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人生はどこでもドア

2024.09.24 公開 ポスト

アフロえみ子53歳が、観光なし、美食めぐりなし、という驚きの戦略で挑んだフランスへの旅。その結末は?稲垣えみ子

海外暮らしへの憧れを胸に、言葉もできないままフランス・リヨンに旅立った、アフロえみ子53歳。観光なし、美食めぐりなしでも、毎日は冒険の連続。稲垣えみ子さんの旅エッセイ『人生はどこでもドア リヨンの14日間』より、プロローグをお届けします。

9月28日(土)には、フリーアナウンサー堀井美香さんとのトークイベント「おばさん、人生を二度生きる!」を開催します。こちらのご参加もお待ちしています。

*   *   *

海外で暮らしてみたい。それは子供の頃からの憧れだった。

一体またどーして? なんて聞かないでほしい。もしかすると今の若い人には想像がつかないかもしれないが、日本人はずっと昔っから長い間、海外に恋い焦がれてきたのだよ。

海外に憧れるのが日本人である、と言ってもいい。

そう坂本龍馬だって桂小五郎だって松田聖子だって、皆、夢は海外進出であった。

海外で通用してこそ一流であると多くの日本人が信じてきた。野茂や伊良部が大リーグに乗り込んでいった時は、皆かたずをのんで見守った。

それは、島国に暮らす者の宿命的なロマンなのかもしれない。自分たちは、所詮はちっぽけな世界でごちゃごちゃやっているにすぎないのだというコンプレックスかもしれない。

そう、コンプレックス

私の場合は、その言葉がぴったりだ。

海外生活の経験があると聞くだけで、その人が自分より何倍も大きな人に見えた。で、私もいつかは……と決意しては語学学習に手を出すのだが、努力不足なのか能力不足なのか、何度挑戦しても全く身につくことはなかった。あまりに見込みがないので方針を転換し、いっそ外国語なんかできなくても海外で強制的に暮らせばきっと私だって華麗な国際人になれるに違いないと、特派員(ああなんてかっこいい響き!)になるという野望を胸に新聞社に入社した。

だがこれといって光るところもない平凡な一記者には、そのような華やかな地位へとつながる道は全く閉ざされていた……と知ったのは、入社してもう何年もたってからだった。つまりはひたすら国内に拘束される仕事に追いまくられ、ふと気づけば、海外生活どころか長期旅行に行くチャンスもないのである。

これはいかん

50歳を機に会社を辞めたのは、まあいやしくも会社員が30年近く勤めた会社を離れるのだからして色々な理由があったのだが、その理由の一つが、「このまま会社にいたら、やりたいことができないうちに寿命が尽きてしまう」という危機感であった。

もちろん、その「やりたいこと」の一つとは……そう、憧れの海外暮らしだったのでありました。

で、辞めたのはいいのだが。

いざ海外で暮らすとなれば、やはりどう考えても言葉ができなければならないだろうと、振り出しに戻る。せめて英語である。

そうだ語学留学でもするか……というのが最初のプランであった。何しろ会社を辞めたんだから時間はたっぷりとあるのである。聞けば、フィリピンのセブ島に格安の寄宿制語学学校があり、日本人に人気なのだとか。なるほどフィリピンなら近いし、いきなり西洋人に取り囲まれるよりは気楽だ。なかなか魅力的なプランである。

だが人生とは全く思う通りには進まない。会社を辞めてヒマになるはずが、いざ辞めてみると「ヒマだヒマだ」と公言していたせいか、なんだかんだと仕事やらお誘いやら雑用やらが入ってきてしまった。誠にありがたいことである。しかし、何せ会社に所属していないので、先方の都合で仕事やら会合やらの約束をしていると土日もへったくれもないのであった。海外留学の時間などとてもひねり出せず、ぐずぐずしているうちに、気づけばアッという間に2年が経過……。

これはいかん

こんなことをしていたら、きっとアッという間に5年たち、10年たち、せっかく早期退社したのにフツーの定年の年齢に到達してしまうではないか!

