の掛けあいは天下一品。どんなに状況が悪く、がけっぷちに追いこまれても強気一辺倒。普通ならガケから落っこちてしまうような場面でも、片足ケンケンになるまでツッパる人でした」
と若い時分からの浜本を知る人はいう。
そんな常人には及びもつかない性根、捨て身ぶりが、若いころ、“バカ政”と異名をつけられたゆえんであろう。
よくいわれる浜本の掛けあいの凄みを、元側近はこう証言する。
「そりゃ、ひと言ひと言が勝負の世界ですからね。こっちが三分で向こうが七分くらいの有利で来る場面でも、浜本はまず向こうの話をジイッと聞いてます。ひと言間違った言葉を吐いたら、そこでバーンといくんです。そうすると五分五分になります。
そのうちに立場が反対になっています。帰りには、先方がすいません、と帰っていかなきゃならなくなる。そういう掛けあいはうまかったですね。
ただ、相手が悪くて『申しわけない』と詫びてきたときには、それで許してましたね。腹には何もない人でした。浜本と深いつきあいをするようになった人で、最初はそういうケースで詫びに来たのがきっかけという人は、結構いるんです」
圧倒的に不利な局面でも、浜本にかかると、いつのまにかそれがひっくり返っていたわけである。こんな鬼気迫る啖呵がどこから出るのだろうと思うくらいの圧倒的な迫力で、相手はぐうの音も出なくなったという。気合い一発である。
損得しか頭にない人間は弱い
浜本政吉という親分の独壇場でもあったわけだが、浜本に限らず、ヤクザの世界ではこうした絶対的な不利な状況下、掛けあい次第ではそれをはねのけ五分五分に持ちこむケースも起こりうるという。では、そうした逆転劇はどうして可能なのだろうか。
「結局、相手が七、八分という圧倒的な有利さのうえにのっかって隙ができてしまうということだろうな。つい不用意な発言をポロッと漏らしてしまう。われわれの世界じゃ、それが命とりになる。言葉尻をとらえられるようなことをいっちゃダメなんだ。
『わかった。今度の一件はうちが悪い。だが、いま、あんたがいったことは何だ。今度の件とはまったく別問題だ。絶対許さん。尻をとるぞ。さあ、このケジメ、どうつけるつもりだ。なんなら、このケツ、そっちの上に持ちこんでもいいんだぞ』
ってな具合いになってしまうんだな」(組関係者)
ケツというのは、責任というような意味あいで使われる業界用語だが、こうなるとたちまち形勢逆転である。
だが、本来、追いこまれて余裕のないはずの人間が、瀬戸際でこういう啖呵を吐き、こういう所作をするというのは誰にでもできるわけではなく、千両役者ならではのこと。
「捨て身で開き直れるヤツが強いんですよ。相手が七、八分の有利といったって、〇対十ではない。〇対十じゃ交渉じゃなくて、頭下げてごめんなさいという話だ。
二対八なら二があるから話ができるわけで、その八を金銭で解決しておいて、ところで、この二をどうするんだってことで押し通したら、二対八でも引っくり返るんですよ。
交渉ごとというのはすべからくおカネに結びつく。カネに無縁なようであっても、権利であったり、何かで生産的なものに関わってる。何か対価を求めて物事をやってるわけだから、それがカネはいらないよ、なんなら倍にして払ってやるけど、これどうするんだっていわれたら困るよ。
損得抜きで面子とか立場、主義主張、信用の問題といったことを持ちだされると、損得しか頭にない人間は弱いんだ」
とは、別の組関係者の弁だ。
かつて関西には強者の大物組長がいて、およそ二対八ぐらいで立場が悪い状況でも、掛けあいでは八の非を詫びるどころか、二のほうの正当性を強硬に押し通すのがつねだったという。
たとえば、若い衆がよその組の者と揉め、相手を殺めてしまったことがあった。喧嘩の原因はささいなことで、どちらが悪いともいえなかったから、これはどうしても殺した側のほうが〇対十とはいわないまでも、かなりの比率で分が悪いのは明らかだった。
ところが、この組長、掛けあいの席では詫びるより何より、
「うちの大事な若い衆を長い懲役に行かせなきゃならないような真似をさらしくさって……いったいこの始末はどうつけてくれるんや!?」
と迫ったという。
これには相手も唖然としたのは間違いない。八対二もしくは九対一ぐらいの有利な立場で臨んでいるはずなのに、まるで逆の相手の態度に、
〈あれっ、こっちが悪かったんだっけ?〉
と思わずポカンとしたことだろう。
役者が一枚上、気合い勝ちといったところだ。
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この続きは幻冬舎アウトロー文庫『ヤクザに学ぶ交渉術』でお楽しみください。