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パーティーが終わって、中年が始まる

2024.06.28 公開 ツイート

「ネットには世界のすべてがある」ウェブ2.0へ夢を見た“青春”とその終わり pha

かつて「日本一有名なニート」と呼ばれ、定職につかず、家族を持たず、気ままに生きることを最上の価値としてきたphaさんが、年を重ねるなかで感じた自身の変化。最新刊『パーティーが終わって、中年が始まる』から、若さの魔法がとけた人生と向き合う日々を抜粋してお届けします。

ウェブ2.0と青春

一時期はあんなに嫌いだった、ツイッター(現X)の「おすすめ」タイムラインに、だんだん慣れてきてしまった。

ツイッターにはもともと、フォローしている人のつぶやきが時系列順に並ぶという、一種類のタイムラインしかなかった。ところがあるときから、ユーザーの好みに合わせてツイッター社がおすすめするつぶやきが並ぶタイムラインが登場した。これが「おすすめ」タイムラインだ(英語では「For You」)。

最初は、「おすすめ」なんて全く要らない機能だと思っていた。フォローしていない人の興味のないつぶやきが流れてくるのがストレスだったからだ。時系列順に並んでないと理解できないつぶやきが意味不明になってしまうのも嫌だった。

自分の見たいものは自分で決める。おすすめアルゴリズムなんかに決められたくない。経営に困っているなら、多少課金してもいいから、何も加工していない素のタイムラインを見せてくれ、と強く思っていた。

しかし、あまりにもゴリ押しされたせいもあるけれど、最近、「おすすめ」でもいいか、と思っている自分に気がついた。

なんとなく拒絶感を持っていたけれど、確かに何も加工していない素のタイムラインを見るより「おすすめ」のほうが刺激的で面白い投稿が多い。

他のサービスを見回せば、ツイッター以外のウェブサービスは、ユーチューブもインスタグラムも、全部おすすめ的なタイムラインを採用している。それはそういうものだ、と思って気にせず見ていた。

それなら、ツイッターがそうなっても特に問題はないのだろう。

ただ、「おすすめ」タイムラインが採用されることで、ツイッターも普通のSNSになってしまったな、と感じた部分はあった。

では、普通のSNSになるまでは、なんだったのか。

多分、誰かが管理するSNSではない、生のインターネットの混沌、みたいなものを自分はツイッターに求めていたのだ。

しかし、その無編集の混沌に、いい加減疲れきっていたのかもしれない。

「おすすめ」タイムラインが快適になってきたのは、アルゴリズムが進化して、よりクオリティが上がったせいもあるのだろう。

しかしそれだけではなく、ウェブの空気感の変化というか時代の変化というか、自分の中でひとつの時代が終わったのだ、という感慨がある。

一体何が終わったのだろうか。それは、二十年近く前に「ウェブ2.0」という概念がもてはやされた頃に自分に刻み込まれた、「ウェブを利用してよりよい自分やよりよい世界を目指していくべきだ」という思想だ。

今はもう、よりよい自分なんて目指さなくていい。AIのおすすめに従って、AIの与えてくれるものを享受していればいい。

そのほうが、自分で決めるより幸福度が高い気がする。

ウェブ2.0というのは二〇〇〇年代半ば頃に流行した概念で、当時新しく出てきていたブログやSNS、ウィキなどによる、新しいウェブの流れを指していた。

大まかな雰囲気としては、

「今までのウェブは技術や資産のある一部の人だけが使えるものだったけれど、今は誰でもブログやSNSを使えるようになった。これからは誰もが平等に発信者になれる時代だ。みんなの投稿でウェブ上に人類の叡智(えいち)が集まっていって、その集合知を誰でも無料で使えるようになる。そのことによって世界はよりよく変わっていくだろう」

といった感じだった。

とにかく、ここから新しいものが始まっていく、これからどんどん人類の社会は進化していく、という希望に満ちた雰囲気があったのだ。

僕自身も、その雰囲気に大きく影響を受けた一人だった。会社を辞めて上京したのも、インターネットでいろんな人とつながって、インターネットにすべてを発信していればなんとかなる、と思っていたからだった。

ネットには世界のすべてがあると思っていた。できるだけ多くのRSSフィードをライブドアリーダーに登録することで、誰よりも世界を把握できると思っていた。

インターネットには、リアルでは吐き出せない本音がたくさん漂っている。上っ面だけの会話をするよりも、ネットを見たほうが人間の本当の姿を見ることができるはずだ。

ネット以前の人間は、会社や家庭などの限られた数の人間としか交流を持てなかった。でも今のわれわれは違う。ネットを使うことで、数千、数万の人間とつながることができる。

少ない人間としか接していないと考え方も偏狭なものになってしまう。それに比べて、ネットで厖大(ぼうだい)な数の人間の情報にアクセスできるようになった自分たちは、バランスのよい、視野の広い考え方を身につけられるはずだ。

そう思って、毎日毎日高速で何百何千ものフィードを読み続けていた。ひたすら大量の情報を読むことで、もっとすごい自分になれると思っていた。ネットにつながり続けることで、どんどん自分が拡張していって、どこまでも行けるような気がしていた。

ちなみに、ウェブ2.0が話題になった時点では、まだスマホもツイッターも登場していない。当時のウェブのトレンドは、誰でもブログを書けるようになり、ウィキペディアに知識が集積され、グーグルがすべてを検索可能にする、といったところだった。

