前号、視覚を失った作家による絵本について触れたが、子どもができて驚くほど絵本を読むようになった。一緒に読んでいる私の中でも様々な感情がうごめく。でも、反応は相いれないことも多い。例えば、思いがけない結末に涙をこぼしても、娘は全く悲しそうな素振りはみせず「お母さん悲しいの?」と慰めてくれたりする。あるいはくすくす笑う娘をよそに、どこが面白いのかと自分がさめた気持ちになることもある。この違いは年齢や知識の差によるものだろうし、感受性(圧倒的に娘の方が広く深い)も関係しているはずだ。子どもの時間の流れは速く、今日明日と1年後では、興味を持つ絵本も、反応する箇所もまったく違うだろう。
そんないずれ起こる変化が楽しみだなと、娘たちの未来を想像させてくれたのが本書だ。「魔女の宅急便」や「アッチ・コッチ・ソッチの小さなおばけシリーズ」など、数々の児童文学作品を著書にもつ角野栄子さんによる新作だ。ちなみに、絵は「魔女の宅急便」も手掛けた佐竹美保さんで、少ない色使いながらに鮮やかで、風や香りなど五感にとどく表現が豊かだ。
主人公は、町外れにはえているちいさな一本の木。脇を自動車がよく通り、夜になると町から犬のほえる声が響いてくる。何年もそこにはえているけれど、大きくならないのは環境がよくないからだろう。とはいえ、その場で生きることは「木」にとっては当たり前……。いや、それは本当に「当たり前」で「仕方のないこと」なのか、と読みながら考えさせられた。
遠くから聞こえてきていた犬のほえる声の主が、ある日、実体を伴ってちいさな木の前に現れる。ゴッチと自己紹介する犬は、自ら綱をくいちぎって家出したことを教えてくれる。「じぶんのすきなところにいくんだ」と。どうにかこうにかして、ちいさな木もゴッチと一緒に旅をはじめることに。動けないと思っていたのは思い込みだったのか、あるいは仲間が現れ、励ましてくれたから歩くことができたのか。「スタンスタンスタン」「イッポイッポイッポ」と、それぞれに鳴らす軽快な足音が、音読していて楽しく、娘も歌うようにくりかえす。ところが、旅の終着点(立ち寄っただけかもしれない)では予想外にしんみりさせられた。
本書でも私たち母娘の受け取り方は違い、5歳児にはしんみりという感情は存在しないのか、読後、娘は隣で晴れやかな表情をしている。成長とともに経験を積み重ね、感情、それを表現する言葉が増えていくことは大切だ。それと同時に、好きなところへ行くこと、見つけること、立ち止まること、焦がれること。そういったシンプルな行為の中にも、自分の感情だけがすべてではなく、人それぞれの思いがあることにも気づいてほしい。そんなことを娘の横顔を見ながら考えた。素敵な絵本は、私たち大人にも忘れがちなことを気づかせてくれる。
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