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またうど

2024.09.24 公開 ポスト

『またうど』刊行記念インタビュー

「田沼意次って、本当にこういう人なんです」村木嵐

歩いた後には尿を引きずった跡が残るため、まいまいつぶろ(カタツムリ)と言われていた徳川家重に対し、賄賂まみれと噂されることから、“まいないつぶろ”と呼ばれていた田沼意次。『まいまいつぶろ』に描かれたそんな一幕のなか、意次本人はどこかそれを面白がっている節がある。偉業を成し遂げた江戸期の政治家としてその名を知らぬ人はいない意次だが、映画やドラマでは大抵、悪役として登場。小学生の頃からそんな意次のことが好きでたまらなかったと語る村木さんが『またうど』で描こうとしたのは、田沼意次の真実の姿――。

いつか意次までつながっていったら
そんな思いをずっと抱いていました

――半身に麻痺を抱え、廃嫡さえ噂されていた第九代将軍・徳川家重と、彼の声を唯一聞き取ることのできた側近・大岡忠光の絆を描いた『まいまいつぶろ』。家重、忠光、そして二人を取り巻く人々を見つめてきた御庭番、万里の物語『まいまいつぶろ 御庭番耳目抄』。前二作のなかでも田沼意次は、登場場面こそ多くはないものの特別な存在感を放っていました。村木さんのなかで意次は“真打ち”だったそうですね。

 

ずっと意次のことを書きたかったんです。『まいまいつぶろ』を書くきっかけともなった、薩摩藩の木曽三川の手伝い普請を描いた『頂上至極』の頃から、「今、書いている物語がいつか意次までつながっていったら」と思っていました。だから今回、本作を書くことができて本当によかったなと。

 

――以前のインタビューでも、「意次、大好き!」とおっしゃっていましたが、それほどまでに惹かれるところとは?

 

なぜこれほど彼のことが好きなのか、実は自分でもよくわからないのですが、次々と画期的な経済政策を実行していった才と手腕、そして蝦夷地開発という大事業の途上で失脚し、すべてをやめなくてはならなくなってしまったという終わり方も含め、すべてが好きなんです。最初の接点は小学校の社会科の教科書でした。そのときから「この人、めっちゃ好き!」と思っていました(笑)。

 

――年貢への増税策が限界を見せ、幕府の税制が停滞していた頃、当時、発展していた商品流通に着目、そこに対応した税の導入をするなど、経済発展のための大改革を成した意次ですが、賄賂政治家として悪者扱いされることも多いですね。

 

凄いことをした人である一方、賄賂まみれであったということは、教科書にも書いてありましたが、そのギャップにも惹かれました。でも「この賄賂まみれっていうの、絶対違う!」と小学生の頃からずっと思っていたんです。彼はありとあらゆる階層の人に課税したからやっぱり悪口を言われたのかなと。けれどそれは分け隔てなく課税したことの表れとも言える。裏を返せば正直に仕事をしていた人なのではないのかなって。

――意次は『まいまいつぶろ』『まいまいつぶろ 御庭番耳目抄』でも、並外れた才で周りを圧倒するにもかかわらず、茶目っ気があり、そして相手が誰であろうと物怖じせず、正しさを選び取るまっすぐな人として描かれていました。本作では、さらにその人間的魅力が著されていますが、どのように意次をつくられていったのでしょうか。

 

意次には遺言書、さらに国許・相良に城をつくるにあたり、家臣たちに言い聞かせた言葉を記した文書が残っているんです。人生の重要な局面で彼が言い残した言葉は、小学生の頃の自分が「意次すごい! かっこいい!」と思ったことを、「やっぱり、そうだったでしょ!」と裏付けてくれるものでした。物に執着がなく、本当に仕事が好きで、みんなを良くしようという気持ちのあった人だということが、彼が残した言葉からは見えてきて、子どもの頃、直観的に抱いた「好き!」と、大人になって彼の言葉を読んだときの気持ちが繋がったように感じたんです。なのでその間に道をつくっていくように、遺言書の言葉から逆走していくように、意次という人を造形していきました。

意次は仕事についての資料は残っているのですが、大抵の歴史上の人物がそうであるように、プライベートについてはほぼ残っていない。ゆえに当時、彼がつくろうとしたであろう時代の空気から田沼意次という人物を捉えていこうと思いました。彼が老中として活躍した第十代将軍・徳川家治の治世まで、江戸の町はとても自由な雰囲気がありました。けれど意次が失脚するなり、好色本は絶版、戯作者には手鎖五十日の刑が与えられるなど、厳しい規制が始まっていくんですね。彼が政治の舞台からいなくなった途端、そうなってしまったということは、意次は皆が自由に文化を楽しむことのできる世を目指していたのだなと感じました。

 

 

組織を動かしていく己れの役割を

明確に理解している人々の物語でもある

 

――物語は宝暦十二年(一七六二)、十代将軍家治の側室が出産を迎えた夜から始まります。次の御子はお世継ぎとなるのか、本丸大奥の方を見あげているのは、御天守番の松本十郎兵衛という下級の幕臣。後に勘定方に抜擢され、意次とともに新田開発や蝦夷地開発に乗り出していく彼の視点は物語のなかにときおり現れてきます。