発想の転換が必要だ。

そうだ。「ちゃんと準備しよう」などと考えるから、いつまでたっても旅立てないのだきっと。

行ってしまえばいいんじゃないの? 準備など何もせず。エイッと

いわば「セルフ特派員」である。誰も特派してくれなければ自分で自分を特派すればよいではないか。そう、「行ってしまえば何とかなる」精神で。

だがよく考えると、そう単純にいくだろうか? 新聞社の特派員であれば、エイッと行ったら行ったで会社が様々なサポートをしてくれる。通勤する場所だってあるし、同僚もいるし、やるべき仕事もある。つまりは会社に助けられながら会社の仕事を懸命にこなすことで、気がつけば英語などもそこそこに話せるようになっちゃったりして、そしてかの華麗なる「国際人」になっていくのではないだろうか?

ところが。今の私には何もないではないか。エイッと行っても、一人。咳をしても、一人。サポートもなければ居場所もない。セルフ特派の道はなかなかに険しいのであった。

だがしかし。私には勝算がないわけではなかったのであります。

自分で言うのもなんだが、それは画期的な発想の転換であった。詳しくは本文で述べるが、そのごくさわりだけを紹介すると、「準備をしない」ことこそがカギなのだ。

そう。時間がなくて仕方なく準備できずに出かけるのでも、面倒臭いので準備しないわけでもない。あえて、余計な準備なんぞしないのである。いや、してはいけないのだ。普段の自分のまま、ひょいと海外へと降り立ってみる。それでこそ、夢の「華麗なる海外暮らし」が成功する確率が飛躍的に高まるはず……という突拍子もない思いつきに、突然取り憑かれてしまったのであった。

というわけで、その、かつて誰も実証したことのない珍説だけを胸に、53歳の私は一人、何の準備もせず、のこのこと、身一つで、全く言葉もできぬヨーロッパへと飛び立ったのであります。

出発前、当然のことながら不安でいっぱいだったが、もしこれが成功したらすごく画期的なことなんじゃ……という野望にも燃えていた。

だって、このようなバカバカしい方程式が現実に成立するとしたらですよ、コレといった能力がなくたって、つまりは言葉ができなくても、旅慣れていなくても、特別に魅力的な性格の持ち主なんかじゃなくても、そして何の準備もしなくても、いつでもどこでも夢の「海外暮らし」ができるってことになるわけですから。

で、もしそんなことになっちゃったら、私の人生の可能性は飛躍的に広がるじゃありませんか!

だってそれって、いうならば「どこでもドア」を手に入れたようなものだ。かの国民的SF漫画の中でも不動の一位を誇る人気アイテムが、つまりは世代を超えた誰もが「あったらいいな」と心から夢見ているものが、現実に自分のものとなるかもしれないのである。

で、その結果やいかに? ……ということを書いたのが本書であります。ま、何はともあれ、笑いながら読んでいただけましたら嬉しく思います。

稲垣えみ子『人生はどこでもドア リヨンの14日間』

海外で暮らしてみたい――長年の夢をかなえるためにフランス・リヨンへ。言葉はできない、旅慣れてもいない。でも、あえて「準備」しないで出発した。地元のマダムにまざってマルシェで買い物。ギャルソンの態度に一喜一憂しながらのカフェ通い。観光なし、美食めぐりなしでも、毎日は冒険の連続だ! アフロえみ子53歳、ドキドキの旅エッセイ。

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人生はどこでもドア

海外で暮らしてみたい――長年の夢をかなえるためにフランス・リヨンへ。言葉はできない、旅慣れてもいない。でも、あえて「準備」しないで出発した。地元のマダムにまざってマルシェで買い物。ギャルソンの態度に一喜一憂しながらのカフェ通い。観光なし、美食めぐりなしでも、毎日は冒険の連続だ! アフロえみ子53歳、ドキドキの旅エッセイ。

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稲垣えみ子

1965年、愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒業。朝日新聞社入社。大阪本社社会部、「週刊朝日」編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめ、アフロヘアの写真入り連載コラムや「報道ステーション」出演で注目を集めたが、2016年1月退社。その後の清貧生活を追った「情熱大陸」などのテレビ出演で一躍時の人となる。著書に『アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと。』『魂の退社』などがある。

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