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衰えません、死ぬまでは。

2024.06.30 公開 ポスト

第16話 目指すならファイヤーよりもフィフジョ? 後半

若い人の憧れるFIREはほんとに楽しいか?…死ぬときのことを考えてみた宮田珠己

どんな老後を迎え、どういう形で人生を終えたいと思っているのか?どうなれば満足して死ねるのか?

*   *   *

昨今、ファイヤー(Financial Independence, Retire Early)に憧れる若い人が、YouTubeなどに動画を上げているのを見ることがある。海外のきれいなマンションに住んだり、海沿いのコテージみたいなところでパソコンを開いて何かしていたり、夫婦で小さな車を車中泊できる仕様にして日本一周していたり、どこまで実態を表しているのか知れない動画がたくさんあって、そういう人はあくせく働かなくていいだけの資産を築いたことになっている。

 

経済的に独立し、早々に仕事を辞めて悠々自適で過ごす。

(写真:宮田珠己})

どう生きようが人の勝手だと思うが、個人的にファイヤーはさっぱり共感できない。ファイヤーのファイ(経済的独立)の部分はいいけれど、ヤー(早期リタイア)の部分がつまらなそうだからだ。

死ぬまで安泰に暮らせる大金が手に入ったとして、その後何をして生きるのか。楽しく遊んで暮らすつもりだとしたら、絶対それ飽きるよと私は言いたい。

もちろん私だって遊ぶのは好きだ。とりわけ旅行は昔から大好きで、20代30代の頃は主にアジアを長期に旅してまわる、いわゆるバックパッカーだった。一生旅行ばかりして暮らせたら、どんなに楽しいだろうと夢想したこともある。なので生きるのに十分な大金が手に入ったら、思う存分旅行したい気持ちはわかる。

でもそれはゴールではない。

むしろ人生の準備運動のようなものではないのだろうか。

まあ、私はもう早期リタイアという年齢ではなく、ふつうにリタイアな人なのだが、だからといって後は旅行ばかりして気ままに暮らしたいとは思わない。

そもそも、50代60代と、20代30代の旅行ではわけが違う。若いときと同じような旅はもはや不可能だ。それは体力的というより、精神的な部分で、未来がたっぷりある若者と、先の見え始めたリタイア世代とでは、旅がもたらす興奮、そのビビッドさ、心への食い込み具合は雲泥の差がある。

好奇心が摩耗したとは思いたくないが、やはり若いときの異国体験は強烈なインパクトがあり、自由があり、感動があった。

もし今思う存分世界を旅したとしても、あの何でも吸収できたスポンジのような感性はもうない。

(写真:宮田珠己)

逆に知識が増進した分、知的な感動などは昔よりあるかもしれないので、旅が無意味とは思わないにしても、今はどっちかというとふつうに観光をして、どこか寛げる街やリゾートでのんびり滞在するほうがしっくりくるだろう。

でも、高級リゾートを旅しながらのんびり暮らすみたいなことが楽しいのは、最初のうちだけではなかろうか。

贅沢言うなと叱られそうだが、ずっと旅行していたら慣れてしまって、最後は退屈になるんじゃないだろうか。

ファイヤー動画で、そんな生活を見せつけている人は、むしろそういう姿を人にうらやましがられたいだけという気がする。

私ならきっと虚しくなる。

好きでもないブルシット・ジョブや、ブラック企業で働き続けるよりはマシにしても、何かを生産したり人の役に立ったりするほうが、遊び暮らすよりずっと面白いと思うのだ。

なので、ファイはいいとして、ヤーの部分は、早期リタイアでなく、好きな仕事に就きたい。

経済的独立が果たせているなら、採算を考えずに好きな仕事ができる。つまり、Financial Independence, Favorite Jobこそ目指したいものだ。

略してファイヤーならぬファイ……フジョ……フィフジョ……んー、まあ無理に略さなくてもいい。

とにかく私は死ぬまで自分の仕事、自分にしかできない仕事をやり続けられることが一番幸せだと考える。

今のところそんな仕事として思いつくのは、物を書くことだが、ひょっとすると他にもっと直接的に誰かの役に立つ、それでいて自分の性格にも合う仕事が見つかるかもしれない。

