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ぶらり世界裁判放浪記

2024.10.16 公開 ポスト

#4

「女性たちは階級を超えて、暴力にさらされている」レイディ・ジャスティスが変えたケニア原口侑子(弁護士)

TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」出演で話題! 世界131ヵ国を裁判傍聴しながら旅した女性弁護士による、唯一無二の紀行集『ぶらり世界裁判放浪記』(小社刊)より、エチオピアの旅をお届けします!

*   *   *

ケニア2度目の傍聴は最高裁判所

次にケニアで裁判所に行ったのは、年が明けた1月だった。たまたま宿の隣にあったFIDA(国際女性弁護士連盟)のオフィスを訪ねると、女性スタッフ(名前はベアトリス)と翌日一緒に裁判傍聴に行こうという話になった。今度は最高裁判所を見ることにした。

最高裁判所は、前回行った地方裁判所の建物から中庭を隔てて少し離れた場所にあった。薄暗く、ひんやりとした廊下。雑然とした地方裁判所よりも、濃い圧があった。「ここは最終判断が下される場所である」からであろうか。などと思った。

最高裁判所は、扉もひときわ重かった。ギィと開けた扉は法廷の側面にあったようで、目の前、右手には、よく磨かれた木の法壇がずしり。左手に延々と観客席のような傍聴席がつづく。法壇には5人の裁判官、傍聴席の一番前には5人の弁護人。

『ぶらり世界裁判放浪記』(原口侑子・著)

足音を殺しながら、傍聴席を後ろの方まで歩いていった。4段の階段を上ると、中二階の形で傍聴席がつづいている。法廷の薄明りの中で、法壇は舞台のよう、私たちは開演に遅れてきた観客のようだった。部屋の隅にはプレス用の席があり、4人の記者が座っていた。ベアトリスが記者たちを指さして「最高裁担当のプレス」だと教えてくれた。雰囲気は重い。

「この案件は憲法訴訟で、注目されているようね」とベアトリス。審理の進みは遅い。

さて、この法廷。テリッテリの法壇の木の艶もすごければ、5人の裁判官もまた重厚感があった。法服はゆったりした深い緑地のローブ。金色の太い縞が縦にいくつか入っており、ローブの左右を合わせるためのピンも金色に光る。隣の地方裁判所で36歳の裁判官がスーツを着て裁判をしていたのと、えらい違いだ。

真ん中に座る老人が裁判長で、その左右に裁判官が2人ずつ、濃緑のローブを揺らすこともなく、ダブル助さん格さんのごとく控えている。みなあまり発言せず、座っているだけでいかめしい圧をまとっていた。その中で私の目を引いたのは、向かって左端に座った裁判官だった。

彼女はときおり、タイミングを計ったように短い質問を投げかけ、答えを促した。穏やかな声に力強い眼光、そしてクリアな言葉。彼女が首を傾けると、耳元の大ぶりのイヤリングが金色に、キラリと揺れた。ショートボブの黒髪はおそらくウィッグだろう。貫禄があってゴツくて、おしゃれだった。

私の目には彼女だけがほかの裁判官と違って鮮やかに見えた。かっこいいなと思って彼女をスケッチしていると、隣に座るベアトリスがにっこり笑い、ペンを取り出して私のメモをゆっくり取り上げた。

そして彼女は、「Lady Justice Njoki Ndung’u」とメモに書き込んだ。

「この裁判官は、とても有名な、レイディ・ジャスティス。弁護士から政治家になって、それから最高裁の裁判官になった。あなた彼女の裁判を見られてラッキーね」

「この国ではみんなずいぶん裁判官のことを知っているな」私は思った。

助さん格さんズとレイディ・ジャスティスは対照的であったが、ナイロビの最高裁判所の椅子に「七福神ならぬ五福神」のように鎮座した裁判官5人には、アイコン感があった。

日本の最高裁判所裁判官の国民審査を思い出した。衆議院議員総選挙のときに投票用紙とともに紙が配られ、不信任の裁判官の名前の上に「×」をつけるやつである。けれど、そもそも名前すら知らない人ばかりのためかなかなか議論にならなかったりする(一方で、こういう手続があること自体に意味があるのに、海外に住む日本人は国民審査ができないという理不尽もある)。

しかしまあ、「最高裁判所裁判官」が肩書だけでもアイコン的で政治性を帯びるのは、日本でもケニアでも同じなのかもしれない。

「わきまえない」レイディ・ジャスティス

それからしばらくのあいだ、私はこのときのことを忘れていた。

あるときふとメモを開くと、レイディ・ジャスティスの記憶がブワッと甦ってきて、ベアトリスの書き込んだ「Lady Justice Njoki Ndung’u」を、インターネットの検索窓に打ち込んだ。そして彼女のスピーチを見た。それがまた、ゴツくて、ウィットに富んだスピーチであった。

