天明の大噴火ともいわれる、江戸時代中期の浅間山の噴火。本書はその災害後の麓の村の復興を描いている。浅間山には趣味の登山で何度か登っており、いかにも火山らしい荒涼としたその山容や、「鬼押し出し」と呼ばれる溶岩流で作られた山麓の景勝地、高台にあったおかげで今も残る観音堂の存在は知っていた。けれど、麓の村々の復興に思いを馳せたことはなかった。そこには決して想像することもできなかった史実や人物像が存在した。
当時、大きな災害が起こると被災地の生活の困窮を助けるため、徳川幕府が公共事業として御救普請を行っていた。その普請の検分使として派遣されたのが根岸九郎左衛門だ。とぼけた風貌と大柄な体からあだ名は「ダイダラボッチ」で、本人もその名がまんざらでもないのは三度の飯より妖怪が好きだからだ。だからどうしたという話になりそうだが、奇談好きが嵩じて身分を越えて懇意にしていた名門熊本藩の藩主・細川重賢には復興で必要となった莫大な費用を出してもらっている。二人の付き合いが本当に奇談を通じてのものだったかはわからないけれど、復興費用を細川が負担したこと、そして根岸が妖怪の類が好きだったことは史実のようで、人々から聞き齧った奇怪な噂話を書き留めた『耳嚢』という随筆集の執筆までしている。
この個性派役人の根岸九郎左衛門は、実際に仕事もよくできる人だったらしい。本書では困った人を見過ごすことのできない人情味溢れるタイプのリーダーとして描かれている。天明の大噴火でも、特に被害の大きかった鎌原村(現・嬬恋村鎌原地区)は廃村にすべきという意見が大きくなるなか、本当にそれでいいのかと、生き残った村人たちの生活の中に入り込み、一緒に悩み考え、別の方向に人々を導いていく。そして村の再建に臨むにあたり、とんでもない策を講じたのだ。それは、生き残った者同士で新しく「家族」を作るというもの。いわば政府主導で生き残った被災者同士を結婚させ、養子縁組をさせ、家族を作ろうという。驚くなかれ、これも創作ではなく史実だという。現代では不可能だろうが、江戸時代という封建的な時代においては、誰もが肉親を亡くしている状況で、その痛みを真に理解し、分かち合える者同士が近くにいることが、また新たな生きる活力をつくりだしたのかもしれない。
この奇策ばかりが理由ではなく、多くの難題を乗り越えて鎌原村は復興した。大噴火の際に不在だったか、大噴火と同時に観音堂まで難を逃れた者だけが生存者となった村が今も残り、そのお堂も埋まらなかった階段の一部とともに現存する。これは二百年以上前の大噴火と復興の話だけれど、毎年のように地震や台風、大雨と災害に見舞われる日本において、非常事態の残酷さと困難に直面しても、生き抜こうとする意志の尊さを知ることのできる一冊だ。
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