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分断を乗り越えるためのイスラム入門

2024.08.13 公開 ポスト

飲食店が安易に「ハラール」と表示してはいけない理由内藤正典

1400年前に誕生し、いまだに「生きる知恵の体系」として力を持つ宗教・イスラム。世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代の、必須教養としてのイスラムをまとめた幻冬舎新書『分断を乗り越えるためのイスラム入門』より、一部を抜粋してお届けします。

ムスリムが飲食できないのは豚、酒、血

食べていいか、食べてはいけないか、という話になると、必ず出てくるのが「ハラール」という用語です。これは(神によって)「許されている」という意味です。反対に禁じられているものは「ハラーム」と言います。

ともに食べ物だけを指すわけではなく、行為にも使われます。利子をとる取引は「ハラーム」、公正な取引は「ハラール」というようにです。

ハラールは、日本では、もっぱらムスリムが食べられるものを指す言葉として使われてきました。近年はインバウンドの観光客やイスラム圏からの労働者に対応するために関心を呼んでいます。食べられないのは、豚肉(由来の製品も)、酒を含むもの(アルコールが飛んでいれば基本的に問題なし)、そしてです。

豚は禁じられていますが、知らずに食べてしまった場合、ほかに食べるものがなかった場合には仕方ないとコーランに記されています。

日本人は、よく「どうして豚を食べないの?」とムスリムに尋ねますが、あれはやめた方がよいと思います。ムスリムには豚が食べ物に見えていないからです。この質問は、日本人に「どうして猫を食べないの?」と聞くようなものです。日本人は猫を食べ物だと思わないでしょうから、聞かれたら、気持ちの悪いものです。

 

もう一つの血ですが、食べるときに血が残っていてはいけません。羊や牛を食肉に加工する際には、神の名を唱えて頸動脈を切って失血死させる必要があります。血がしたたるようなステーキも、多くのムスリムにとっては気持ちが悪くて食べられないものです。

しかし、食べている肉が、イスラム的に正しく処理されたかどうかは、食べる本人にはわかりません。イスラム圏ならば、イスラムに従って処理されていますが、日本のように非イスラム圏の場合は異なります。

そこで、コーランにも書かれている「他の一神教徒に許されているものはムスリムにも許されている」という教えを援用して、アメリカやオーストラリアのようなキリスト教国からの輸入肉なら食べる人もいます。

逆に国産だと、きちんとイスラムの教えに従って処理したかどうかが問われます。

「ハラール」と表示する際の問題点

このハラールをビジネスにするには注意が必要です。

詳しく見ていくと、食肉加工の方法から、調理の方法や器具にいたるまで、細かく規定されます。そういう条件をクリアすると、ハラール認証団体が証書を出してくれるのですが、これがなかなか難しい問題になります。

先に書いたように、ハラールとは「神によって許された」というのがもとの意味ですから、神ではない人間にハラールかどうか判断できるのか、という問題です。もちろん、イスラムの先生(法学者)たちが議論をして、これならよかろうという基準をつくるので、認証がいい加減だというのではありません。

しかし、特定の国の団体が認証するとなると、必ず争いが起きます。ある国が、うちの認証こそ正統だと主張すると、別の国が、いやいやうちの認証の方がもっと正しいと言い出します。これでは収拾がつかなくなります。

それに、認証のためにお金をとっていることも問題になる可能性があります。まるで神の教え(イスラム)で商売をしているように見えるからです。神の啓示を非ムスリムに教えることでお金をとることは、本来、禁じられています。信仰で商売してはいけないのです。そこで、信徒のなかには、ハラール認証を詐欺まがいの行為として批判する人もいます。

 

信者でない日本人には、難しいし面倒です。もし、ムスリムのお客さんをもてなすなら、食材に何を使ったか、どうやってつくったかをメニューに書き添えればいいでしょう。具体的には、豚と酒と血を使っているかどうかをメニューに表記するということです。

日本には、血を使う料理はほとんどありませんが、豚とその加工品のハムやソーセージ、ベーコン、そしてラードやゼラチンのように豚由来の成分を含むかどうか、酒については、アルコール分を含んでいるか、それとも調理の途中で酒やみりんを加えたが加熱して飛ばしたかどうか、そういうことです。

細かいことを言えば、醤油にも微量のアルコールが入っていますが、それならそうと書けばよいのです。「ただし小さい子が食事の際に醤油を使っても酔うことはありません」と書いておけばよいでしょう。

後はムスリムの判断にまかせればいいのです。それだけでは不十分だとクレームをつける客は、まずいません。こちらはムスリムではないのですから、正直が第一です。

 

日本のレストラン経営者は、宗教の違いによるクレーム対応を心配しますが、実は「ハラール」と書かないかぎり、心配はいりません。逆に「ハラール」と表示してしまうと、突っ込まれたときに困ることになります。

ハラール認証を取って、店のウィンドウに「ハラール」と書いたステッカーを貼るのはいいのですが、店内で酒を売ったりするとクレームが来ます。

店の外に堂々と「ハラール」と表示すると、客はお店が丸ごとハラールだと思います。なのに、なかでは日本人が酒を飲んでいるというのでは、これは詐欺だと文句を言いたくなるでしょう。「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」です。

関連書籍

内藤正典『分断を乗り越えるためのイスラム入門』

21世紀に入り欧米諸国にとって最大の脅威はイスラム勢力だった。だが、欧米がイスラムを理解せず、自分たちの価値観を押しつけようとしたことが、対立をより深刻にしたのは否めない。1400年前に誕生し、いまだに「生きる知恵の体系」として力を持ち、信者を増やし続ける宗教・イスラム。その教えの強さはどこにあるのか。暴力的・自由がない・人権を認めない等、欧米が抱くイメージはなぜ生まれ、どこが間違っているのか。世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代の、必須教養としてのイスラム入門。

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分断を乗り越えるためのイスラム入門

1400年前に誕生し、いまだに「生きる知恵の体系」として力を持つ宗教・イスラム。世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代の、必須教養としてのイスラムをまとめた幻冬舎新書『分断を乗り越えるためのイスラム入門』より、一部を抜粋してお届けします。

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内藤正典

1956年東京都生まれ。同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。一橋大学名誉教授。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。同大学院理学系研究科地理学専門課程(博士課程)中退。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。『トルコから世界を見る』(ちくまQブックス)、『なぜ、イスラームと衝突し続けるのか』(明石書店)、『イスラームからヨーロッパをみる』(岩波新書)、『となりのイスラム』(ミシマ社)ほか著書多数。

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