大人の女には、道をはずれる自由も、堕落する自由もある――。7月3日に発売された『小泉今日子と岡崎京子』は、社会学者の米澤泉さんが読み解く、ふたりのキョウコと女性の生き方論です。雑誌のエッセイ連載から全国紙での書評委員を務めるに至った小泉今日子さん。彼女に何が起こったのでしょうか? 8月24日(土)には、大垣書店京都本店にてトークイベントを開催します。ぜひご参加ください。
「書評を書く」という初めての経験
「本来二年任期のところを、余人をもって替え難い、ということで、五期も続けていただきました。」(『小泉今日子書評集』229)と読売新聞文化部記者も書評委員としての小泉今日子の能力の高さを称えているが、当の本人は、依頼があった時には断ろうと思っていたという。
たぶん私にはできないだろうから、お断りしようと考えていたんですよ。自分ではそんなに読書家だとは思っていなかったし、エッセイみたいな文章は書いたことがあったけれど、新聞で書評を書くなんて、とても。
(『小泉今日子書評集』229)
しかし、彼女が師と仰いでいた演出家の久世光彦が間に入り、女優やタレントとしてではなく、「ボツにする」という判断も含めて原稿にきちんとした評価をしてくれるのならば、という条件でようやく読書委員を引き受ける。2005年1月、小泉今日子は38歳。その1年前には永瀬正敏と離婚していた。
再びシングルになり、もうすぐ40歳という節目の年齢になろうとする小泉今日子は、1回目の書評で吉川トリコの『しゃぼん』を選ぶ。
「誰だって、昔は女の子だった。」から始まる初書評は全文を引用したいほど、小気味よく元女の子たちの心を揺さぶる。
『しゃぼん』は二十九歳の〝女の子〟の話。大好きな恋人と暮らしているけれど、恋人のふわふわとした愛情が、結婚や出産によって脅かされるのではないかと不安を感じる。仕事もせず、お洒落もせず、三日もお風呂に入らず、ソファーでうたた寝をしながら、ずっと〝女の子〟でいたいと足あ搔がく。現実に気付かないほど若くはない。だからこそ足搔くのだ。女の子の心意気のまま、現実を受け入れる覚悟は、逞たくましく、潔く、可愛らしい。
(『小泉今日子書評集』14─15)
「パンダのan・an」から約10年。30代の階段を一歩ずつ上りながら、結婚や離婚という出来事を経た小泉今日子にとって、「足搔き」ながら生きる道を模索する主人公の姿が、かつての自分に重なったのではないだろうか。実際、38歳から48歳という10年間の100冊近くに及ぶ書評は、小泉今日子の歩みと重なり、その時々の心情の吐露にもなっている。
その本を読みたくなるような書評を目指して十年間、たくさんの本に出会った。読み返すとその時々の悩みや不安や関心を露呈してしまっているようで少し恥ずかしい。でも、生きることは恥ずかしいことなのだ。私は今日も元気に生きている。
(『小泉今日子書評集』はじめに)
読書委員在任の10年間で取り上げた本のジャンルは小説、エッセイ、写真集、詩集と多岐にわたるが、すべてに共通するのが、その時々の彼女が生きるうえでの指標にしていた一冊だということだ。全97冊の半分以上が女性の手による作品であり、生き方をテーマにしたものも多い。
生まれて初めて教科書や参考書以外の本にラインマーカーを引きまくった。私の未来。新しい世界、新しい生き方への受験勉強をしているみたいで楽しかった。晴れて合格しますように。
(『小泉今日子書評集』199)
これは上野千鶴子と湯山玲子の対談集『快楽上等!』に寄せた言葉である。まもなく47歳を迎える小泉今日子は、書評の中で今までの来し方を振り返ると同時にこれから先の人生について思いを巡らせている。
恋愛の先にはいつも結婚や出産や家族という未来が見えていた。長い間その思いに捉われて生きてきた。離婚を経験した私でもついこの間までそんな思いに揺れていた。やっと解放されたというのに今度はどこに向かっていいのか迷子のような気分だった。
(『小泉今日子書評集』199)
書評を書くという経験が彼女をより内省的にし、生き方や人生についても改めて考える機会となったようだ。模索しながら自分なりの「答え」にたどり着くまで──読書委員を務めた10年間は彼女にとって生きることの「修行中」のような期間だったという。
この年齢で独身でいると、「今後どうやっていこうかなぁ」とかいう感覚があるから、書評にも書いたけど、家を買った方がいいのかとか、子どもを産んでないなぁとか、そういうのをずっと考えたりしながら過ぎていった十年間でした。女として、人としてのこの先がここで決まる、という感覚があったのかなと思います。
(『小泉今日子書評集』240)
同世代の女性が読者の中心であるファッション誌ではなく、新聞という万人に開かれた場を与えられたことが、内容だけでなく文体にも影響した。友人に語りかけるようなエッセイとは異なり、多くの人々に届く言葉を模索した結果だろう。
四十七歳の私は過去を懐かしんだり、未来を恐れたり、今を苦しんだりしながら日々を生きている。考える事が面倒くさいと思ってしまう朝もある。それじゃダメだと本当に思う。だから私は今日もページを開く。詩人の言葉は私に考える事を忘れさせないでくれるから。
(『小泉今日子書評集』204)
本を読み、人生について考えながら自分の言葉を紡ぎ出す日々。この間に、小泉文体(スタイル)というべきものも確立されている。2017年に出版された『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら 青のりMAX』(もしそば)という本にも、小泉今日子は登場する。「黄色いパッケージ 黒い麺」──それは彼女のエッセイ集『黄色いマンション 黒い猫』(2016年)を捩もじったものだ。この「もしそば」は書名が示す通り、古今東西の「文豪」たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら、どんな文章になるのかをテーマにした文体模写(パスティーシュ)集である。取り上げられているのは森鷗外、遠藤周作、村上春樹といった作家からミュージシャン、機械翻訳、2ちゃんねるまでと幅広いが、要するにその人ならではの「文体スタイル」がなければ題材には選ばれない。
それだけ、小泉今日子が書く文章には彼女らしさが滲み出ているということだ。でなければ、10年も読書委員を続けることなどできないだろう。
そう、私にだって積み重ねた確かな時間はあるのさ。びびることなんてないのさ。
(『小泉今日子書評集』223)
アイドル、俳優、エッセイスト、読書委員……新たな挑戦を積み重ねるなかで、自信も生まれ、生き方の可能性もさらに広がろうとしていた。生きることの修行期間を経て、「女の子の心意気のまま、現実を受け入れる」準備は整ったのだ。小泉今日子は果敢に次の扉を開けようとしていた。
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つづきは、『小泉今日子と岡崎京子』でお楽しみください。