気鋭の昆虫学者・小松貴さんは学生時代を長野県で過ごしましたが、当時実家のあった青森県に帰省した際はカラスと濃厚な時間を過ごしたのだといいます。
小松さんの新刊『カラー版 裏山の奇人 野にたゆたう博物学』から、カラスと戯れた話を抜粋してご紹介します。
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凜然なる闘い――カラスの話
私自身は長野県の松本市に長年住みつくことになったわけだが、その間に実家は父の仕事の関係で数回場所が変わった。
たいていは関東周辺を行き来するに止まっていたが、2005年から3年間は、なぜか青森県へ飛ばされた。
青森に実家があったころ、私は原則、夏休みと冬休みの年2回は里帰りした。なので、ここで見た景色は、ほとんどが真夏と真冬のものである。
夏はともかく、雪だらけの冬は虫が探せない(こともないが……)ため、別な方法で退屈を紛らわした。
家の近所に大きな小学校があった。手前に広がる広大な校庭は、冬に雪が積もれば雪原となる。
この校庭は、最近の都会の小学校にありがちなそれとは違って堀や塀で隔たってはおらず、誰もが自由に入れた。
とはいえ、12月の末にもなれば子供たちは冬休みで、誰一人うろついていない。
真冬のクソ寒い、そして何もない雪原に好きこのんで立ち入る人間など、いるはずがないのだ。
私を除いては。
ここの校庭には、夕方になるとおびただしい数のハシボソガラスCorvus coroneがやってきた。
市内中のカラスが全員集まっていると思えるほどだった。
学校のそばにカラスのねぐらとなる森があり、そこへ向かう前になぜかここへいったん集合するのだ。
彼らは、おそらく年中こういう日常サイクルを繰り返しているのだろうが、景色が白一色になる冬、校庭のカラスの群れは一際目立った。
カラス以外誰もいない校庭の朝礼台に立つと、カラスの学校の校長になった気分だった。
毎日夕方の同じ時間にカラスが数百羽もいるので、次第に見るだけでは飽きたらず、イタズラしたくなってきた。
群れに歩いて接近を試みたが、カラスどもは全員私を避けて三々五々飛び立ち、ある程度遠くまで離れて着地した。
奴らは常に私から一定の距離を保つので、どうにも近づけなかった。
鳥のなかでもとくにカラスが好きな私は、いつしかもっとあの群れに近づき、なかに混ざりたいと思うようになった。
そこで、ふとかつてテレビで見たあるシーンを思い出した。
北海道、知床の流氷の上で、自分より巨大なワシが鮭を食っているところに後ろから近寄り、ちょっかいを出して鮭を奪うカラスの映像だ。
人間が相手なら逃げても、ワシが相手なら逃げないはず。
家に帰ったあと、試しにコートを着込んで目深に帽子を被り、鏡の前にしゃがんでみたら、背格好がワシそっくりではないか。こいつは使える!
翌日の夕方、校庭に行くと例によってそこには「烏合の衆」が広がっていた。
私はさっそくしゃがんでワシポーズになり、よちよち歩いて30メートルほど向こうにいるカラスどもに接近した。
ところが奴らは昨日同様、まだかなり距離のある段階で飛んでしまったのである。
なぜかと考えたら、大事なことを忘れていた。
私は、カラスがすでに集まった状態で駆けつけ、そこでいきなりワシに変化した。
向こうは、ワシになる前の私を見てしまっている。だから、「あいつはワシではなく、ワシの真似をした人間だ」とわかってしまっているのだ。
なかなか賢い。私は、奴らの裏をかくことにした。
連日観察してわかったのだが、カラスどもはこの時期、毎日夕方4時半にはもう校庭に集まりきっているようだった。
ならば、奴らが来るより先にここにいればいい。さすれば、私を「はじめからここにある物体」と思って怪しまないはずだ。
私は誰もいない雪原のど真ん中に、1時間半前の午後3時からずっとワシポーズでしゃがみ続けた。
身動き一つせず、石地蔵のように。
結果は大成功だった。
4時過ぎからどんどんカラスが飛んできて私の周りに降り立ち、身繕いなどしはじめた。
結果、私の周囲をずらりとカラスの群れが取り囲んだ。
最寄りの個体との距離は2メートル程度だった。
いま、遠くから見たら私はカラスを率いる番長に見えているのだと思ったら、妙な興奮を覚えた。
ところがその喜びもつかの間、穏やかだった空が急に暗くなり、風が出てきて突然猛吹雪になった。
天候の変化をいっさい想定せずに軽装で来た私は、全身が冷たくなってガタガタ震え、全身雪まみれとなって這う這うの体で家までたどり着いた。
「何バカなことしてんの!」と母親からこっぴどく怒られた。小学生ではなく、大学生のときの話である。
別の日の夕方、性懲りもなくまたカラスのところへ行った。
無限にいる鳥類の群れを見るうち、先日は仲よくしたから今度は逆に襲われたいと衝動に駆られてきた。
ヒッチコックの『鳥』気分を味わいたくなったのだ。
これだけのカラスに一斉に襲われたら、どんなにスリルがあって面白いだろう。そのためには、奴ら全員に私を敵と認識させる必要がある。
そこで思い出したのが、動物行動学の父・ローレンツ博士の著書『ソロモンの指環』(ローレンツ、1998)だ。
彼は幼いころたくさんのカラスを家で放し飼いにしていたが、ある日、川で泳いだ後に外で遊ばせていたカラスを飼育小屋に入れようとしたとき、懐いていたはずのそれらカラスからひどい攻撃を受けた。
原因は、彼がそのときポケットから何の気なしに取り出した黒い水泳パンツだった。
カラスは黒くてだらんとした物体を持つ者を、「仲間を捕らえた敵」と見なして攻撃する習性があったのだ。
あくまで、これはカラスのなかでもとくに集団性の強いニシコクマルガラスC. monedula での話だが、当時の私は同じカラスなら大同小異だろうと思った。
これを使えば、数百羽のカラスが一斉に襲い掛かってくれるはずだ!
そこで、私は被っていた黒い帽子を手に持ち、大声で「びゃあぁああ」と叫びつつカラスの群れに突撃した。
さらに、手に持った帽子を巧みに動かして必死にもがくカラスに見せかけ、仕上げにカラスの悲鳴の鳴き真似までして見せた。
すると、その場にいたすべてのカラスどもがそれまでになく興奮して一斉にブワーッと飛び立ち、たちまち私の頭上にはカラスの竜巻ができた。
カラスどもは激しく鳴き交わしながら私の頭上を旋回した。
するとその騒ぎを聞きつけて、全然関係ない場所からどんどんほかのカラスの群れも集まってきた。
夕暮れの空はみるみる真っ黒に染まり、まるで『ゲゲゲの鬼太郎』のオープニング映像(吉幾三が歌っていたシリーズ)みたいな光景が展開された。ユメコちゃんが隣にいれば完璧だった。
ところが、その後が続かない。
カラスどもは旋回しながら横目でこちらを観察しているようなのだが、私の猿芝居が次第にバレてきたらしく、やがて一羽、また一羽と地面に降りてきてしまった。
奴らはつまらなそうにこちらを見つめている。
私は俄然ヒートアップして、雪の積もった校庭の真ん中でわめきつつ、帽子を片手に必死に踊った。
ところが、いつもより外でカラスが騒いでいるのを不審に思った近隣住民たちが、校庭へ様子を見にぞろぞろ集まってきてしまったのだ。
私は何食わぬ顔で、そっと立ち去った。
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