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瀬戸際の花嫁

2024.09.09 公開 ポスト

裁かれない蝶々は同じ毒牙にかかる鈴木涼美

所属していたAV事務所の社長は顔こそ今ではちょっと見ないくらいの反社顔だったけれど、彼が社員にブチぎれるところを見たのはたった二回で、二回とも相手は違えど同じ罪状だった。一人はその場でクビになり、もう一人は首の皮一枚でクビにはならなかったものの、ブチぎれられて拗ねたのか怖くなったのか、翌週から来なくなった。

 

罪名はいわばAV嬢の裸を見た罪。面接後の全身カメラテストで、あるいはグラビアやパッケージの写真撮影で、あるいはAV本編の撮影で、別室に移動せず、ほかのスタッフ(監督とか照明さんとか)に混ざって仕事で裸になるAV嬢を見てしまったことである。

一応容疑者の方にも言い分はあって、レフ版を持つのを手伝ってましたとか、初めて面接に訪れるメーカーだったうえに面接用の個室の奥に入ってしまっていたため外に出るタイミングがなかったとか、理解できる状況がそこにあっても社長の怒りはおさまらない。マネージャーたるもの、自分の扱うモデルの裸や性行為は見てはいけない。脱ぐシチュエーションになればどんな場合であれ部屋の外に出て待機せよ。

裸を見せるのが仕事の私たち、別にわざわざのぞかれるまでもなく、裸は毎月パッケージに包まれて発売されているし、なんなら事務所の壁には半裸のポスターなんかがべたべた貼られていたわけで、何をいまさらという感じではあるものの、とにかくそれは我が事務所ではA級戦犯という感じで、どんな言い訳も聞き入れてもらえない大罪なのだった。

もともとややデリカシーに欠ける性格な上に、裸を見せることに慣れ切ってしまって、撮影の合間の昼食も全裸で食べていた私は当初、社長の怒りは若干理不尽なようにも思えたのだが、怒鳴る内容を聞いているとそれはそれは立派な理念ではあった。

曰く、カメラマンや照明技師は全員が撮影に必要なプロの専門家であって、そこにあるのが美しい猫であろうがAV嬢の裸体であろうが美味しそうなケーキだろうが特別な感情を持たず、あくまでプロ同士の作品作りとして被写体を見る。だからこそAV嬢もかわいそうな存在でもただちやほやされる存在でもなく作品作りに参加するプロとして、その作品に必要な裸や性的な行為を露にできる。

しかしマネージャーは撮影には必要のないただの男であって、いわば嬢を見る目は女体を見る目。その視線が入り込むことによってAV嬢のプロ意識は揺らぎ、自分の立場を勘違いしたり卑屈になったりする。くわえてマネージャーはAV嬢にとって仕事上の代理人であり、精神的な支柱でもあるのに、恥ずかしい姿を見られ、自分の裸を批評される危機に晒されることによって関係に上下関係ができてしまう。

と、上品な私が書けばこんな感じのことを、社長はこの百倍下品かつ乱暴なべらんめえ口調でがなりたてるのだけど、ここでトーンポリシングしても仕方ないので好意的な意訳をしたまで。とある雑誌の編集者がぽろっと口をすべらせたことによってその罪が明らかとなった秋川雅史風ヘアスタイルの若手社員は、入社してまだ数か月だったこともあり、挽回のチャンスを与えられることもなくその場でクビになった(もう一人は一応挽回のチャンスを与えられたものの、自分から飛んで別のAV事務所立ち上げに参加したとかなんとか)。

「ちょっといい家に生まれたからって調子に乗ってんじゃねえ」という社長の言葉で、私は彼がだてに秋川風なわけではなく、ガチでちょっといい家に生まれた者であることをその時知った。オンナの裸商売や水商売の現場にいる男は、時に女以上に過酷な生まれだったり、差別を受ける立場だったりするのでちょっと意外だった。私もまた時々社長に、「どうせお前はいい大学行ってるから」とか「実家に甘えればいいとか思ってんだろ」とか嫌味を言われることがあったので、ちょっと親近感がわき、たった数か月の薄い付き合いだった彼をなんとなくずっと覚えていた。

さて時はたち、すでにAVを引退してしれっと大学院生を経由して昼間の退屈な会社員をしていた私は、意外な場所でその秋川風元社員と再会する。それは元夜職の友達の結婚式で、彼は何と新郎としてその場に登場した。なんて偶然。式当日まで新郎の写真など一切見ていなかった上に、彼のフルネームなんて知らなかった私は、式場の仰々しいチャペルの扉から登場した姿を見て初めて、友人の夫となったのが、かつてAV事務所で社長に怒鳴られた男だと知った。