そのほうが優雅に暮らすより生きる充実感が得られるだけでなく、実はそこには大きな利点もある。

それは、死ぬ直前まで何かに集中していられることである。人生の最期、死が近いことが明らかになったら、やっぱり怖いにちがいない。そんなとき集中できる仕事があれば、眼前の死から目をそらすことができるのではないか。

実際そこまでの状況になったことがないから、想像でしかないけれど、そのときやるべきこと、やりたいことが自分にあれば、束の間、死の恐怖を忘れられないだろうか。

(写真:宮田珠己)

スポーツの試合でも、過度に集中していると途中で怪我をしても気づかなかったり痛みを感じなかったりする場合がある。あれを人生に応用するのである。

自分が死にそうなことを忘れる。もしくは、忘れてないけどそれどころじゃない。

これこそベストな死に方では?

いや、それより最期は自宅でのんびり過ごし、子や孫に囲まれながら逝きたいという声も当然あるだろう。それは否定しないが、自分に限っては、仕事中に気がついたら死んでいたい。

その場合、最後の仕事は未完で終わることになるだろう。ああ、もっと時間があったら、と無念さを抱いて死ぬかもしれないが、そこはあきらめる。どうしたって何かは未完のまま終わるのだ。

この死に方に問題があるとしたら、最後はボケて仕事なんかできない可能性があることだ。

ボケたらボケたで死を忘れられて幸せだという人もある。そうかもしれないけど、実際にボケてみないと、そのとき自分が何を考えているかわからないから、現段階ではボケには期待はしない。

さらに死ぬ直前までそんな体力が残っているのかという問題もある。

そう、だから体力が重要なのだ。

(写真:宮田珠己)

今より衰えるのは避けられないとしても、せめて好きな仕事に打ち込めるだけの体力は残しておきたい。

とにかく私は今後ファイヤーのように遊んで暮らす気はまったくない。目指すは……フィ…… フィフジョ……だ。

これが人生をどういう形で締めくくりたいか、への私の答えだ。

もちろんそんな答えが出たところで、朝、悲観的な気分で目覚めることがなくなるわけではないし、健康、お金、介護などの現実問題は何も解決していないけれど、少し気が楽にならないこともない。

つまり、できる範囲で死ぬまで働けばいいだけのことか、と思えるから。

還暦過ぎたら、働かないで済むのが理想的な人生であり、齢をとっても働き続けるのは負け組であるかのように、なんとなく思い込んでいたけど、そんなことはない。いや、実際に負け組であっても構わない。それより、死ぬまで未来に向かって自分なりに進んでいけたら、それが一番楽しいんじゃないか。そしてその途上でプツンと死ねたら、それが一番楽なんじゃないか。

そんなふうに思うのである。

 

(本連載は「小説幻冬」でも掲載中です。次号もお楽しみに!)

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衰えません、死ぬまでは。

旅好きで世界中、日本中をてくてく歩いてきた還暦前の中年(もと陸上部!)が、老いを感じ、なんだか悶々。まじめに老化と向き合おうと一念発起。……したものの、自分でやろうと決めた筋トレも、始めてみれば愚痴ばかり。
怠け者作家が、老化にささやかな反抗を続ける日々を綴るエッセイ。

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宮田珠己

旅と石ころと変な生きものを愛し、いかに仕事をサボって楽しく過ごすかを追究している作家兼エッセイスト。その作風は、読めば仕事のやる気がゼロになると、働きたくない人たちの間で高く評価されている。著書は『ときどき意味もなくずんずん歩く』『ニッポン47都道府県 正直観光案内』『いい感じの石ころを拾いに』『四次元温泉日記』『だいたい四国八十八ヶ所』『のぞく図鑑 穴 気になるコレクション』『明日ロト7が私を救う』『路上のセンス・オブ・ワンダーと遥かなるそこらへんの旅』など、ユルくて変な本ばかり多数。東洋奇譚をもとにした初の小説『アーサー・マンデヴィルの不合理な冒険』で、新境地を開いた。

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