今年もいよいよ甲子園シーズンが開幕!昨年は、強豪校ひしめくなか107年ぶりの優勝を飾った慶應義塾高校が話題となりました。「エンジョイ・ベースボール」の精神を掲げ、高校球児のトレードマークとも言える丸刈りを押し付けない等、自由な雰囲気で知られる慶應の野球部。加えてその躍進の裏には、ある「メンタルトレーニング」の存在がありました。先日発売になった新書『強いチームはなぜ「明るい」のか』の著者は、その慶應のメンタルコーチを務めている吉岡眞司さん。不利な状況でも瞬時に心をポジティブにし、良い結果に繋げていく秘訣は何なのか。紹介していきます。
なぜ厳しい場面でも彼らは前向きなのか
「ありがとう!」
「ありがとう!」
これは、2023年8月に開催された第105回全国高等学校野球選手権大会の最中、慶應義塾高等学校(以下、「塾高」と記す)のベンチで飛び交っていた言葉です。この年、5年ぶりに甲子園へ出場した塾高は、強豪校を次々と撃破。決勝戦では前年の優勝校・仙台育英と対戦し、見事8対2で勝利を収めました。実に107年ぶりとなった優勝は、高校野球ファンのみならず、日本中の大きな注目を集めました。
同時に、「ありがとう!」という感謝の言葉が飛び交い、明るさが漂うベンチの様子に「どうして慶應の選手たちは『ありがとう!』と言い合っているのか」といった疑問が寄せられたのです。
もう一つ、全国の野球ファンを「あれはいったい何なんだ?」と驚かせた塾高の“奇行”があります。
初戦2回戦の北陸高校との一戦。塾高は優位に試合を進め、9対0で最終回を迎えるも、猛攻を受け2ランホームランを浴びるなどして4点を返されてしまいました。
ところがそんな場面で、ホームランを打ってダイヤモンドを一周する相手バッターに対し、塾高ベンチから拍手が送られたのです。
追い上げを受けているにもかかわらず、なぜ拍手を? ──相手チームにとって異様な光景に映ったのではないでしょうか。
実は、こういった言動の数々は、彼らなりの考えに基づくものでした。北陸との試合終了後、キャプテンの大村昊澄そらと選手は、取材に対してこう答えています。
「新チームが始まってから、相手をリスペクトしようと言っていて、ホームランに限らず、良いプレーがあれば野球人としてたたえようという話をしていました」
(神奈川新聞「異様な雰囲気の九回、対戦相手のホームランに送った拍手」2023年8月13日)
また、チームのムードメーカーである安達英輝選手も、複数のメディアに対して次のように明かしています。
「対戦相手からすると、『なんで?』と思われるような前向きな言動を意識的にとっていました。たとえば、ホームランやファインプレーのときに拍手をする。試合開始直後に初めて、相手ベンチ前を通る際にはきちんと立ち止まって深くお辞儀をする。普通のチームでは行わないような行動をとっていました」
彼らのこういった考えや行動は、どのように醸成されていったのでしょうか。
「日本一」になるために導入したメンタルトレーニング
「吉岡さん、日本一を一緒に目指しましょう!」
甲子園での歓喜の瞬間からさかのぼること約2年前。塾高野球部より先に私に声をかけてくれたのは、慶應義塾体育会野球部(慶應義塾大学野球部)の堀井哲也監督でした。
2020年の東京六大学野球秋季リーグ戦。慶應義塾大学(以下、「慶大」と記す)は宿敵・早稲田と直接対決の時を迎えていました。優勝まで「あと1アウト」というその場面で、痛恨の2ランホームランを浴びてしまい、まさかの逆転負け。手が届きかけていた優勝を早稲田に奪われてしまいます。
優勝まで、本当にあと一歩。その「あと一歩」を埋めるためにはメンタル面での強化が必要と考えた堀井監督が、人財育成とメンタルサポート事業を行っている私に声をかけてくれたのです。
メンタルトレーニングを取り入れた後のチームの変化について、当時の主将を務めた福井章吾選手はインタビューの中で次のように答えています。
「僕個人としては『ありがとう』というワードを本当によく使うようになったことですかね。ただ、『ありがとう』を口に出すとなると恥ずかしいじゃないですか(笑)でも、プラスの事を思うのと言葉に出すのは大違いだということを脳科学的見地から教えてもらい、凄く納得できたので、意識して使うようにしました。チームとしては、親指を立てながら『いいね!』と言う、『いいねポーズ』を作り、練習中に良いプレーが出た時には皆で『いいね!』と言い合うようにしたんです。そうしていたら、アップの時やダッシュの時でも『いいね!』を乱発するようになり(笑)、チームの雰囲気がどんどん明るくなっていきました」(「慶應義塾大学野球部 日本一の陰にSBTあり! ~Giving back(恩返し)の優勝~」日本能力開発分析協会『JADA通信』126号)
そして迎えた、2021年の東京六大学野球春季リーグ戦。初戦の法政大学戦で、慶大ナインの「変化」が早くも表れます。
優勝候補筆頭の法政大学に2点をリードされる苦しい展開。しかも、6回までノーヒットで一人の走者も出せず、完璧に抑え込まれていました。点差以上に相手との力の差を見せつけられ、意気消沈してもおかしくない状況です。
それでも、慶大の選手は相手ピッチャーに少しでもプレッシャーを与えようと必死でボールに食らいつきました。ベンチの選手たちも「いいぞ!」「まだまだこれからだ!」と前向きな言葉を送り続けます。すると、好投を続けていた相手ピッチャーに異変が起きます。ヒットこそ許さないものの、コントロールに乱れが生じ、試合の終盤に6つの四球を出してしまったのです。
結局、その試合は1対2で慶大が敗れました。しかし、試合終了後、メディアが「プロ注目の右腕、三浦投手が慶大相手に “ノーヒットワンラン”」と法政のエースの偉業を報じる中、その彼は勝利者インタビューで次のコメントを残していました。
「慶應のバッターの気迫に押され、逃げ腰になってしまいました」
こうして初戦は落としたものの、勢いに乗った慶大はその春季リーグ戦で優勝。そして、全日本大学野球選手権大会で34年ぶりとなる4度目の大学日本一に輝いたのです。また、同年の秋季リーグ戦でも優勝し、30年ぶりの春秋連覇を達成。さらに、2023年の東京六大学野球秋季リーグ戦でも4期ぶり40回目の優勝を果たすとともに、明治神宮野球大会で4年ぶり5度目の大学日本一の栄冠を手にしたのです。
2021年2月にメンタルトレーニングを導入し、すぐにリーグ戦優勝、そして大学日本一と次々に結果を出した慶大。その姿を「弟分」の塾高も間近に見ていました。そのこともあって、塾高野球部の森林貴彦監督からも声をかけていただき、私は同校野球部の人財育成・メンタルコーチも兼任することになったのです。
2022年夏大会後に結成された塾高新チームのキャプテン・大村選手をはじめ、塾高の選手たちは皆、「日本一になるために必要なことはどんなことでも実践してみよう」と、メンタル面の強化に意欲的に取り組みました。甲子園での107年ぶりの優勝の背景には、このようなチームづくりがあったのです。
強いチームはなぜ「明るい」のか
慶應義塾高校を107年ぶりの甲子園優勝に導いた、負け知らずのメンタル術