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夜のオネエサン@文化系

2024.06.28 公開 ポスト

結婚するとかしないとか~『ニュートーキョーカモフラージュアワー』(松本千秋)鈴木涼美

最近、自宅兼仕事場の引っ越し(とは言っても徒歩三分くらいの距離で)をしたのだけど、それでマンションのフロア内を挨拶に回ってみると、私がここ半年でいかに社会的に無害な存在になったのか痛感した。前回の引っ越しは四年と少し前で、エリアもマンションの規模も今回と似ているのに、私はまだ有害の可能性を多分に秘めていたのか、同じフロアで衒いのない笑顔でおしゃべりしてくれたのはすぐ隣の部屋の七十代のご夫婦くらいで、他の部屋ではやや警戒心を込めて全身を見定められていた気がする。別に誰も具体的に、うちの夫に手をつけそうだとか、美少年を集めて夜な夜なパーティーしそうだとか、赤ん坊の死体コレクションを並べる冷凍庫がありそうだとか思ったわけではないのだろうが、何となく夜遅そうだしタバコ臭いしゴミ出しとかいい加減そうだという風には見えたのだろう。

 

と、いうのは私の僻み癖かもしれないけど、とにかく今回夫婦で、しかもデカい腹で近所を回るとどこの家庭も大変優しかった。立ち話も「うちも小さい子がいるんですよ」的な感じで簡単に花が咲く。私が刺青だらけであることも夜遅いのもタバコ臭いのも、実はちょっと検索すれば無料でおっぱい画像が出てくることも、昔のお客に訴えられかけたことも、フリーの文筆業なんていう怪しい仕事をしていることも変わらないし、なんなら後ろに連れているのは元々悪名だかき売掛時代の売れっ子ホストなのだけど、それでも結婚しているという事実は周囲に安心感を与えるらしい。

そんなことは別に周囲や社会を批判しているわけではなくて、そういえば長らく独身世帯を貫いていた私自身がやはり似たような境遇の友人たちと、自分らのことを綺麗に棚に上げて、出会った男などに「あの歳で独身ってことはよっぽど変な性癖か、よっぽど変な性格か、よっぽど自分のこと大好きかだよね」「あるいは犯罪歴とかね」「借金まみれのギャンブル男か」と感想を漏らしていたと思う。自分らの自己認識としては別に変な性癖でも変な性格でもなければ犯罪歴もギャンブル癖もないのだから勝手なものなのだけど、単に自分と世帯を共にしたいという人が一人でもいれば成立してしまう結婚が、これだけ周囲に安心感を与えることには拍子抜けする。よく考えれば麻原彰晃だって林真須美だって既婚なのだけど、それはそれ的なことらしい。

こうして危険物一覧から削除された私ではあるものの、個人的に表現者というか物書きとしてのハクみたいなものはやっぱり独身とか、何度も離婚しているとか、サガンみたいに夫以外に男女両方の愛人がいるとか、ちょっと危険物臭がした方がある気もする。気がしたところで私にはきっとそういうアナーキーなところは実はなくて、若い頃に色々と危険物系の経験をしたのも自分にない奔放さに憧れていたからだろうし、長く結婚しなかったのも、私みたいに平和で無害そうな仏顔の人が結婚とかしたらいよいよ平和感満載になってしまうという危機感がどこかにあったからなような気もする。

『ニュートーキョーカモフラージュアワー』(松本千秋 少年画報社)

往生際悪く「若い娘」的生活を続けてきたのに、ではなんで結婚する気になったのか考えて、妊娠したとか流石に四十歳になれば別に結婚していなくても「若い娘」的生活の当事者っぽくなくなるとか相手のことが好きだったとかホストの本妻に憧れがあったとか色々あるっちゃあるし、どれも本当だけど本命じゃない、みたいな感じだったのだけど、松本千秋『ニュートーキョーカモフラージュアワー』(少年画報社)の最新刊を読んでいて、少し本命っぽい理由に行き当たった。松本千秋さんは私が最近割とずっと新刊を買い続けている漫画家さんで、愚かで賢くてリアルでチャーミングな、ようは私たちみたいな最近の東京の女のそこそこゴミっぽくそこそこキラついた生活を描かせたらピカイチだと思っている。

『ニュートーキョーカモフラージュアワー』はまさにそういう東京女の生活の一コマを鋭く意地悪に切り抜いて、女よりちょっぴりしょうもない男たちでトッピングしたみたいな作品集なのだけど、新刊の中に「その時なりの私たち」という短編があった。喫茶店で、十代っぽい学生女子二人がイケメンについて話している。その隣には彼女たちより十歳と少し年上らしきアラサー女二人。話題は「ときめきは無いんだけど一緒にいて落ち着く」年収四八〇万円くらいの微妙な男や最近紹介で知り合った「自分の家族がすっごく大事で両親のこと尊敬してるって言ってき」た年上男の結婚相手としての寸評。さらにその隣には、四十代半ばの老眼デビューしたばかりの女二人。徐々にカメラは四十代の二人にフォーカスしていく。

