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ある日、逗子へアジフライを食べに ~おとなのこたび~

2024.09.14 公開 ポスト

思いたって、漁師町のアジフライ定食大平一枝

 小旅と書いて「こたび」と読んでいただければと思う。ちょこっとした「ちょこ旅」でも、ささやかだから「ささ旅」でも、「ちぃ旅」でもいいかもしれない。

 昨年の初夏、逗子で取材の仕事があった。インタビューは2時間、何時からでもいいという。お相手の都合で土曜日になった。フリーランスだが、土日はできるだけ休みにしている。でないと際限なく仕事を詰め込み、体を壊すと若い頃の無茶でよくわかったからだ。

 

 そんなわけでせっかくの土曜日なのだが、お願いする側の身なので文句は言えない。
 そういえば、ここのところ旅もしていなければ遠出もしていない。よし、と気持ちを切りかえた。家人に車を出してもらい、逗子にアジフライを食べに行こう。
 午前中に取材を終え、午後はノープランの逗子旅と決め込んだ。

 なぜアジフライかと言うと、ちょうど自著『そこに定食屋があるかぎり』(扶桑社)を書いている頃で、数年前から都内の定食屋を訪ね歩いていた。実直な良店はアジフライが厚くて旨いという共通項に気づき、それ程好きでなかったアジフライに俄然、興味がつのっていたからである。
 海辺の町なら、おいしいアジフライを出してくれる店があるに違いない。できれば店から海が見えて、漬け物や味噌汁の付いた定食で、日頃地元の人が行くようなところ。検索すると、まさにその通りの飾らない店が見つかったのでメモをする。家人はかたくなにガラケーなので、ナビは私だ。

 アジフライにつられて取材がいい加減にならぬようしっかり集中した労働後、ドライブや喫茶店で時間をつぶしていた家人と、坂の下で合流。車載のカーナビも一切見ない夫と、方向だけ当てをつけて見知らぬ街を適当に走り出す。

 映像の仕事をしていながら頑なにSNSやネット情報をオフで使わぬ夫は、一緒に暮らしていると腹が立つこともしばしばだ。息子家族のLINEだよりも私のスマホを覗いてくるし、映画館、飲食、美容室、整体、ありとあらゆるネット予約が自分でできない。カーナビも見ないので、道を間違えたり、遠回りもよくある。急いでいるときはイライラするが、こんな予定のない土曜の午後の小さな旅では気にならない。

 私は目ざとく、「あそこに古道具屋があるよ。あとで寄ろう」「野菜の無人販売だって」と路肩をチェック。そうやって突然立ち寄った喫茶店のコーヒーがものすごく少なくて高かったとか、雰囲気だけの見かけ倒しということもままあるのだけれど、これまたあまり気にしない。誰かに太鼓判を押された情報をたどった結果、肩透かしだったら騙された気分でがっかりするかもしれないが、なにしろ気まぐれの思いつきで入っている。ハズレでも恨みようがないのだ。

 逗子もアジフライの店だけは観光客仕様か否かを知るために調べたけれど、あとはノープランだった。

 駐車場が車とバイクでごったがえした海沿いの食堂は、家族経営ふう。私達は食券販売機の前で、恥ずかしいほど迷いに迷った。

 お客さんが食べているものを盗み見ると、サイコロを長細くしたようにぶ厚くいかにも新鮮そうなまぐろとカンパチの刺身2点盛り・アジフライ・たっぷり白髪ねぎがのった煮付・しらすおろし・小鉢・味噌汁・ごはんのセットが大きな御膳からはみ出そうになっている。

 別の人は、てりのあるタレをまとった丸ごと1尾のキンメダイの煮付け定食、刺し身5点盛りとエビフライのセットもある。
 黒板には、「地魚」の手書き文字。そんな魅力的な、東京では見たことのない豪華な組み合わせの定食が十種以上あるのだ。

 私は欲張って、大きなアジフライが2枚+刺し身3点盛りにした。
 パリパリ鳴る黄金色の衣に歯を入れると、中はふっくらふわふわの白身。脂身が銀色に光るぶりの刺し身は生醤油で。カツオは、葱と生姜をのせる。

 レモン、生姜、わさび、しそ、ねぎ、フライ用のタルタル。薬味やソースが小皿に互いに混ざらぬよう添えられた膳から、「それぞれの魚のおいしさをベストな方法で味わって!」という作り手の思いが伝わり、ああ漁師の町に来たんだなあと思った。

 しそはビニール製のバランじゃなく本物で、刺し身に合った薬味で食べるのが当たり前で。魚がいちばん身近なごちそうというその土地のならいを、垣間見た気がした。

 自宅のある世田谷から車でたった1時間半。

 海沿いを走り、アジフライを食べ、丘の上の喫茶店でコーヒー(夫)とビール(私)を飲んで帰ってきただけだけれど、一年経った今も、サクサクとフライを頬張りながら水平線の向こうのサーファーを眺めたあの心地よい夏の始まりの半日を忘れられずにいる。潮の匂い、湿り気を帯びたやわらかな海風、水色から濃い青へグラデーションを描く水面のきらめき。ビルや家々に囲まれた街場では気づきにくい、強い夏の気配。あれは間違いなく非日常の旅だった。

 計画をほとんどたてない、適当でえいやっと重い腰を上げなくても楽しめる、けれど一瞬で非日常にトリップできる小さな冒険を、「小旅(こたび)」としてみた。

 飛行機でパリやベトナムに、えいやっと勇気を出していく旅も本コラムに登場すると思うが、行った先の小旅のリズムは変わらない。野菜の無人販売を見つけて車を止めるような気楽さで、計画を立てすぎずに歩く。そこで思わぬ発見があったり、自分の日常にはない土地の人の習慣や感覚を疑似体験してリフレッシュしたり、案外人生の大事なことに気づいたり、気づかなかったり。

 散歩は日常の延長線上にあるが、小旅は自分の暮らしから切り離したところに楽しみがある。若い頃はあれを見て、これも体験してと欲張ることが贅沢だと思っていたけれど、なんでもない小旅を堪能できる隙間のある人生こそ贅沢ではと、やっとこの年になって実感し始めている。

 ふらっとアジフライを食べに行くような、ささやかだけれどたっぷり癒やされ、心を洗濯できる大人の小旅を綴っていくので、よかったらご同行を。

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ある日、逗子へアジフライを食べに ~おとなのこたび~

早朝の喫茶店や、思い立って日帰りで出かけた海のまち、器を求めて少し遠くまで足を延ばした日曜日。「いつも」のちょっと外に出かけることは、人生を豊かにしてくれる。そんな記憶を綴った珠玉の旅エッセイ。

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大平一枝

文筆家。長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に「東京の台所」シリーズや『人生フルーツサンド』『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた』『そこに定食屋があるかぎり』など。「東京の台所2」(朝日新聞デジタル&w)、「自分の味の見つけかた」(ウェブ平凡)、「遠回りの読書」(サンデー毎日)など各種媒体での連載多数。

HP:https://kurashi-no-gara.com/

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