TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」出演で話題! 世界131ヵ国を裁判傍聴しながら旅した女性弁護士による、唯一無二の紀行集『ぶらり世界裁判放浪記』(小社刊)より、エチオピアの旅をお届けします!
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法廷という場所の持つ劇場性
古今東西、裁判所のイメージとして挙がるのは「怖いところ」とか「特別な場所」なのではないかと思う。キャッチコピーを作るのであれば、「一生行きたくないところナンバー2」。ナンバー1は刑務所だろうか。裁判官が判決の後に述べる説諭でもよく「もうここに戻ってこないように」という言葉が聞かれる。「裁判所に近寄らない人生を送るに越したことはない。古今東西」……そのようなことを、たしかに私も思う。
私もたった4カ月だが、日本で弁護士になる前に、裁判所で見習いをしたことがある。日本では、弁護士になるには司法修習という研修を1年間(当時)受けなければならなかったのだが、私たちの時代はそのうち4カ月が裁判所での研修だった(ほかの期間は検察庁とか弁護士事務所とかに行く)。
その期間中は、裁判官のオフィスである「裁判官室」に机を置かせてもらって裁判官の日常を模倣するのが仕事だった。証拠資料を読み、判決を書く(起案する)こと。判決を書くためにたくさんの類似の裁判例(それまでの判決)を調べて勉強し、裁判官同士で議論をしながら、決断をすること。それらを真似し、学ぶという仕事。
外から見た裁判官の仕事は「法廷で判決を読むこと」であるが、裁判官の仕事の多くを占めるのは、法廷ではなく法廷裏の裁判官室で調べ物をして判決を書くことなのである。裁判のない日は、法廷用の黒い法服は、裁判官室のコート掛けに吊るされ、夏は冷房、冬は暖房の風にそよいでいる。そんな法服を、裁判官は法廷に立つときだけ着て、裁判官室を出る。そして、裁判官専用の裏通路を通り、法壇の裏にある裁判官専用の扉を開ける。
一方、法廷にいる私たち非・裁判官たちは、開廷を待つあいだ、裁判官たちとは異なる情景を見ている。裁判当事者も、関係者も、傍聴人も、警備員も、シンと静まりかえった法廷で、じっと座って法壇を見上げている。
開廷時間になると、静寂をパンッと破って、裁判官が扉を開ける。まるで、パカッと異世界の扉が開くような感覚だ。裁判官の「開廷します、起立してください」という言葉を合図に、私たちは「待ってました」に少しの緊張を混ぜ、立ち上がる。まわりに合わせて浅いお辞儀をする。
「それでは、令和3年(わ)XXXX号、被告人なにがしの審理を始めます。被告人は前へ」裁判官が、(たいてい)厳かな口調で期日の開始を告げる。そこに何かしら「型」めいたものを感じることもあった。だから裁判所が「特別な場所」になるのかもしれない、などとも思っていた。
大都市ナイロビのビジネス街に
さて、ナイロビの裁判所である。東アフリカ一の大都市ナイロビは、奇妙な町だ。空路でこの町に来た観光客はまず、空港を出ると、野生動物のいる国立公園のわきを通り過ぎる。その後、町の端に広がる巨大なスラムのわきを通り、町の中心部に来ると高層ビルに突き当たる。中心部にあるホテルやショッピングモール、クラブ(ディスコ)、カジノは、アフリカのステレオタイプをかき消し、資本主義のにおいと入れ替わる。高層ビルの谷間には大きな公園があり、パンをかじって憩う会社員たちがいて、男性も女性もスーツを着ていた。ちょっと東京のオフィス街にも似ている。東京では日比谷公園から丸の内のビルへ、パンをかじりながら通勤できるビジネス街の一角に、裁判所もあった。
外から見た裁判所は、こぎれいな建物だった。スーツの人たちが出入りする入口は大使館に似ていて、セキュリティチェックの小部屋があり、荷物検査の機械がウィーンと音を立てる。
「身分証は?」年配の男性職員が英語でぶっきらぼうに話しかける。
「あ」私は急いでパスポートを取り出した。「あります」
「うむ」職員はうなずいて私の手からパスポートを取り上げ、荷物検査機の横にある引き出しに、無造作に仕舞った。
「これ、返ってくるの?」私は不安になった。
「大丈夫だよ、ほら」そう言って職員は別の引き出しから、いくつかIDカードを取り出し私に見せた。ケニア人もIDカードをあずけているようだった。
建物の中に入ると、一見コロニアル風の廊下がつづいていた。古い建物っぽいにおいがする。
私が入った地方裁判所の第2法廷では、刑事事件の審理が行われていた。裁判官は1人。後ろの壁に国旗(とライオンらしきもの)を背負い、背後には裁判官用の扉がある。警備員は2人。法壇の前には書記官が腰かけ、検察官や弁護人から書類を受け取っている。裁判官は、身のこなしのキビキビした、ハンサムな男性だった。意志の強そうな鼻筋、厚い唇。チャコールグレーのスーツに細いネクタイを締め、法服は羽織らず。彼はしばらくのあいだ手元に目を落として黙って書類を読んでいた。何も言わない。
証言台とおぼしき壁際の壇には、被告人と思われる人たちが4人、並んでいる。貧乏ゆすりをしている者もいる。
裁判官は目を上げると、被告人の1人に悠然とした口調で話しかけた。スワヒリ語のようだ。短いやり取りが終わると、裁判官は法壇の下に座った書記官に目配せをし、手続は次の被告人へと進む。裁判は流れ作業でどんどん進んでいった。内容の説明を求めて、私は隣に座った男性にヒソヒソと話しかける。
「この法廷では軽微な犯罪を扱っているんだよ、だからサクサク進むんだ」
弁護士だというその男性は答える。「あの裁判官の事務処理が速いというのもあるけどね」
「そうなんですね。有名なの?」
「有名というか。うん、まあそうだね。優秀な裁判官だよ。36歳。なかなかいい男だろう?」弁護士はヒッヒッと笑いながら教えてくれた。
ここの人たちは豪快に笑うとき、ヒッヒッと声を立てる。エチオピアにつづいてケニアでも裁判官の年齢を聞くとは思わなかったが、私もヒッヒッと少し笑った。
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次回、今度はケニアの最高裁判所へ! 9月16日公開予定です。
ぶらり世界裁判放浪記
弁護士の原口さんは、ある日、事務所を辞め、世界各国放浪の旅に出ました。アジア・アフリカ・中南米・大洋州を中心に、訪れた国は、約131カ国。目的の一つが、各地での裁判傍聴でした。そんな唯一無二の旅を描いた『ぶらり世界裁判放浪記』(小社刊)の試し読みをお届けします。