 

代々、御天守番を務める身分の低い家柄の松本十郎兵衛が、なぜ勘定方に抜擢されたかということについては資料がなくて。もしかしたらそこに意次が関わったのでは? 真に値打ちあるものを見出す目を持つ彼ならきっとそうしたのではないか、という思いのなか生まれてきたエピソードです。ときおり入ってくる十郎兵衛の視点は、当時がどんな世であったのか、意次がどういう経済政策を推進していったのか、ということに厚みを持たせるためのもの。勘定方からの視点は本作に欠かせないと思いました。

 

――吹きさらしの天守台番所で見張りをする松本十郎兵衛の前に、ふらりと現れる意次の姿が印象的です。このとき意次は四十代半ば。将軍・家治の最側近として辣腕を振るう、言わば人生の最盛期に立っています。物語をこの地点から始められたのは?

 

本作で何より描きたかったのは田沼意次の真実の姿。幼いときの資料は当然、残っていないわけですから、そこから始めると逆にリアリティがなくなるのではないかと考えました。今、誰かが事件を起こすと、その人の卒業アルバムの写真がニュースやネットに出回ることがありますが、写真に写っているその人は、そのときは犯罪者でもなんでもないわけで、それを見るたび、「今の当人とは違う人では?」と思うんです。ゆえに幼い頃からの意次を描いても彼のリアリティにはつながらない。松本十郎兵衛という人を発掘した場面から意次の物語を書き始めようと思いました。

 

――本作は意次の物語であると同時に“組織”の物語でもあると感じました。徳川幕府という組織、その中枢にある老中職、そして田沼家、という様々な組織とそのなかで動く人が描かれていると。

 

“組織と人”というところについてはものすごく意識をして書いていました。属する組織と自分がどう関わり、その組織を動かしていくのかということをきちんとわかっている人たちの物語にしたいと。ニュースを見ていると、記者からの質問を受ける政治家のなかに、質問の意味をわかっていても、あえてはぐらかす人と、質問の意味をまったく理解しないまま、適当な返答をしている人がいることがわかります。組織というものを書こうとした本作では、相手の質問の意味を理解し、まっすぐに答えるか、わかっていながらもあえてはぐらかす、という人々だけで登場人物を構成しようと思いました。何を訊かれているのかわかっていない人が話に入ってくると、組織の話は書けないので。意次ほど仕事はできないかもしれないけど、歯車のひとつとして彼を支えたいと思う人、上のポジションに行くことは叶わなくても、自分はこの場所でこういう働きをしているんだ、という矜持を持った人の集団を描こうと思いました。

 

――そうした組織のなかには人間らしい、温かなものも流れています。吉宗、家重、そして家治と三代にわたり、徳川将軍家の中枢で仕えてきた意次は、二十歳ほど年下の現将軍・家治に頼りにされ、意次も家治のことを誰よりも尊んでいる。二人の対話は、お互いの考えを深いところで掬い取っていくような温かさに満ちています。そんな二人は、子どもに先立たれてしまうという同じ悲しみを経験することになります。家治は、跡継ぎであった家基を、意次は嫡男・意知を。そこで描かれる二人のエピソード、対話は人生の理をも示しているようです。

 

若くして亡くなった家基も意知も、親である家治も意次も本当にかわいそうですが、かわいそうだけではない、と思いながら書いたそのエピソードには、自分の信念のようなものが反映されています。人間って死んでからが勝負みたいなところがあるのでは、と私は思っていて。それは死して名を残すということではなく、死んでからもきっと何かあるんじゃないか、という確信のようなもの。そこに向かって歩いていっているようなところが自分のなかにはあるんです。

 

――それは歴史、時代小説家の方ならではの発想のようにも感じられます。

 

そうですね。私が小説に書く人たちは全員、死んでいますからね(笑)。宗教観とは異なるものですが、たとえ理不尽な死に方をしたとしても、救ってくれるものはあるのではないかと。意次もあれだけ一生懸命働いたのに、当時はもちろん、いまだに悪口を言われ続け、全然報われていないように思えますけど、きっとどこか違うところで報われているはずだろうなって。

 

 

意次の印象をひっくり返したい

という思いや企みは皆無でした

 

――激務をこなし、常に新たな施策を考え続ける意次ですが、自分の屋敷に帰り、恋女房・綾音の顔を見た途端、ふっと力が抜けていく。そんな緩急も読みどころのひとつでした。

 

意次は、いろんなところに子どもがいるのですが、ただ神田橋御部屋様と言われているのがこの人であるという史実から、綾音という人をつくっていきました。

 

――意次が帰ってきても迎えに出ず、ひっくり返って狂歌を読み、笑っているような楽しい人ですね。ご執筆中、綾音はどんな存在でしたか?