その後、ゼロ年代の後半にツイッターとスマホが普及し、情報の発信はますます誰でもできる手軽なものになっていく。

一部の新しいもの好きだけが使うインターネットから、誰もが使うインターネットへ。ユーザーが増えるにつれて、広告を通してネット上で経済も回るようになり、たくさんの企業が参入していった。

それから十数年が経った。

当時よりさらにテクノロジーは進んで、ネットは便利になった。しかし、今のネットはいつも争いや炎上があふれていて、とても疲れる場所になってしまった。

今から振り返ると、昔みんながウェブの未来に抱いていた夢は、楽観的すぎたのだろう、と思う。あの頃はなぜ、ウェブが進化するとみんなが幸せになれると、あんなに無邪気に信じられていたのか。

結局、ウェブ2・0が描いていた理想というのは、性善説に基づいていたということなのだろう。

一部の新しいもの好きの人たちだけがネットのメインユーザーだった頃は、それでもうまく回っていた。みんながネットがよくなるために無償で貢献し、その成果をみんなが無料で受け取ることができた。

現実の資産を全人類に平等に分類するのは難しいけれど、ネット上に置かれた知的な資産は、すべての人類が無料でアクセスできる。そこには現実世界では実現できなかった、平等で理想的な世界が広がっているように思えた。

だけど、ネットが一般化して、ユーザーが大衆化した結果、現実世界と同じように、善意だけでは秩序を守れなくなった。

現実では出会うことのない人たちが出会ったり、現実では見ることのない本音にアクセスできるようになった結果、人々は無限にぶつかり合うことになった。ヘイトを煽(あお)るようなコンテンツでアクセスやお金を稼ぐ人間も増えた。

ツイッターは、人間の怒りや嫉妬と相性が良すぎた。ツイッターは、人間の集合知を集める場所ではなく、人間の負の感情を増幅させる装置になってしまった。

人間の感情や認識はネットがない世界で発達したものなので、ネットには向いていないのかもしれない。人類にはネットは早すぎたのだ。

制限のないまま人間たちを閉じた空間に放り込むと、トラブルばかりが起こって誰も幸せにならない。だから、システムの側で、トラブルが起きないように管理してもらったほうがいいのだろう。AIによるおすすめを見ているほうが平和で楽しく過ごせるのなら、それでいいのかもしれない。

今はツイッターを見てもユーチューブを見ても、自分の好みのコンテンツが無限におすすめで流れてくる。その情報の洪水から感じ取れるメッセージは「特に向上なんてしなくていい。この無限のぬるま湯の中に浸っていればいい」というものだ。

かつてのインターネットは自分をより自由にしてくれて、よい方向へと変化させてくれるものだった。それに対して今のインターネットは、自分をひたすら自分のままで甘やかしてくれるものになった。

今はもうそんなに成長したいとも思わない。AIがいい感じに調整してくれたコンテンツを見ていればいい。どうせ、AIのほうがこちらよりも有能なんだし、自分で考える必要はない。もう、がんばらなくていい。

そんな自分を、ネットに無限の可能性を感じていた二〇〇七年の自分が見たら、堕落した、と蔑むだろう。

ただ、向上心がなくなってしまったのは、ネットの情勢の変化とは別に、自分が単に年をとって、二十代から四十代に変化してしまったせいなのかもしれない。今の若い世代は、今のネットの状況でも、「ネットでどんどん面白いことをしていくぞ、俺たちはこれからだ」と思っているだろう。

自分の加齢による変化とネットの情勢の変化がちょうどシンクロしていて、どちらがどれだけ要因になっているのかわからない。

今わかるのは、自分がかつて信じていたやり方は時代遅れになった、ということだけだ。

どうすればいいんだろう。わからない。全部AIに決めてもらえばいいか。

関連書籍

pha『パーティーが終わって、中年が始まる』

定職に就かず、家族を持たず、 不完全なまま逃げ切りたい―― 元「日本一有名なニート」がまさかの中年クライシス!? 赤裸々に綴る衰退のスケッチ 「全てのものが移り変わっていってほしいと思っていた二十代や三十代の頃、怖いものは何もなかった。 何も大切なものはなくて、とにかく変化だけがほしかった。 この現状をぐちゃぐちゃにかき回してくれる何かをいつも求めていた。 喪失感さえ、娯楽のひとつとしか思っていなかった。」――本文より 若さの魔法がとけて、一回きりの人生の本番と向き合う日々を綴る。

pha『どこでもいいからどこかへ行きたい』

家にいるのが嫌になったら、突発的に旅に出 る。カプセルホテル、サウナ、ネットカフ ェ、泊まる場所はどこでもいい。時間のかか る高速バスと鈍行列車が好きだ。名物は食べ ない。景色も見ない。でも、場所が変われば、 考え方が変わる。気持ちが変わる。大事なの は、日常から距離をとること。生き方をラク にする、ふらふらと移動することのススメ。

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パーティーが終わって、中年が始まる

元「日本一有名なニート」phaさんによるエッセイ『パーティーが終わって、中年が始まる』について

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pha

1978年生まれ。大阪府出身。京都大学卒業後、就職したものの働きたくなくて社内ニートになる。2007年に退職して上京。定職につかず「ニート」を名乗りつつ、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作る。2019年にシェアハウスを解散して、一人暮らしに。著書は『持たない幸福論』『がんばらない練習』『どこでもいいからどこかへ行きたい』(いずれも幻冬舎)、『しないことリスト』(大和書房)、『人生の土台となる読書 』(ダイヤモンド社)など多数。現在は、文筆活動を行いながら、東京・高円寺の書店、蟹ブックスでスタッフとして勤務している。Xアカウント:@pha

 

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