いざ愛猫を失ってみて「ペットロスの予習をしといてよかった」と思った。
ペットを亡くした飼い主は「もっと○○していれば」「××するんじゃなかった」と後悔や罪悪感に苦しむ、といった前知識があったので「これ進研ゼミで見たやつ」と受け止めることができた。
ペットを亡くした後はしっかり悲しむ方がいい、無理して忘れようとか元気になろうとかしない方がいい、ということもペットロス豆知識に書いてあった。
つらい感情に蓋をして抑え込むのはよくない。大切なものを失ったら悲しくて当然なのだから、思う存分悲しむしかないのだ。
ラーメンマンの死後、寝ても覚めても涙が出たけど「花粉症みたいなものだ、自然現象だからしかたない」とジャンジャン涙を放出していた。まつエクも全部とれてしまった。
「大好きだよ」と撫でたら「大好き」と喉を鳴らして応えてくれる。
そんな愛し愛される存在を失ったらダメージを負って当然である。ロードローラーにひかれたぐらいのダメージなんじゃないか。
そう思って、なるべく無理しないようにしていた。友人たちがお花や食べ物を送ってくれて、心が慰められた。
食欲も料理する気力もなかったので、スープストックトーキョーの詰め合わせは特にありがたかった。当時はまだ寒い時期だったので、心身ともに温まった。
ペットロスにはスープストックトーキョーが効く。暑い時期には冷製スープセットもありますよ。
オマール海老のビスクを食べながら「つらいけど、死ぬ前の方がつらかったな」と思った。
介護中、猫が苦しそうなことが一番つらかったから。
ラーメンマンは加齢と腎臓病による口内炎で口の中が痛そうだった。痛みのあまりギギギと音が出るぐらい歯ぎしりしていて、可哀想でたまらなかった。
だから「やっと楽になれたね」とほっとする気持ちもあった。もう猫が苦しむ姿を見なくていいことで、私自身も解放された。
ペットロスから鬱になるかもとビビっていたが、どうやら大丈夫そうだった。
悲しみをシェアできるパートナーがいることも大きかった。
ペットロスの自助グループもあるそうなので、つらい気持ちを抱え込まず、吐き出した方がいいと思う。
夫とはラーメンマンの思い出をよくおしゃべりしていた。
「子猫のときにトカゲの水槽をこじ開けて侵入したことがあったよね」
「あれはびっくりしたな。トカゲとラーメンマンが入れ替わって『ザ・フライ』的な現象が起きたのかと思った」
「朝、私たちが起きないと喉をぐっと踏んで起こすようになったよね」
「人間の急所を知ってるなんて、やっぱり天才キャットだなあ」
そんな話をしながら、二人でさめざめと泣いた。遠慮なく泣ける相手がいることもありがたかった。
会社勤めの夫はよく泣きながら家に帰ってきた。
「毎日ラーメンマンのことを心配しながら家までの坂道を登ってたけど、もう心配しなくていいと思ったら涙が止まらなくなった。ずっと心配していたかった。ずっとずっと介護を続けたかった」
そういって嗚咽する姿を見て「この人、変わったな」と思った。
出会った頃は「男は涙を見せぬもの」的な痩せ我慢があった気がするけど、今はのびのび泣くようになった。
これは老化による涙腺ガバガバ現象なのか、長年フェミニストと暮らすうちに男らしさの呪いが解けていったのか。
ラーメンマンの死の数日後、格闘家の集いに参加したときも「今日はいきなり泣いてしまうかもしれない」と宣言したそうだ。
するとみんな「つらいよね」「泣いていいよ」「そりゃ泣いちゃうよね」と慰めてくれたんだとか。なんという労りと友愛じゃ。
男性も強がらずに泣けばいいし、弱音を吐けばいい。そしたらもっと楽に生きられるだろう。
悲しい、つらい、寂しい、怖い、恥ずかしい……といった“男らしくない”とされる感情を抑え込むと、怒りで表現するようになってしまう。怒りは“男らしい”感情だから。
「妻には口で勝てないからつい手が出た」というDV夫がいるが、そもそも勝ち負けの問題じゃないだろう。
壁や人を殴ったりベビーカーを蹴ったり女性にぶつかったり、感情を怒りや暴力として爆発させてしまうのは、社会の治安維持に関わる問題だと思う。あおり運転も加害者の96%が男性だそうだ。
「男は負けるな、強くあれ」「敵を打ち負かして支配せよ」的な呪いがなくなれば、パワハラもモラハラも性暴力も戦争もなくなるんじゃないか。
男性が感情を言語化してアサーティブに対話して、男同士でケアし合うようになれば、世界は平和になるだろう。
世界平和と言えば猫である。
星新一の短編『ネコ』では、異星人が猫に向かって「このような平和的な種族が支配する星は、いままでに見たことがありません。どうぞ、いつまでも支配しつづけるよう、お祈りいたします」と述べている。
ちなみにネコは飼い主のことを「あたしたちの、ドレイの役をする生物よ。まじめによく働いてくれるわ」と説明している。
まじめによく働く夫は、毎晩添い寝していた猫を亡くして不眠気味になっていた。そして気づくと猫のぬいぐるみを抱いて寝ていた。
夫は毎晩ラーメンマンの夢を見るらしく「いっしょに散歩する夢を見た」「ラーメンマンが布団に入ってきてリアルな感触が残ってる」と報告されて、私の夢には出てこないのに……とうらやましかった。
そこで「お母さんにも会いに来てね」と寝る前にお祈りしたら、夢に小沢一郎が出てきた。なんでやねん。
なんで小沢一郎やねん。