一人は二十代で結婚して子供も二人いる「ダイバーシティ」にそこそこ気を遣おうと頑張っている女で、もう一人は二十七歳になる若い恋人がいる独身女。どうやら独身女にも過去に結婚歴があるらしいが、結局「一人暮らしが性に合ってるんだ」と結婚願望はからきし無くなった様子。今時の若い男が結婚願望が希薄だから助かる、と、結婚を目的に恋愛してきたようなJJ的価値観からはとても遠い、しかし四十代独身の境地としてはリアルな感想を漏らす。

終盤、そんな彼女が過去の結婚について漏らすのはこんな一言。「別れちゃったけどあの時結婚して良かったとは思ってるよ」という彼女のその心は「ずっと孤独でいたら『誰かと暮らす方が幸せだったかも?』ってそっちの人生と比較できなくて今頃漠然と不安になってたと思うの」。

思えば私も、基本的にシングルガールな日々に何か不自由や具体的な不満があったわけでは無いけれど、全ての既婚女は元独身女で、私は独身女の生活しかしたことがなくて、もしかしたら食わず嫌いしているうちにめちゃくちゃ美味しかったかもしれない料理を知らないで死ぬのかも、とかいう謎な不安は常にあった。そんなこと言ったら全員が一度きりの人生、あっちに行ったら美味しかったかもという岐路をいくつも選択して間違えて後悔してそこそこ楽しんで生きているのだけど、何かいつかのタイミングで、楽しかった独り身の日々が間違ってたって思い当たるようなことがあったら嫌だなぁと思っていた。

しかも私は別にポリシーある非婚というわけではなかったから、岐路で片方を選んだというより、選ぶことを放棄して、岐路に気付かぬふりして遊んでいるような「これでいいのか」感があったとも思う。何かやらかしたことで後悔するのは慣れているし割と得意ですらあるけれど、何も選ばずに時間が過ぎ去ることにはちょっとした焦りが生じる。だから逆に、独身は楽しいし別に惨めでは無い、というようなことが堂々と自信をもって言える様になったこともまた、結婚して良かったことの一つでもある。

とはいえまだ既婚女になってみて半年で、あっちのが向いているとかこっちのが向いているとか言えるような経験は無い気がするのだけど、若い頃、三十になったらもう女として終わりでしょと思っていたほど、二十九位歳の頃、四十になるまではなんとか平気っしょと思っていたほど、歳をとった今の生活に「終わり」感は無い。「若い娘」的生活に無理が生じたところで若い時には若い時なりの無理をしながら生きてきたわけだし、若さ故の、今から思えばプププと笑いたくなる滑稽さというのを散々晒してきたと思うし、私が十代の時に憧れたちょっと年上のお姉さんたち(安室奈美恵とか安野モヨコとか山田詠美とか)はみんな私よりさらに歳取っているし結婚したり離婚したり独身でいたりしながらそれで一つも燻んではいないわけだし、私たちの、なんとなく燻んで見えていた若い娘以降の東京の生活は明るいと思う。

ちなみに『ニュートーキョー』の中に、彼女へのLINEの中で知的っぽく聞こえそうな借り物の言葉を纏って人をディスる、「もしかしてバカ」な男が出てくるのだけど、こういう男と出会ってふんわり女友達と彼へのリディキュールとクリティークで盛り上がる時間さえ失わないのであれば、結婚生活が不自由とはいまのところ思わない。そういう時間を失って、失ったことさえ気づかないなんていう恐ろしいことが起こる前にせめて自分が失っているものに気づくためにも、これからも良い漫画や良い小説に齧り付いて生きていきたいと思います。

こちらの幻冬舎プラスで新連載が始まるため、読んだものや見たものの備忘録兼唯一の身辺雑記として長く続けてきたこの連載を一旦休載することになりました。でもお気に入りの連載なので時々カムバックしたり、新連載が終わった後に復活したりしたいなぁと思っています。長く読んでくださってありがとうございました。

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夜のオネエサン@文化系

夜のオネエサンが帰ってきた! 今度のオネエサンは文化系。映画やドラマ、本など、旬のエンタメを糸口に、半径1メートル圏内の恋愛・仕事話から人生の深淵まで、めくるめく文体で語り尽くします。

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鈴木涼美

1983年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学卒。東京大学大学院修士課程修了。小説『ギフテッド』が第167回芥川賞候補、『グレイスレス』が第168回芥川賞候補。著書に『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』『愛と子宮に花束を 夜のオネエサンの母娘論』『おじさんメモリアル』『ニッポンのおじさん』『往復書簡 限界から始まる』(共著)『娼婦の本棚』『8cmヒールのニュースショー』『「AV女優」の社会学 増補新版』『浮き身』などがある。

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