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月が綺麗ですね 綾の倫敦日記

2024.08.05 公開 ポスト

『brat』革命:チャーリーXCXが歌う“やっかい”で“複雑”な『バービー』とは真逆のフェミニズム鈴木綾

他の女性に嫉妬や不安を感じるのが現実の人生

このコラムでは欧米の女性たちの心を虜にした女性作家や歌手、映画監督を紹介してきた。アリアナ・グランデを取り上げたり、詩の世界に新風を吹き込む女性詩人たちにスポットライトを当てたりしてきた。

今回のコラムで取り上げたいのは、イギリスの歌手チャーリーXCX。これまでにもヒット曲を生み出し、熱心なファンを獲得してきたが、常にメインストリームの一歩外側に立っていた。しかし、6月7日に最新アルバム『brat』をリリースしたことで、チャーリーは完全に大衆の心を掴むことに成功した。アメリカのカマラ・ハリス副大統領までもが、選挙戦略に『brat』のイメージを取り入れているほど。

 

面白いことに、この記事を執筆中、窓の外をチャーリーの曲を大音量で流す車が通り過ぎた。2024年の夏、チャーリーから逃れることはできない。

そして音楽そのものと同じくらい、このアルバムのジャケットも多くの人々の心を捉えた。どぎついネオングリーンの背景に、少しぼやけた文字で 「brat 」と書かれている。有名なアーティストは必ず自分の写真をジャケットに使用し、魅力的な画像で自己宣伝しなければいけない、という固定観念を完全に覆すデザインとなっている。

この独特な緑色は『brat』の象徴となっている。先日、緑のトップスを着てクラブに行ったところ、見知らぬ人に「bratグリーンだね」と声をかけられた。

さらにいうと、『brat』の緑色は2023年の夏を彩ったバービーピンクと正反対の印象を与えている。去年、映画『バービー』は女性監督作品として史上最高の興行収入を記録するなど、『brat』が今誇っているほどの話題性を持っていた。

クラブでbratの緑を褒められる経験は、去年の「バービーよかったーまだ見てないの?」という会話を思い起こさせる。面白いことに、シャーリはバービーのサウンドトラック・アルバムに曲を提供している。

では、『brat』とは具体的に何か? 単なる音楽でもなく、単なる色でもない。『brat』は一つの生き方。そして、それはバービーの生き方の対極にある。

「ブラット」とは通常、行儀の悪い子供を指す言葉。シャーリ本人に言わせれば、『brat』は、「かなり贅沢(luxury)だけど同時に汚い(trashy)ライフスタイル。

たとえば、タバコ一箱と安っぽいプラスチックのライター、ブラジャーなしの白いタンクトップ。それだけで十分、みたいな感じ」

ブラット・ガールとは、「精神的に崩壊してても、パーティをしてそれを乗り越える 」女性であり、正直で、ぶっきらぼうで、「ちょっと気まぐれ 」な女性。

対照的に、バービランドの女性たちは最高裁判事であり、大統領であり、小説家であり、平和で責任ある生活を送っている。バービー・パーティーで一番の騒動は、ケン君たちがビーチで口論になることくらい。バービーは善良な市民だけど、『brat』たちは明らかにそうではない。

バービー・フェミニズムは、他の女性を支援すること、そして家父長制に打ち勝つための女性の連帯の重要性がすべてだった。『brat』の世界では、女性は友達にも敵にもなりうるし、その両方にもなりうる。

チャーリーXCXの曲「360」のビデオでは、友人(であるはず)の女性にいたずらばかりをしている。このビデオでは「イット・ガール」女優やモデルが登場し、車をぶつけ、病院でタバコを吸い、ジムでワインを飲む。この女性たちは「いい女たち」ではない。

同様に、『brat』は、チャーリーにとって友達でなかったり、脅威を感じたりしている女性たちについても言及している。「Sympathy is a Knife 」で彼女はこう歌っている: 

「私のボーイフレンドのライブのバックステージで彼女を見たくない/後ろで手に指を組んで、早く別れてほしい」

ファンの推測によれば、この歌詞は昨年、バンドThe 1975のボーカルと短期間交際していたテイラー・スウィフトのことを指しているそう。チャーリーは同バンドのドラマーと婚約している。

この歌に登場する 「女性 」との関係は、単に彼女を憎むよりも複雑だ。チャーリーは曲の中で、「この女性は私の不安をたたく」「なろうと思っても彼女にさえなれない」と歌う。

「バービー」で擁護されている一般的なフェミニズムによれば、他の女性から脅威を感じることはタブーなのだ。差別や家父長制からの圧力を克服する唯一の方法は、女性同士の完璧な連帯を維持することだ。女性同士の喧嘩は、男性に私たちを分断する道を提供しかねないからだ。

一方、チャーリーは、女性同士の関係が複雑になりうることを率直に認め、私たち聴き手が他の女性に対して嫉妬や不安を感じても構わない、と認めている。それが人生の現実だから。

チャーリーは、バービーの理想主義とは対照的な、より現実的で厄介なフェミニズム観を提示している。私たちが自分自身や他人に対して抱いている非現実的な期待や、フェミニストだと宣言しておきながら女友達に他人の愚痴メールを送りつけるような仮面を揶揄している。こうした行為や感情的な衝動は、人間であることの一部であって、チャーリーはそれを受け入れるよう勧めている。

チャーリーが女性の友情と女性の経験について私たちに考えてほしいと思っていることは、まだまだたくさんある。ここではアルバムに収録されている 「I think about it all the time」という曲を紹介しよう。チャーリーは、友人の赤ちゃんに初めて会ったときのことを 「崇高 」と呼んでいる。彼女は母性についてあれこれ考える。

「いつかそうなるかもしれないから/もし時間がなくなったら/私の人生に新しい目的を与えてくれるかしら?」と。

時間がなくて、子供を産むかどうか悩む: 現代女性が抱える母性に関する複雑な悩みを、ポップスターがこのように歌うのを聴いたのは初めてだ。

改めて、チャーリーがアルバムのタイトル『brat』に込めたメッセージを考えてみよう。

面倒くさくて、生意気で、不安を抱えていて、他者への嫉妬にとらわれている等身大の自分。でもそんな自分を正真正銘の自分として受け入れることで、本当の意味でのフェミニズム――「女性である前に一人の人間として解放されること」――を手に入れることができる。

私たちは生身の人間で、人形でもないし、明るく影のないハッピーピンクの世界に生きているのでもないのだから。

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イギリスに住む30代女性が向き合う社会の矛盾と現実。そして幸福について。

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鈴木綾

1988年生まれ。6年間東京で外資企業に勤務し、MBAを取得。ロンドンの投資会社勤務を経て、現在はロンドンのスタートアップ企業に勤務。2017〜2018年までハフポスト・ジャパンに「これでいいの20代」を連載。日常生活の中で感じている幸せ、悩みや違和感について日々エッセイを執筆。日本語で書いているけど、日本人ではない。

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