 

彼女はわりと自分に近いような気がします。旦那さんは立派な仕事をしているけど、自分はのほほんとしてるみたいな(笑)。彼女には時代の文化的な空気を纏ってほしかったんです。当時、市井で大流行していた狂歌や滑稽本を愉しみ、お屋敷に振売が野菜とかを持ってくるとき、その人たちとしゃがみこんで喋っているような奥さんにしたいなって。作中で綾音が読んでいる当時の狂歌、すごくおもしろいんです。落書や狂歌ってセンスがあり、こなれてるというか、ぷっと笑わせる柔らかさ、優しさが込められている。現代のネットで見られるような、言葉で相手を刺し殺すようなものではない。そうした違いも伝わればいいな、と書きながらちょっと思っていました。

 

――狂歌や当時の書物は、物語の大きな鍵ともなっています。そしてそれらは“諸芸に励み、洒落本なども読み、城下から笑い声の絶えぬようにせよ”と、国許で家臣たちに命じる意次の姿とも重なっていきます。

 

意次が相良に作った町のつくりを見ても、明るい町にしようとしたんだろうなということが伝わってくるんです。カクカクしてないというか、皆にいい町だと思ってもらいたいという温かさが滲み出ている。意次は、享保の改革で様々に禁止されていたものが徐々に緩和されてきたとき、その緩和の幅を広げていった人。狂歌も以前からあったけれど、当時、ここまで盛んになったのは、意次の力が影響していると思います。皆が狂歌や滑稽本を愉しみ、町を歩けば三味線の音が聞こえてくるような空気、文化をこの国に根付かせたい、それには経済を回していかなければ、ということを、意次はすごくわかってたんじゃないかなと。

 

――そして意次は引き際も見事です。失脚した彼の引き際を書いていたとき、どんなことを考えていましたか?

 

現代の政治の世界を見ていると反面教師がいっぱいいるので、意次は絶対にこうはなるまいと思って書いていました。この小説で何か世間に伝えたい、ということはありませんでしたが、執筆中、SNSで攻撃され、自殺した方のニュースが何件かあり、それに対してはものすごく腹を立てていました。そういうことは絶対になくなってほしいと。意次は、世間から悪口を言われて死んだわけではありません。不特定多数の無責任な言葉の攻撃で傷つく必要なんかないということは意次の姿を通して書きたいと思いました。失脚後、意次は本当にめちゃくちゃに悪口を言われましたが、そのことで自身を貶めたり、弱ったり、自分の信念を曲げることは絶対にしなかった。そう信じていましたし、そのことをちゃんと書きたいなと思いました。

 

――題名の「またうど」=正直者、という言葉が、物語を読み進むたび、しっくりと胸に落ちてきます。

 

「この者(意次)は、またうどのものなり」という家重の言葉は、資料として残ってはいるのですが、いつどこで、誰に、家重がその言葉を言ったのか、というところまではわかっていないんです。けれど意次の物語を書こうと決めた、『まいまいつぶろ』を書き上げたときから、『またうど』という題にしたいと思っていました。

 

――本作には、『まいまいつぶろ』『まいまいつぶろ 御庭番耳目抄』で描かれた場面と、ゆるやかにつながるところもあり、前二作を読んだ方は感慨を覚えるのではないでしょうか。物語のなかに息づく、意次が自分の命よりも大事にしている、文箱のなかに収められた“あるもの”。その真実が明かされていく場面からは、村木さんが紡ぐことでつながってきた、物語のなかに生きる人々の愛情を感じます。

 

その“真実”は、題名を決めたときからそうしたいと思っていました。書く前からいくつか浮かんでいたシーンのうちのひとつでした。

 

 

 

――本作はオーディブル版もリリースされます。朗読をしているのは『まいまいつぶろ 御庭番耳目抄』刊行の際、対談をされた俳優の宮崎美子さんです。

 

対談のとき、作中にある徳川吉宗の生母、浄円院の言葉を、宮崎さんがさらっと読んでくださり、感激して思わず声をあげてしまいました。声の力、演技の力とはなんと凄いものなのだろうと。宮崎さんの朗読されたオーディブル版を聴くのが今から楽しみで仕方ない! すごくワクワクしています。

 

――読者の方に本作を手渡すとき、添えたい言葉をお聞かせください。

 

ここに著した意次のことを、つくりごととして受け取っていただきたくないなと思っています。小説なので、もちろんつくりごとではあるのですが、現存する資料を読み、意次本人が言ったこと、書き残したこと、伝えられてきたことをまっすぐに物語として著しています。悪く言われることの多い意次のイメージをひっくり返したいとか、奇をてらいたいという思いや企みは皆無です。「意次はこういう人なんです」というところを受け取っていただきたい。彼は本当に“またうど”だと思うので。

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村木嵐

1967年京都市生まれ。京都大学法学部卒業後、司馬遼太郎家の家事手伝いとなり、後に司馬夫人である福田みどり氏の個人秘書を務める。『マルガリータ』で第17回松本清張賞受賞。『まいまいつぶろ』で第12回日本歴史作家協会賞作品賞、第13回本屋が選ぶ時代小説大賞受賞、第170回直木三十五賞候補。

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