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愛の病

2024.09.30 公開 ポスト

彼が優しくいられる理由狗飼恭子

「どうしてそんなに優しいんですか」

という直球の質問を受けて、彼は何と答えればいいのか分からなかったようだった。

これは、わたしの夫がわたしの知人から言われた言葉である。夫の困惑はもっともだ。彼はただ普段通りにしているだけだったのだから。

わたしの夫は確かに優しい。

 

「優しい」は特別扱いされがちだが、それは「体力がある」とか「胃腸が強い」とか「リズム感がいい」みたいな人間の特性の一つだ。もちろん美徳であることは間違いないけれど。

よく「みんなに優しい人間には気をつけろそれは誰にも優しくないのと一緒だ」というような言説を見かける。でもそれは優しい人ではなく『「優しくする」をしている人』にすぎない。表面的に「優しくする」技術を習得しているだけ。ドーピングして筋肉を維持している感じ。もちろん努力で優しさを身に着けているのだってすごいことなのだけれど、本当に優しい人は、優しくする相手を選びはしない。体調やらなんやらで優しくできない時があったとしても。

実際、夫は誰にでも優しい。

知らない人にも優しい。わたしの家は坂の途中にあるので、冬には雪の日に坂を上れなくなっている車をよく見かける。すると夫は、すぐにスコップを掴み坂を駆け下り助けに行く。もう二度と会わないだろう人の車の前に積もった雪を一生懸命掻いて道を作り、走り出すのを見届け「気を付けて!」と手を振る。

ちょっと知っているだけの人にも優しい。台風の前には、近所の一人暮らしのお婆さんの家に「困ったことない?」と聞きに行く。台風じゃない日にも、「柵が壊れてるから」とか「蜂の巣が出来てる」とか言ってあれこれ世話をする。困ったことがない場合は小一時間お喋りしてくる。

犬にも優しい。村には飼われ犬がいっぱいいるのだが、その多くが彼と遊ぶのが大好きだ。

虫にも優しい。部屋の中に入り込んだ虫を、殺すことなく外に離す。

植物にも優しい。おかげで我が家は室内の一番日当たりのよい場所に温室が作られ、人間よりも暖かい場所で過ごしている。

そしてもちろんわたしにも優しい。四六時中一緒にいるのに優しい。わたしからの優しさのお返しを強要したりもしない。いつもご飯を作ってくれるのに、ときどき皿を洗うだけで「ありがとう」と言ってくれる。

こんなに優しい人なのに、都会に住んでいるときは夫はあんまり他者に「優しい人」認定をされていなかった。優しいという特性がより強くなったのは、東京を離れ地方に移住してからである。

その理由は分かる。

東京で、優しい人でいることは難しい。

都会では他者に無条件で優しくすると舐められるのだ。

優しい人は雑に扱っても良いのだと思われてしまう。馬鹿なやつだからと利用されたりもする。あるいは胡散臭い人だと思われる。絶対に裏があるとか、信用できない人だというレッテルを貼られる。実際、関東生まれ関東育ちのわたしには、夫は優しすぎて愚直が過ぎるなと思うときがある。もう少し上手に生きられるんじゃないのと彼の生き方に口をはさんで、自分の優しく無さ具合に自己嫌悪したりすることもあった。

ネット上では「田舎の人は都会の人よりも底意地が悪い」と良く言われているけれど、「家の前に野菜やら果物が勝手に置かれてるから自分ではほとんど買わない」って話も聞いたことがあるだろう。意地の悪い人がそんなにたくさんプレゼントをするだろうか。意地の悪い人が、貰ったものを躊躇なく受け取り食べることができるだろうか。

田舎は優しい人には住みやすい場所のような気がする。嘘が、ものすごく少ないから。実際、夫は都会にいた頃よりも伸び伸びと暮らしているようにわたしには見える。そしてその自由さが、余計に他者への優しさを産む。

優しさは特性であると冒頭に書いたが、もちろん後天的に身に着けることもきっとできる。筋トレをして体力をつけたり、胃に良い物だけを食べて胃腸を整えたり、練習してリズム感を身につけたりするように。

考えてみれば、わたし自身も東京に住んでいる頃よりは少し優しい人になれた気がする。少なくとも苛々することは減った。どんな荒れた感情になったところで窓の外には木々が並び空が広いのだ。美しいものを眺めながら人に意地悪するのは難しい。

空を見る。雲を見る。鳥を見る。山を見る。森を見る。苔を見る。美しいと思う。自由だと思う。うまくいかないことがあっても、まあいっか、と思う。暗い夜と明るい朝を、当たり前に受け入れる。日々それを繰り返す。

この暮らしはきっと、彼にとても合っているのだ。

自分に似合う場所で生きることができればきっと、人は人に際限なく優しくできるんだと思う。

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愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。

 

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狗飼恭子

1974年埼玉県生まれ。92年に第一回TOKYO FM「LOVE STATION」ショート・ストーリー・グランプリにて佳作受賞。高校在学中より雑誌等に作品を発表。95年に小説第一作『冷蔵庫を壊す』を刊行。著書に『あいたい気持ち』『一緒にいたい人』『愛のようなもの』『低温火傷(全三巻)』『好き』『愛の病』など。また映画脚本に「天国の本屋~恋火」「ストロベリーショートケイクス」「未来予想図~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~」「スイートリトルライズ」「百瀬、こっちを向いて。」「風の電話」などがある。ドラマ脚本に「大阪環状線」「女ともだち」などがある。最新小説は『一緒に絶望いたしましょうか』。

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