うつわをさがす
なんでもないおかずをササッと盛ってさまになる焼締の小鉢や、白釉のぽってりとした変形皿が欲しいと思って5年が経った。あちこち見て歩くのだが今ひとつ決め手に欠け、かといって下手に間に合わせのうつわを手に入れるのも嫌である。というのも今、ヘビーユースしている茶碗と皿はどれも学生時代の買い物で30年に迫る年月が経った今もまだ現役なのだ。それを思うと歴代恋人・歴代夫の顔も脳裏をちらりとかすめるが、まあよい。それより、ここで適当なものを買ったらその器で寿命を迎えてしまう。そんな危機感を抱きつつ、うつわをさがし続けている。
手袋をさがす
向田邦子さんの『夜中の薔薇』という本に「手袋をさがす」というエッセイが収録されている。ある冬、向田さんは「気に入らないものをはめるくらいなら、はめないほうが気持ちがいい」と手袋をせずに冬を過ごした。現代であれば「さすがあの人はお洒落にこだわりがある」という話になるのだろうが、戦後間もない時期である。東京の冬はどこも暖房が行き届かず、さらには栄養状態も十分とは言いがたい。手袋はもはや生存と健康のための必須アイテムであり、それを欠くことは少なからず物議をかもしたという。今でいえば「気に入るコートがないから、真冬でもTシャツで過ごすわ」レベルの話と思っていいのではなかろうか。
あるとき、向田さんは上司から忠告を受ける。「君の今やっていることは、ひょっとしたら手袋だけの問題ではないかも知れないねえ(中略)男ならいい。だが女はいけない。そんなことでは女の幸せを取り逃がすよ」と。今のうちに直さないと、一生後悔するという言葉とともに。
昭和中期の一般男性の感覚とわかっていてもなお「うるせえ」と一蹴したくなる言葉だが──ついでに言えば「お前の家のトイレが末代まで詰まりますように」と呪いたくもなるが、向田さんも素直にハイとは言わなかった。徹底的に内省した結果、手袋も、恋愛・結婚を含めた”世間並み”の人生も、「たのしくない」という己の真実に従ったのだ。今のままではいやだ、しっくり来ないともがき続ける──そうした自分に気づいて、向田さんは上司の「手袋だけの問題ではない」という言葉に納得するのだった。そして自分の本心に嘘をつかず、不平不満を胸のうちで鳴らし続けることを選ぶ。そして上司の言葉を「あたたかい忠告」と表現し、手袋をさがし続けていること──つまり、自分が本当の意味で手にしたいものを、パートナーシップを、生き方を妥協せず探し続けることを自分の「財産」と言うのだった。ないものねだりとわかっていても、努力をおっくうがる自分を自覚しても。
そこまで高潔な気持ちではないにせよ、共感する──と思いつつ、このエッセイが発表された年を見て驚いた。向田さんがこれを書いた年齢と、今の自分は同い年なのだった。ふと手にした本が、自分の人生に優しく重なってくれる。
人生をさがす
「一生もの」という言葉に憧れた時期があった。20代前半は線路脇の草を摘んで食べていたほどの貧乏だったが、後半になるとなんとか文筆で生きていけるようになったのだ。「適当なコートを買うくらいなら、この一着を大事に着よう」と上質な黒のロングコートを買った。店員さんに「これは一生ものですよ」と後押しされたことも、胸を熱くした。カルティエの時計やプラダのバッグは夢のまた夢でも、池袋西武の歳末セールなら手が届いた。ようやく自分も、「一生もの」を手に入れられるまでになった──とワクワクしたが、3年ほど着たあと人に譲ってしまった。
それから10年以上が過ぎて、とある方のインタビュー記事を目にした。なんとも素敵なジャケットを紹介しておられる。ブランド名で検索すると、高価ではあるが無理ではない。「まさしく一生ものだな」と思った。インタビューのなかでは、そのラムレザーのジャケットがいかに着回しがきくか、風合いが良いものかが語られていた。メンテナンスや、着ることによってどう育てていきたいか、といった展望も。行間から愛があふれるその文章に、私は自分が「一生もの」を間違えていたことを知った。
「一生もの」とは、「一生愛せるくらい優れた、長持ちするもの」。それが私の認識だった。品質がよかったり、丈夫だったりして、直せばずっと使うことができる。でも実際、長くひとつのものを愛し続ける人の姿から感じられるのは「経年変化すら愛おしくて、進んでメンテナンスをし、ファッショントレンドが変わっても着こなしを積極的に楽しもうとする姿勢だ。ものを「一生もの」にするのは、向き合う人の態度なのだ。コートを手放した後、2度目の結婚が3年ともたなかったことが、苦い思い出として蘇ってくる。
長く連れ添った茶碗や皿のことを思えば、気取ったごはんも適当ごはんもなんでも盛って、友人にも親にも恋人にも使わせ、引っ越しのたびに大事に包んで新居で荷を解いた。はからずして一生ものになりかけている。これから手に入れるものはきっと、残りの人生の大部分でともに過ごすものだ。さがし続けるぞ、という思いが心の底から沸いてくる。ものだけじゃない、人間関係も、仕事も自分の心にまっすぐにさがすぞと。「これじゃない」「こんなことじゃない」と感じることが多い日々は、決して不運などではない。さがす努力をしている証なのだ。
<参考文献>
向田邦子『夜中の薔薇』講談社文庫
●エッセイのおまけとして、「さがす」を3冊ご紹介します。
角田光代『さがしもの』(新潮文庫)
病床にある祖母から探して欲しいと頼まれた1冊の本。しかしなかなか見つからず──奔走する少女を描いた短編集。3代続くドラマは、角田さんの長編『ツリーハウス』を連想するようで、胸がいっぱいになりました。
原田ひ香『三人屋』(実業之日本社)
志野原家の三姉妹のさまざまな人生模様と、経営する飲食店の客たちが織りなす物語のなか、父親が収録に参加したというレコードをさがし続けるシーンが描かれます。どこまでもベタでしょうもなく、まっすぐで優しい人間関係が印象的です。
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』(新潮文庫)
飼い猫の失踪を契機として「僕」の平穏な日常生活に変化が生じ、ある日妻・クミコが姿を消してしまう。妻を探すうち、不可解な世界に足を踏み入れることとなり──というお話。文字で読むのも面白いのですが、オーディブルで聴くと素晴らしい没入感が得られます。ナレーションは藤木直人さん。ちなみに『騎士団長殺し』のナレーションは高橋一生さんです(素晴らしかったです)