TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」出演で話題! 世界131ヵ国を裁判傍聴しながら旅した女性弁護士による、唯一無二の紀行集『ぶらり世界裁判放浪記』(小社刊)。実はそのあとも、彼女の旅は続いていました。「続」をつけて、新章開幕!「シンガポール編(後編)」をお届けします。前編はこちら。
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シンガポールの法廷を出た。角張ったモダンな建物を後にしながら私は、「これから裁判を見るときは、これが最後になるかもしれないと思って見ないといけないな」と思った。被告人とぺらぺらしゃべるのもそう頻繁にはできないだろう。現に、裁判官と検察官は現実の同じ空間にはいなかったから、しゃべれなかった。
手続きは滞りなく進んでいた。裁判官と検察官の顔は、傍聴席の後ろから見るよりもくっきりと見えたし、音も快適に聞こえた。オンラインで裁判が進むと、記録も楽だ。出廷もしなくて良いし、世界がまたパンデミックになったりすることもあるかもしれないから、プラス面の方が多いだろう。それでも私は、気軽にしゃべるために「同じ空間の共有」が果たす役割の大きさを思い知った。
このように「ハイブリッド」でリアル法廷とオンライン法廷を同時進行させているのは、すでにそう多くないようで、オンラインが主流になっていることは明らかだった。吹き抜けになった裁判所のエスカレーターホールは閑散としていたし、電光掲示板に載っている裁判の予定も少なかった。
午後になって友人宅に戻り、Zoomで行われている民事裁判を傍聴してみた。現地の弁護士の先輩が、事務所の案件で傍聴可能な案件のリンクを教えてくれたのだった。その裁判の出席者は全員オンラインで出ていた。
私のような傍聴人は最初に名前を確認され、簡単に自己紹介などをした。自分が何者かを問われているような気がして(いや実際にその通りなのだが)、私は緊張した。何にもならないと分かりつつ、日本の弁護士であるということを強調した。本当はそんな自己紹介をしなくても、だれでもどこの馬の骨でも見られるのが公開裁判のはずだと分かりつつ、自己紹介しないリスクを取るほどの勇気はなかった。
裁判を見るスタイルも変わってきたのだった。
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最高裁の地下には、裁判所の歴史を語る展示があった。三つの小部屋からなる展示は迫力ある大映像。ひとつの映像が終わると次の部屋の扉が開くという近代的な展示だった。歴代の最高裁判所長官が「三権分立」や「法の支配」がいかに重要かを説くインタビュー動画が流れている。
シンガポールの最高裁判所長官は、弁護士のトップ層の中から選ばれる。国内で活躍していて誰でも名前を知っているような弁護士が来るのだという。高名な彼らにとって魅力あるポストに映るために、最高裁の裁判官には高給が保障される。さすが資本主義国シンガポール、と思いつつ、裁判官の経済的な意味での身分保障は大事なポイントではある。
私は、裁判所の権威を支えるのは「歴史」とか「重厚さ」だとか思っていた。裁判官の書いた判決が説得力を持つのは前例があるからなのかなと日本人的なことを思っていた時期もあったし、裁判官が法服の黒いローブを着たり、カツラをつけたりするのは、昔からあるアイテムを使って自分たちの判断の「正統性」―「正当性」ではなく―を表すためのものだと思っていた。でも、Zoomで裁判審理ができるようになった今、ローブもカツラも老けメイクも、特段、四角い画面の中で映えない。
裁判所に来なくてよくなった今、権威はどこにあるのだろう。法律家たちは、展示で流れていた「三権分立」とか「法の支配」とかに概念的な権威を求めているのだろうか。本当に?
シンガポールでは著名人が裁く。日本ではなんとなく内閣人事が年功序列で指名していそうな(そしてなんとなく選挙のときの国民審査で×をつけそびれている)63~69歳の年配男性たち(が8割)が裁く(40歳でも法律上は最高裁判所裁判官に就任できることになっているが)。私たちはその人選に安心感をおぼえるのだろうか。謎のブラックボックス人事が権威なのか。
そもそも権威は何のために必要なのだろうか。「どんな判決を書いてもこの人が良いならいい」というのが権威や正統性なのなら、それは「法の支配」と真っ向から対立する。判決の「正当性」は、1つ1つのケースごとに判断するものだからだ。もちろん裁判官の傾向はあるとしても。その「正当性」を受け止める市民の側が思考放棄しないで議論できるくらいに、裁判は身近になっているかというと否である。まず裁判が身近になければ、市民が裁判の内容を議論するきっかけもない。
外に出ると雨がジャバジャバと音を立てて降っており、傘のなかった私は驚いて配車アプリを立ち上げた。タクシーはすぐやって来て、運転手が「すごい雨だね」と言って私をシンガポールの町に連れ去った。雨が降るとずぶぬれでバス停を探し、タクシーにも乗り控えていた10数年前のバックパッカー旅とは、すっかり移動のスタイルも様変わりしていた。旅のスタイルには本来「正当であること」なんてなく、沢木耕太郎式にもインスタグラマーにも上下関係はないはずだが、「バックパッカー旅は苦労すべき」というような「正統性」が、ちょっと前まではあったような気もする。もう関係のない話だ。
ため息をついて、窓の外を見ようとした。窓枠に雨のすじが流れているのだけが、変わらない旅の様子だった。
(シンガポール編 おわり)
続・ぶらり世界裁判放浪記
ある日、法律事務所を辞め、世界各国放浪の旅に出た原口弁護士。アジア・アフリカ・中南米・大洋州を中心に旅した国はなんと131カ国。その目的の一つが、各地での裁判傍聴でした。そんな唯一無二の旅を描いた『ぶらり世界裁判放浪記』の後も続く、彼女の旅をお届けします。