大人の女には、道をはずれる自由も、堕落する自由もある――。7月3日に発売された『小泉今日子と岡崎京子』は、社会学者の米澤泉さんが読み解く、ふたりのキョウコと日本の女性たちの生き方の変遷。そしてそこでメディアが果たした役割とは? 8月24日(土)には、大垣書店京都本店にてトークイベントを開催します。ぜひご参加ください。
ものを書くアイドル──「パンダのan・an」と読書委員
小泉今日子とマガジンハウスのファッション誌の関係は90年代に入っても長く続いた。『オリーブ』や『アンアン』のモデルとしてビジュアル的に高く評価されただけでなく、女性たちの理想の「私」となった小泉は、言葉でも読者たちの共感を得るようになったからだ。その舞台となったのが、『アンアン』での連載エッセイである。雑誌の力が弱まった2010年代以降においては、往年の『アンアン』の影響力を想像することは難しいかもしれないが、当時の『アンアン』は別格のファッション誌であり、SNSのない時代のインフルエンサー的メディアであった。
とりわけ、日本で初めてのグラビアファッション誌として1970年に平凡出版(のちのマガジンハウス)より創刊された『アンアン』は、当時から90年代にかけて雑誌の中の雑誌であり、20代を中心とした女性たちの圧倒的な支持を得ていた。『アンアン』に載っているということは「おしゃれ」と同義であり、『アンアン』が流行を作っていると言っても過言ではなかった。その影響力は他の追随を許さず、林真理子も『アンアン』での長年の連載がなければ、人気作家として女性文化人を代表するような存在に上り詰めていなかったかもしれない。
そんな「憧れ」の『アンアン』で小泉今日子は、1994年末から連載エッセイをスタートさせる。もちろん、アイドルとしては前代未聞である。小泉自身もエッセイを書くのは初めての経験だった。記念すべき初エッセイのタイトルは「パンダのan・an」。なぜ、自分は「キョンキョン」と呼ばれているのか、そのルーツをたどっていくとパンダに行き着く。それは、『アンアン』の誌名の由来と同じなのだという。
ご存知とは思いますが、私は〝キョンキョン〟と呼ばれています。デビューしてからこのニックネームを付けられたと思っている人も多いのだけど、実は結構長い付き合いで、二十年以上も前、小学校一年生の頃に近所のおばさんが呼び始めた事がきっかけで友達に広まり、学校に広まり、遂には全国的に広まってしまったのです。(中略)なぜキョンキョンだったのか? キョン×2だったのか?(中略)そういえば雑誌のananもアンではなくアン×2だなぁ。と思って何気なく裏表紙を見たらなんと、そこに答えを見つけてしまいました。皆さん気付いてます? ananの裏表紙のどこかにひっそりとパンダがいることを……。
(『パンダのan・an』14─15)
今では、このエッセイ「パンダのan・an」や創刊記念号のたびにキムタクやキンプリが着ぐるみを被って表紙に登場するせいで『アンアン』とパンダの関係を知る人も多いかもしれないが、キョンキョンがエッセイのタイトルにするまで、裏表紙のパンダのことはすっかり忘れられていた。しかし、小泉今日子は、エッセイ初回からいきなり、憧れの雑誌である『アンアン』を自分の目線に持っていく。気負うことなく、「パンダのan・an」にしてしまうのだ。
こうして、「キョンキョン」と『アンアン』はまるで生き別れの姉妹が再会したかのように意気投合し、お互いになくてはならない存在となった。2年以上にわたって、『アンアン』誌上でキョンキョンの日常が飾らない筆致とポラロイドの写真で綴られていくことになる。
さまざまなSNSが普及した現在ならば、たとえ芸能人であっても自分の想いをストレートに発信することは容易いが、当時はまだ「生の声」を届けることが難しい時代だった。
そのような状況下で「パンダのan・an」は、素の小泉今日子を、自らの言葉で伝える格好のメディアとなる。彼女自身が30歳を迎え、結婚し、アイドルから俳優へと転身していく時期とちょうど重なったこともあり、「〝自伝〟と言っても良いかもしれない。」(単行本『パンダのan・an』の帯文)と本人が言うように、アラサーの小泉今日子が過去を振り返り、現在を見つめ、未来に想いを馳せる内容になっているのだ。
それはアイドル「キョンキョン」というよりも、小泉今日子という一人の女性の記録であり、アイドルを生業としてきた女性の「自伝」である。
小泉今日子。1966年2月4日生まれ。O型。水瓶座。好きな色=ブルー、オレンジ。好きな食べ物=トマト。好きな女優=ジーナ・ローランズ。好きな監督=ジョン・カサベテス。好きなヒロイン=風の谷のナウシカ。好きな飲み物=お水。好きなタバコ=フィリップモリス・スーパーライト。好きなテレビ=お昼のドラマ。好きな唄=女の意地。好きなマンガ=ダリアの帯。好きな季節=冬。好きな匂い=ラベンダー。好きな本=モモ。
(『パンダのan・an』74)
ここにはもうすぐ30歳を迎える小泉今日子という女性がいる。人生の半分を職業「アイドル」として生きてきた小泉今日子のまっすぐな想いがある。おしゃれ好きで映画好き。タバコも吸えば、昼ドラも見る。アイドルや芸能人の虚像に振り回されずに、意志を貫き通そうとする様子が、立ち位置を確かめながら、次の一歩を踏み出そうとする小泉今日子の姿が窺える。
頭の中に浮かんだ未来への一本道は、なんだかとっても見晴らしの良い、歩いて行ったら、とっても気持ち良さそうな道だった。景色を見ながら時々お喋りしたり、全力疾走してみたり、木陰に座ってお茶を飲んだり、そんな風に歩いていきたいな。
(『パンダのan・an』75)
90年代の小泉今日子は自らの言葉で語り始めた。俳優の永瀬正敏と結婚したばかりの、おそらく彼女の人生の中でもゆったりとした穏やかな時間を綴ったエッセイは、確実に『アンアン』の読者である女性たちの共感を得るようになっていった。また文章を書くことで、小泉の自身を客観的に見つめる能力はいっそう研ぎ澄まされたのではないだろうか。その後の俳優としてのキャリアにも確実にプラスに働いたと思われる。
それだけではない。2年余りの連載を終える頃には、もう独自の「小泉文体」とでも言うべきスタイルが芽生えつつあった。小泉今日子は言葉でも人々を魅了するようになっていたのだ。『アンアン』での連載が終了した後も、さまざまな媒体でエッセイを書くようになる。
そこに目を付けたのが読売新聞だった。なんと小泉今日子を読書委員に起用したのである。今でこそ、アイドルや芸人も小説を書くし、書評もするが、当時はまだ新聞の書評を「芸能人」が、しかもアイドル出身のキョンキョンが行うのは異例の出来事だった。しかし、小泉今日子は2005年から2014年の10年間にわたって読売新聞の読書委員を務めるという快挙を成し遂げるのである。
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つづきは、『小泉今日子と岡崎京子』でお楽しみください。