好書好日「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」が話題の清繭子さん、初エッセイ『夢みるかかとにご飯つぶ』刊行記念の特設ページです。
今回は、角田光代さんからのメッセージです。編集者時代に角田さんの担当をしていた清さん。角田さんから「早稲田文学」への小説執筆の依頼を受けた、というエピソードが本書に収録されています。
* * *
拝啓 よくばりなあなたと私へ
清さん、初エッセイの出版おめでとうございます。
たぶん、清さんを知る人も知らない人も、この本を読んだ人はみんな私と同じ感想を持つと思います。何、この人、めちゃくちゃ「持ってる」人じゃん!! と。
だって、芝居のサークルの入団オーディションで一発で気に入られ、他劇団から引き抜きまであり、小説教室にいけばおじいさんの講師に絶賛される。テレビ局の面接では面接官を泣かせ、刺繍は個展を開けるくらいの腕前で、作家にインタビューする連載は大人気、しかもベテラン編集者からエッセイ本の打診を受ける。清さんのために泣いてくれる友だちも笑ってくれる友だちも、男女年齢問わずおおぜいいて、婚活をはじめて比較的すぐに立派な相手が見つかり結婚し、望んでいた子どもも生まれる。なんだかすごい、すごすぎる!
もちろん、いいことばかりではないとはわかります。劇団では雑用係だったし、面接には落ちた。それから、土下座を強要されたり、理不尽に叱られたり、結婚も妊娠も出産も、きっと多くの苦労があったはず。書かれていることだけが起きたすべてではないと、書き手のひとりとして私はよく知っています。うーん、それでもやっぱり、この人はなんか「持ってる」。
もと編集者の清さんが、某出版社で私の連載担当をしていてくれたとき、ゲラ(校正紙)のやりとりはまだファックスでした。清さんは毎回、宛名を書く一枚目に近況を書いてくれて、私はそれを読みながら、いつも「すごい」と思っていました。すごいこの人、ほしいもののところには自分の足で向かっていって、自分の手でもぎ取る人だ、と。ファックス通信は、おそらく、このエッセイのなかで、婚活→マッチングアプリ→結婚の予兆、くらいの時期だったと思います。
清さんにとったらなんでもないことかもしれないけれど、こんなふうに自分のほしいものが明確で、どうすればそれが手に入れるのかも理解していて、効率や勝算はともかく、きちんとそれをもぎ取りにいける人って、あんまりいないと私は思うんです。
尊敬するミュージシャンの友人に、「才能ってなんだと思う」か、訊いたことがあります。そのとき彼は、「手に入れたいものを最短で手に入れることのできる力」と答えたのですが、それに照らし合わせればまさに清さんは天才。でもきっと、ご自分ではそんなふうに思わないのでしょう……いや、自己肯定力の高い清さんだから、「天才であることは認める」と言うかもしれません。「だけど、小説家になっていない」と続けるかもしれません。
清さんの手に入れたいものはきっとすごく多いのでしょう。あるいは、すぐに手に入れてしまえるから、すぐに手に入らないものがほしくなるのかもしれません。「追いかけること自体が目的」と、清さんご本人も巻末のインタビューで言っているけれど、これって人によってはかなり嫌みというか天才ゆえの傲慢さ、みたいにとらえられる場合もあると思うんです。でも、このエッセイからは、嫌みも傲慢さも感じない。すなおでおおらかでばか正直で、勢いがあってちょっとした隙のある清さんの文章は、清さんの人柄そのものなんだと思います。
「子どもを産んだ人はいい小説が書けない」という、全経産婦を敵にまわしそうなだれかの一言が、このエッセイの冒頭に挙げられています。私はそれを読んでちょっと笑ってしまいました(ごめんなさい)。というのも、二十代のとき私はさんざん「子どもを産まないといい小説は書けない」と言われていたからです。それも男性編集者ではなく、女性の編集者たちからよく言われました。そのとき私がショックを受けたのは、自分が子どもを産んでいないことではなくて、産む予定もないことでもなくて、子を持たず、でもすごい小説を書いた歴代から現役までの作家の名がばあーっと思い浮かんだからです。子を持たないまますごい小説を書いてしまった、書いている作家たちは、いったいどんなことになっちゃってんのか、と、くらくらしたのです。私がそこにいくにはどうしたらいいのか。あと男。男の作家かわいそうじゃないか。それとも男はべつジャンルなのか。
「子どもを産んだら」発言は、本書にときどき登場しますが、だんだんニュアンスが変わっていくことに私は気づきました。最初はきっと清さんも傷つき、ショックを受けたように見受けますが、でもだんだん、へんな表現ですが、その言葉を清さんは護符にしてしまうような感じがしたのです。その言葉があるから、「書けない」ことを受け入れ、退屈な日常のいとおしさに目をこらし、「今現在」の優先順位を見つめ、そうしながら、自家発電みたいに原動力をたくわえているように感じました。
そうなんです、この本のなかで清さんはどんどん強くなって、自分のほしいものとそうでないものを検分して、いらないものは切り捨てて、たいせつな思い出はだいじに持ちなおして、夢の端っこは離さないように強く握って、前に前に進んでいく印象を持ちました。きっといつか「子どもを産んだら」にたいして、「書いてやったぜ、どうだザマーミロ」と言う日もくるんだと思います。その日のために清さんはこの一言を離さないのではないかと思います。
ところで私にも夢があります。ほんの数人にしか打ち明けていない夢です。夢を叶えるのは本当にむずかしいと、もうすぐ六十歳になる私は思います。努力するのは苦ではないけれど、結果に挑む(清さん的に言えば、「書いて応募する」部分)ところが、加齢にともなってつらくなってきます。挑まずにいる言い訳はどんどんうまくなります。でも、捨てられないんだなー。自分でもよくばりだと思います。あきらめられたらずいぶん楽なのに、とも思います。
でも、よくばることは、悪いことではなくて、私たちを前に進ませる力なんだと、清さんのエッセイを読んでいて思いました。清さんのポジティブさを、分けてもらった気分です。夢を見るにも力がいる。私も力をたくわえてがんばります。このエッセイを読んだ多くのよくばりさんたちも、そう思うのではないかと私は思います。
清さん、これからもがむしゃらに前に進んで、ときに転んだり引き返したりして、そして書き続けてくださいね。
* * *
角田光代
小説家。『対岸の彼女』で直木賞。著書に『八日目の蝉』『ツリーハウス』2012年『紙の月』『かなたの子』『笹の舟で海をわたる』『坂の途中の家』『タラント』など。
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