1400年前に誕生し、いまだに「生きる知恵の体系」として力を持つ宗教・イスラム。世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代の、必須教養としてのイスラムをまとめた幻冬舎新書『分断を乗り越えるためのイスラム入門』より、一部を抜粋してお届けします。
イスラムに女性の教育を禁じる教えはない
「イスラムの強さ」は、ムスリムに共通しています。強さの源泉は、さまざまに分岐していくイスラムのなかにあるのではなく、原点のコーランとハディースのなかにあります。
しかし、現実のムスリム社会は、歴史的、地域的に根付いてきたさまざまな混ざりものによって、本来のイスラムとは違う価値観を重視することもあります。2022年に問題になったアフガニスタンの女子生徒や大学生の登校禁止、NGOへの女性の参加禁止もそうです。
イスラムには女性の教育を禁じる教えなどありません。それを禁じることにイスラムから見て合理性があるとすれば、教育の場としての学校にイスラムにはふさわしくないものがあるか、教育内容にふさわしくないものがあるかのいずれかです。
アメリカ軍が撤退し、アフガニスタンはすでにタリバンの手にあります。アメリカが残した西欧的な教育に不満なら、それを変えれば済むはずで、教育の機会を奪う理由はありません。
タリバン政権のイスラム指導者たちのなかに、伝統的で家父長制的な価値観から、女子は家にいて家庭を守るべきだというような考えをもつ人がいるのかもしれません。
これは私の推測ですが、タリバン政権では、原則論に忠実な強硬派(武装闘争では過激派とされた人たち)ではなく、ローカルで保守的な価値観を重視するような人たちが意思決定の中枢にいて、女性に教育はいらないというような方向に政権を引っ張ってしまったのではないかと思うのです。
こんなことは、イスラムの本質とは関係ありません。私から見ると、信仰への「混ざりもの」です。イスラムで言う知識とは、アッラーの啓示であるコーランを学び、ムハンマドの言行(スンナ)を学ぶことです。つまり、イスラムを正しく「学ぶこと」で得られるものです。
教育を受けずにイスラムを知ることはできません。あたりまえですが、女性が教育を受けなかったら、女性医師も保健師も薬剤師も教師も育ちません。したがって、女性に教育の権利を保障しないことは、イスラムの道に反します。
イランでは「ヒジャーブの被り方」で女性が死亡
イランでヒジャーブ(頭部を覆う被り物)の着け方が悪いという理由で「道徳警察」に拘留されたクルド人女性マフサ・アミニさんが亡くなった事件もそうです。真相が不明なので断定はしませんが、政府に抗議する人びとは、女性は警察で暴力を受けたことで亡くなったと信じています。もしそうなら、政府機関である「道徳警察」の行為は、イスラムからは外れたものです。
ヒジャーブ着用に反したとして、女性の身体に罰を与える規定はイスラムにはありません。「保護者」である男性を呼び出して説諭するならわかりますが、女性を死に至らしめるなど、イランという国家の体制が、イスラムの道から外れているということを示すものです。
2023年の1月になって、イランの最高指導者ハメネイ師は興味深い発言をしています。
「女性が頭部を覆うことはイスラムの定めた義務だ。そのことは理解してもらう必要がある。しかし、ヒジャーブの被り方が悪い女性が不信仰者だとか、国家に対して反逆する者だとみなすのは誤りである」
イランの最高指導者が妥協を図っているように見えます。イスラム国家の指導者としては、「道徳警察」が踏み外した道を正さなければなりません。もちろん、そんなことで激しい反体制運動が収まるとは思えません。国民の側には、イスラム体制そのものにうんざりしているムスリムもいるからです。
シーア派のイランでは、イスラム指導者が国家(信徒の共同体)を統率するという約束ごとがあります。民衆がそれを嫌うなら、体制側は、民衆を説得する以外にありません。説得できないから暴力で抑えつけるのでしょうが、最後は、ムスリムである民衆がついてこなければ体制は成り立ちません。
この2つのケースを見ると、いずれも一般のムスリムは国家のやり方に激しく抵抗しています。民衆がイスラムの道から外れた政権に反抗するのは、イスラム的に正しいことです。これもまた、イスラムのすごさ、強さだと思うのです。
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