夜職時代の友人の結婚式に呼ばれた経験はそう多くはない。どちらかが店や街を変えたり夜をあがったりするとなかなか連絡をとらなくなることが多いし、そもそも源氏名で呼び合う間柄は家族を紹介するような仲に発展するのは稀だ。そこそこ付き合いが続いていたとしても、相手に自分の過去を隠していればもちろん、親や相手の親に夜職を隠して結婚する場合でも危険因子は式に入れないことも多い。そのかわりに、気心知れたキャバ嬢やボーイが参加する気軽な二次会や飲み会が別途開催されることもあるし、別にそれについてこちらも文句はない。

しかしその日結婚したかつてのキャバクラの同僚ミコちゃんは律儀な性格なのか、ほかに友達が少ないのか、かつて一緒に働いた仲間を何人かまとめて式にも披露宴にも招待していて、なおかつ打ち合わせと称して結婚式前に我々に召集をかけていた。打ち合わせと言っても別に歓楽街のネオンで焼けた声の我々が受付や司会を任されるわけではなく、ただひたすら「その日口に出してはいけないNGリスト」を確認させられる会だった。名付けて「口止め料としてパスタ奢ります」の会。

彼女の過去についてこれはオッケーこれはダメ、を色々と暗記させられた我々としてはそんなに心配なら呼ばなきゃいいのにとちょっと思いつつ、人は大きな幸福を前に色々とナーバスになるのだな、と学んだ。後ろめたいことが多い人ならなおさら、幸福絶頂の時に奈落へと突き落とされないように、何かと気を遣う。もしかしてこの「打ち合わせ」を開催したいがためにわざわざ披露宴に招待したのかもしれなかった。迂闊な元夜職仲間の我々が、夫といる彼女に道でばったり会って口をすべらせる可能性がないわけではないのだから。

さてチャペルの扉からクビになった秋川風マネが登場してみると、色々とその伏線が回収されていく。彼女はたしかに繰り返し、「うちなんかと格が違う、めっちゃいい家のお坊ちゃんだから」と強調していた。「チェロとかプロ級にうまくて、クラシックとかめっちゃ詳しい」とも。そして、「彼の家族には内緒だけど実は彼自身は、キャバクラの過去は知っていて理解してくれているの。でもその後ホス狂ってデリとかやってたことは死んでも言っちゃダメ」とも念を押されていた。

チェロの英才教育を受けるほどいい家柄であってなおAV事務所で働こうとするような男は、そりゃキャバクラで働いていたなんてことくらい余裕で受け入れてくれるであろう。ホス狂い期がバレたくないのは単に彼女にとって気まずい黒歴史だからだろうが、実際はデリヘルだって別に理解してくれるんじゃないか。本人はAV嬢に囲まれて、しかも業務に必要がないのに彼女らの裸体を覗き見た罪でクビになっているような男なのだから。

チャペルでの儀式は滞りなく、披露宴も老舗ホテルらしい伝統的なケーキカットやらキャンドルサービスなどがあったことを除けば極めて滞りなくすすみ、ミコちゃんはしっかり両親への手紙で「ちょっと冒険がしたくて一人暮らしを始めた学生時代もお母さんは毎週のように食材や料理を送ってくれました」なんて白々しい文を涙目で読んだ。「打ち合わせ」に参加した我々は、ホストクラブとデリヘルへの冒険を想起して笑いそうになりつつも、割とみんな良識的な大人になっていたので実際にはちゃんと真顔で聞いた。

秋川マネが私に気づいたかどうかは知らない。けれどミコちゃんの話しぶりから、彼は彼で自分のAV事務所への冒険については彼女に打ち明けていないのが明らかだったし、ワタシだってわざわざ「うちの事務所の社長にお前のは女体を見る目なんだよって怒鳴られてたよね」と言うほど意地悪ではない。彼女は彼の過去を知らない。彼も彼女の過去の本来的なえぐみは知らない。お互いが、ほどよく加工されたファンタジーを持ち寄り、一つ屋根の下で「ベビーカーどれにしようか」なんて会話しながら暮らしていく。心のどこかであの過去がバレませんようにと願いながら。

ネオンに焼けていたとはいえ、まだ二十代で純真だった私は、結婚はしないだろうなと思った。するとすれば、そんな脆いファンタジーを用意しなくてよい相手がいいな、ともちょっと思ったが、私のえぐみを知って平気な顔をするような男はそれはそれで嫌だからやっぱりしない、と思い直した。

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瀬戸際の花嫁

人気連載「夜のオネエサン」シリーズが帰ってきました! 妻になり、母になることになった鈴木涼美さんが、人生の思いがけない展開にときに戸惑い、ときに喜びながら、「夜のオネエサン」たちの結婚・出産について思いをはせます。

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鈴木涼美

1983年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学卒。東京大学大学院修士課程修了。小説『ギフテッド』が第167回芥川賞候補、『グレイスレス』が第168回芥川賞候補。著書に『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』『愛と子宮に花束を 夜のオネエサンの母娘論』『おじさんメモリアル』『ニッポンのおじさん』『往復書簡 限界から始まる』(共著)『娼婦の本棚』『8cmヒールのニュースショー』『「AV女優」の社会学 増補新版』『浮き身』などがある。

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