こうして月日は流れていったが、家の中が暗い。鍾乳洞みたいに暗い。
ラーメンマンは我が家の太陽だったので、光が消えたようだった。喪失感がハンパなくて、私が王なら亡き猫をしのんで寺とか建立しただろう。
「あの子はもう帰ってこないんですねえ……」とうつむく初老夫婦には、希望の光が必要だった。
よって「ラーメンマン、モンゴルマンになって復活する説」にすがったのだ。すがらなきゃやってられなかったから。
故メイ子さんを亡くしたときも、私が黒猫を拾う夢を見て、その2日後に黒猫チビヨンくんを拾うというミラクルが起きた。
「だからきっとまたご縁があるよ」
「そうやな、隈取(くまどり)をつけて戻ってきてほしいな」
そんな話をしながら、遺影の前にモンゴルマンのフィギュアをまつって祈った。私は讃美歌を歌い、夫は般若心経を唱えた。神も仏も総動員でワッショイだ。
ついでに「いつの日にかめぐり合えると信じて~♪」とめぐりあい宇宙も合唱していた、そんなある日。
夫が「ラーメンマンがふさふさの子猫になる夢を見た」と報告してきた。
「毛が伸びたねえ」と話しかけると、子猫はピョンピョン走ってきたという。うらやましい。なんでこっちは小沢一郎やねん。
まさか小沢一郎が私に会いたがってる……? と思考が迷子になってるところへ、友人Mちゃん(関東在住の獣医)から電話がかかってきた。
「お二人のペースがあると思うので、あくまでご提案なんですが……うちの猫の兄弟猫が生まれたので、よかったらお迎えしませんか?」
そういって送ってくれた画像を見ると
隈取のあるふさふさの子猫。
「きみがモンゴルマンなんだね……!!」
Mちゃんも「子猫にラーメンマンの魂が入るように念を送りましたから」とおっしゃる。獣医さんてそんなこともできるんや……と感動するスピリチュアル夫婦。
生前ラーメンマンはMちゃんにお世話になったし、死んだ後に挨拶にうかがったんじゃないか。
そこで「このお腹の中に入りなさい、そしたらお父さんお母さんのところに帰れるから」と言われて「はーい」と入ったんじゃないか……と解釈するスピリチュアル夫婦。
尻に水晶玉は入れてないのでご安心を。
ちょっと早すぎるんじゃないかという気もしたが、友人たちは「ペットロスの特効薬は新しい猫」「ぜひ迎えてください、アルさんがスピ沼にはまりそうで心配です」と背中を押してくれた。心配かけてごめんやで。
愛猫家の友人は「死んだ猫は虹の橋を渡ったあと、毛皮を着替えて飼い主のもとに帰ってくるらしいよ」と教えてくれた。なんでも9着の毛皮の中から「次はロングにしよかいな」と選ぶんだとか。
ちなみに秘密結社ねこねこネットワーク(NNN)という組織もあり、愛猫家のもとに猫を派遣する事業をしてるんだとか。
なんじゃそら。と思うけど、とにかくモンゴルマンに会いたい。生まれ変わりだろうが何だろうが会いたい。
だってもう寂しすぎる。あんなかわいい生き物が家の中にいないなんて無理無理の無理。
というわけで「モンゴルマン待ってろよ~」とMちゃんちの猫のご実家へGO!
ご実家には大型犬と子犬たちもいて、夫は早速もみくちゃにされていた。犬もすこぶる尊いが、我々の本丸は猫である。
誕生した子猫は8匹全員男の子だそうで、将軍家なら壮絶な跡目争いになりそうだ。
事前に夫と「どの子がモンゴルマンか見分けられるかな」「神通力を発揮するしかないな」と話していた。小沢一郎の夢を見る私に神通力はあるのか。
どきどきしながら猫部屋に入って、8匹の子猫たちとご対面。
出でよ神通力、開け第三の目―――!!!
とポーズをキメる暇もなく、一匹の子猫がピョンピョン走ってきて、夫の足の上に座った。
「きみがモンゴルマンなんだね……!!」
ラーメンマンも初対面のとき、まっすぐ歩いて夫の膝の上に座った。
また、我々はタオル交換の儀(新入り猫に先住猫の匂いを嗅がせる儀式)を行うため、チビヨンくんの匂いがしみついたミニタオルを持参していた。
そのミニタオルを床に置くと、子猫はその上でスヤアと寝てしまった。
「きみがモンゴルマンなんだね……!!」
モンゴルマン確定。
帰りの新幹線で「あんた猛烈に犬臭いよ」と夫の顔を見ると、マイナス10歳ぐらい若返っている。
猫ってすごい。こんなかわいい生き物が自分を見つめて甘えてくれたら、ちょっとした病気ぐらい治ってしまうんじゃないか。
モンゴルマンは新幹線の中ではやや緊張している様子だったが、新神戸駅で降りてタクシーに乗り、自宅に近づくとゴロゴロゴロ……と盛大に喉を鳴らし始めた。
そして我が家に到着したとたん、迷いなく夫のベッドによじ登り、いつもラーメンマンが寝ていた場所でくつろぎ始めた。
この日以降、夫はラーメンマンの夢を見なくなったそうだ。
「やっぱりラーメンマンが中に入ってるんやな」と言いながら、モンゴルマンと毎晩いっしょに寝ている。
風呂上がりに飛びかかられて金玉を引っかかれても「かわいいかわいい」と撫でている。
ラーメンマンが中に入っていようがいまいが、子猫はとにかくかわいい。生命の塊のように光を発している。
我々はこの生命体がうちに来てくれたことに感謝して、天寿を全うするまで全力で愛するだけだ。
こうして初老夫婦の家に光が戻った。
小沢一郎が夢に現れることは二度となかった。
アルテイシアの初老入門
大人気連載「アルテイシアの熟女入門」がこのたびリニューアル!いよいよ人生後半になってきた著者が初老のあれこれを綴ります。