私の所為で離婚したと、よく母に言われた。母は覚えていないと思うけど。
私の実の父親の顔は、写真で見た程度で覚えてない。
私の母はバツ2で、私が溺愛してやまないベリーキューティーベイビーな妹とは種違いの姉妹だ。妹が6歳になる前から、一緒に暮らしていない。
二度目の離婚が決まった時、「お姉ちゃんはママと来るけどどうしたい?」と尋ねる母に妹は「パパが一人になったら可哀想だから」と、父についていくことになったそうだ。
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母は少し過干渉というか、良く言えば私たち子供のことを(すごく、とても)気にかけていてくれるので、きっとこのエッセイを読むだろうとわかっていてわざわざ傷つけるような事を書くが、母はもう覚えてないようなことを今でも引きずっているくらいには傷付いたので、これくらいの意地悪は許してほしい。
父親がいないということを寂しく思ったことはなかった。
母は私を21歳の時に産み、親族の中で一番早く生まれた子供だからか甘やかされて育った。おばあちゃんはなんでも買ってくれたし、運動会では大きなレジャーシートに座りきれないほどの母の兄弟やいとこが来てくれて、おせち用の三段重に詰め込んだお弁当をみんなで囲んだ。
パパさんリレーではいつも一等賞をとってくれて、足が遅くていつもビリの私はとても鼻が高かったのを覚えている。
子供時代故の純粋で鋭く刺さる「おとうさんいなくてかわいそうだね」と言う台詞はたくさん言われたけど、自分のことを可哀想だとは思ったことはなかった。
むしろ父親以上に私を可愛がってくれる人たちが周りにいたし、それが私の普通だったからだ。他人からの「可哀想」という言葉は、矢ではあったがそれは透明で、私を通り抜けていくだけだった。
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ただ、歳を重ねるにつれて、私の"普通"と世の中の“普通”のギャップを痛感させられるようになる。所謂“普通”に幸せに生きてきた人が、漫画や映画の中だけじゃなく、本当に実在していることに驚いた。
“普通”の彼らは決まって私に「可哀想」と言った。
かつて私を通り過ぎていくだけだった透明の矢が、今度はしっかりと刺さるのを感じた。そして彼らは自分の家族や、現状の家庭の愚痴を溢す。
同情なのか、寄り添おうとしてくれているのかわからないけど、その度に私は話が噛み合っていないような違和感を感じた。
そりゃこの世には私よりも不幸な人はいるだろうし、別に不幸自慢をしたいわけでもない。だが、そんな愚痴を聞くたびに、お前は物が飛び交うような家で育ってなければ、暴力も振るわれず、義父におやすみを言ってもらえない夜もなければ、叫び声で目覚めることもなかったんだろう、と言ってやりたくなる。
特に、共感を示すためだけに私の母の悪口を言うやつにはすごく腹が立った。全然ボコしていきたい。
毒親や親ガチャという言葉が流行った時に、その言葉を躊躇なく使える人たちを少し羨ましく思った。何度も絶縁させてくれと思ったこともあったけど、私は母を毒親とはどうしても呼べない。
結局子供は親のことが好きなんだろう。認めたくはないが、これこそが無償の愛なのだろう。
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私も20代後半に入ってきたので、飲みの場で結婚の話が良く出るようになった。
「結婚したくないの?」したくないというか、まず、そこらへんで飲んでる既婚の男で浮気してねえやつなんて出会ったことがないし、結婚や家族が幸せだなんて思ったことがない。むしろ怖いとまで感じる。
家族ってだけで衝突する権利があって、どれだけ傷付けても、殴っても許されてしまうように見えた。だから、家族愛が恐ろしいと思ってしまう。
もし子供を授かったとして、私と同じような思いや経験をさせないだろうか。
もし幸せな家庭が作れたとして、私はその子に嫉妬してしまわないだろうか。
羨ましがったりせずに育てられるのだろうか。
そんなことばかり考える。そもそも、そんなことばかり考えている母親なんて嫌だ。
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そうして結婚適齢期ど真ん中になって気が付いたのは、私が今まで恋愛に重きを置いて生活してきた理由は、私に足りなかったものをずっと探していたんだろうな、と思う。お父さんやお兄ちゃんみたいな包容力を求めていた気がする。
寂しさを求めてくれるような恋愛を探すのを辞められたように、この家族愛への恐ろしさもいずれなくなるものなのだろうか。
とか言って、急に結婚したりして! 笑
歌詞には書けない愛の話
シンガーソングライターとして活動するほのかりん。歌という表現を超えて、一人の女性として、心のうちをさらけだす。表現者として新たな挑戦となるエッセイ、新連載!