彼女は、まだ女性議員が少なかった時代に、性犯罪法の成立と、育休制度の確立に尽力した国会議員だった。いまもケニアの弁護士に彼女の話をすると、「性犯罪の被疑者の権利と、被害者の権利のバランスについて、議論を始めた人だ」という反応をもらったりする。

ケニアでは2003年まで、生理用品に税金(それは香水やコスメと同じぜいたく税の一種だったらしい)が課されていて、「生理用品を買う経済的余裕のない女子学生が生理の期間中に学校に行けず、ドロップアウトする」というのが社会問題になっていた。その税金の廃止に向けて動いたのが、2003年に国会議員の職についた彼女だった。

ナイロビのスラム。

国会に女性用トイレすらないような時代、「生理用品」という言葉をただ口にするだけで「そんなプライベートなことを、そんな『下ネタ』を、国会で話さないでくれ」「わきまえよ」などと男性議員に言われつづけた。……そう彼女は語った。しかしされても、彼女が屈することはなく、当時「国会のドン」であった男性議員(4人の妻と十数人の娘を持つ)に語りかけて、「ドン」氏の金が毎年どれほど生理用品に費やされているかを計算してみせた。「ドン」氏は驚愕して叫んだという。「国は税金という名目でこんなにも多くの金を私の家庭から盗んでいたのか! ドロボーではないか!」……すぐに生理用品課税は廃止されたという話である。

「いろんな局面で、『そんなバカげたこと』と言われつづけた。でも私はその『決してバカげてなんかないこと』を言いつづけた、言わないと何も変わらないから。ずっと言いつづけたし、これからも声を上げつづける」彼女は話した。

「自分自身が主張しないと、あなたの権利もないものとして扱われる(If you are absent at the table, so are your interest)。権力というのは、たとえば西洋人や白人、たとえば健康な人々、それから男性の側にある。私たちは、その逆サイドに生きている。だから私たちは、『声を上げること』をつづけないといけない」

彼女はつづけて自分の子供時代のことを語った。「私は裕福な地域に育った。それで『どうせ恵まれてるんでしょ』と言われる。でも私の家では、父親がお酒を飲んで暴力をふるった。母親と私たち姉弟は、父親が家に帰るまで眠れなかった。父親が家に帰りつく車の音で、彼が酔っぱらっているかを判断した。そして朝までどうやり過ごすかを考えた。そんな毎日が、ずっとつづいた」

「恵まれているかどうかじゃない」彼女は言った。「女性たちは階級を超えて、暴力にさらされている(Violence on women cuts the class)」

じっと彼女を見つめる支持者の顔が映し出されていた。女性が多かったが女性だけではなかった。権利がないものとして扱われているのは性的マイノリティもそうだと、その後知った。

「ああ、あのときの裁判官だ」この動画を見たとき、私は「そうだった」と思った。

裁判官席の中でひときわカラフルに見えた彼女をふたたび「かっこいい」と感じた。

ケニアでは、最高裁判所裁判官の国民審査制度はないらしい。最高裁判所長官は、「司法官任用委員会」の面接を受けて、大統領に任命される。2021年5月、ついに女性初の最高裁判所長官が誕生した。私の見たレイディ・ジャスティスではない。また別のレイディ・ジャスティス。もう私たちは女性の「ジャスティス」の前に「レイディ」をつける必要がなくなったみたいだ。ケニアでは。

*   *   *

次回はマラウイ共和国編をお届けします。10月19日公開予定です。

原口侑子『世界裁判放浪記』

バックパッカー×裁判傍聴!ある日バックパッカーとなった東大卒の弁護士は、アフリカから小さな島国まで世界131カ国を放浪し、裁判をひたすら見続けた。豊富な写真と端正な筆で綴る、唯一無二の紀行集!

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ぶらり世界裁判放浪記

弁護士の原口さんは、ある日、事務所を辞め、世界各国放浪の旅に出ました。アジア・アフリカ・中南米・大洋州を中心に、訪れた国は、約131カ国。目的の一つが、各地での裁判傍聴でした。そんな唯一無二の旅を描いた『ぶらり世界裁判放浪記』(小社刊)の試し読みをお届けします。

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原口侑子 弁護士

東京都生まれ。弁護士。東京大学法学部卒業。早稲田大学大学院法務研究科修了。大手渉外法律事務所を経て、バングラデシュ人民共和国でNGO業務に携わる。その後、法務案件のほか、新興国での社会起業支援、開発調査業務、法務調査等に従事。現在はイギリスで法人類学的見地からアフリカと日本の比較研究をしている。これまでに世界131カ国を訪問。

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