存在と不在のあいだを漂うGEZANマヒト、その思考の軌跡。 新連載。
無駄な日なんて一日もないという言い回しをいつ知ったのか、記憶に照らし合わせてみてもどこのページにも見つけることができない。昨日も今日の間に引かれた線は見えずに、ただ月が上がる周期を見てなんとなく皆が信じた幻想に参加している。
随分と言葉から遠くに来てしまった。無数の片鱗を日々の隙間にこぼしてしまった。喉の小骨の痛みを別の痛みで塗り替えて無化しているような、ぼんやりとしたわだかまりに浮遊している。
わたしは歩いていた。秋になったちょうどその時刻、白線からはみ出さないように新しい靴は歩く。空には秋の化粧をした雲がわたしを置いて正しく刻を刻んでいた。
“その人を忘れた時、本当の死がおとずれるっていう言い回しについて“
私はこれを信じている。
先日の晩、映画 「i ai」に出演してくれた大宮イチさんが亡くなったと報告を受けた。そのことについてXに投稿した。さっき。見返すとわたしが下書きに用意していた言葉は随分と軽薄に思えた。
どんな言葉をつくしても思い出なんて語りきれない。彼に絡みつく複雑な妖気を削ぎ落とし、数文字の中に収めるため思い出をトリミングして、誰に何を語りたいのだろう?“イチさんに届け“なんて本当に思っているのだろうか?パフォーマンスだと分かりながら触れたくなる気持ちはどこからやってくるのか?ただ、どうやら、寂しいみたいだ。
わたしは歩いていた。増えることはあっても減ることのないお別れにこれからいくつも出会うことになる。耐えられる自信もとっくになく、それでもしがみついていたい理由がこの世界にはあるのだろうか?できるだけフラットに見よう。綺麗なものとして語る努力はとっくに疲れてしまった。
その日、街では祭りをしていた、神輿をかつぎ、声を張って闊歩する。都会の暮らしですっかり錆びついた他者との間にある関節を擦り合わせ、感じている。何かを確かめ合うように、汗をかく。
体温をとっくに失った私は横を棒切れのように通り過ぎる。溢れる生の呼応から避難しようと裏路地へ入り神社の木陰を目指すと、逃げたつもりが祭りの拠点だった。
出店が並び甘いカラメルの匂いにイカ焼きや焼きそばのソースの匂いが大きな木の中で渾然一体となって渦巻いている。浴衣を着た人混みの中に寝巻きのわたしは吸い寄せられる。大きなエネルギーに抗えない気分ってのはこうか。襟元には歯磨き粉の痕、サンダルの先から出た指は先日のライブで割れていた。
出店のカラフルな、色味を瞳に写して、私はただ歩く歩幅を合わせ流されていた。出店の中心の宴会場でブラフマンのトシローさん一行に会う。LOW IQ 01の市川さんやリトルナップのハマちゃんも一緒だ。
「捕まった。」と思った、と同時に腹を括り、テーブルにつきビールを飲む。
曖昧なままではいられない。頭の中に広がっていた霧を払い、人間の言葉を呼び戻す。
“帰っておいで、今、私はコミュニケーションの場にいるよ。“
生きている人間との会話は活力をくれた。わたしが都会が好きなのは、きっと自分の気分とは無関係に世界の営みが進行してくれるからだと思う。取り残されることで距離を知れる。場所を家に移動し、部屋飲みが始まる。どれくらい時間がたったのか、わたしはタバコを吸いに外にでた。
祭囃子の喧騒が木々の奥からまだ聞こえた。その余熱を夜風が運び、酔いで火照ったわたしを洗った。月が出ていた。綺麗だった。
3歩歩いた。わたしはとっくに社会性なんてなかった。10歩歩いた。もうどれもそれも関係なく一人ぼっちだった。
わたしが用意した大宮イチの演じる構成員への脚本で、彼が言わなかった台詞がある。状況や心情から逸脱し矛盾した芝居の試される一言だった。
その台詞を言うシーンは用意した小道具の関係で、リテイクの許されない一回きりのシーンだった。彼はその本番、台詞を言わなかった。
どんな心情で台詞を言わなかったのか、忘れたのか? わからないけど、芝居の中にはほしいものが写っていた。監督をつとめるわたしは鏡の予備はないし、それに迫真の演技をもう一度やってほしいと思えずOKを出してその日は撮影が終わった。
それから数日後イチさんのクランクアップの日、本番の前に、メイクさんに扇風機で煽られファンデーションを塗られながら、イチさんは練習するようにその台詞をつぶやいた。わたしはメイキングを回していた奥田と目を合わせて驚愕した。持っていたお茶をこぼしかけた。忘れたわけではなかったのだ。まさか、想像もしていなかった登場ラストのシーンであの台詞を言おうとしていたのか、大宮イチの演技プランは数ページの時を駆けて完結しようとしていた。
わたしはドキドキしながら、撮影本番の号令を吠えた。
彼は言わなかった。
全くの謎である。わたしが用意した脚本のままやりきり、撮影は静かな混乱のうちに終わった。今でも言わなかったあの台詞が暗闇を浮遊している。
言わなかったことが言ったことよりも強く存在することもある。もちろんそれはわたしの中だけで、映画は残ったものが全てなのだけど。でも、残ったものの周りにまとわりつく、幾つもの細やかな粒子はとらえるには小さすぎるけど、それぞれの瞬間に確かな傷跡をつけて存在の証明をこの世界に残す。わたしはそんな秘密を一つ分けてもらった。映画が終わった後も永遠に解けないなぞなぞを残され、解けないあいだは彼と一緒にいる。
気づけば、祭りの喧騒からは遥か遠くまで歩いていた。突然に電池が切れて、へたり込む。トシローさんはタバコを吸いに出たなり戻ってこないわたしに怒ってるだろうか。
一晩あけた今、財布や読みかけの本が入ったカバンを取りに行く。わたしの完全にいいかげんで身勝手な怠惰。案外、イチさんが台詞を言わなかったのも、そんなひょんな回路の接続のせいかもしれない。本当のことなんてとっくにないよね。お互いがお互いの不自然を補完しあって詩にかえる。今日も不完全な秘密をシェアするために街に出る。
*マヒトゥ・ザ・ピーポー連載『眩しがりやが見た光』バックナンバー(2018年~2019年)