2024年6月26日に開催された『往復書簡 限界から始まる』の文庫化記念トーク、上野千鶴子さん、鈴木涼美さん、伊藤比呂美さんによる「限界から始まる、人生の紆余曲折について」が電子書籍化して10月18日に発売されました。因縁の深い3人が鋭く突っ込み、笑い、称えあいながら語った「想定外の人生」。ぜひテキストでもお楽しみください。一部を抜粋してお届けします。
「上野さんがイタコになって母親を呼んでくれたよう」
上野 涼美さんはしばらくお目にかからない間に、ご妊娠なさったそうですね。
鈴木 ええ。この往復書簡を書いていたのが36から37歳のときで、結婚もしていないし、子どももいないのだから、このまま子どもは作らない人生を生きるのだろう、上野さん路線で行く自分を想像していたのですが、今年に入って妊娠が発覚、伊藤さんラインに鞍替えすることに(笑)。
上野 想定外のことが起きるのが人生の面白さですが、涼美さんには心からおめでとうを申しあげます。もしあなたのお母様が生きておられても、「おめでとう」と言ったと思います。子どもというのは、母になった女からしか生まれない。そして、母になった自分から生まれた娘が母になる選択をすることを喜ばない母は、ほぼいないので。
鈴木 なるほど、はい。一瞬、上野さんがイタコになって母親を呼んでくれたようでした、ありがとうございます。
伊藤さんに文庫版用の解説をいただいたときは、まだ妊娠していませんでした。私はこの往復書簡でも、エッセイや小説でも、母親の話をかなりこだわって書いてきたので、伊藤さんから解説で「母にこだわりすぎる娘」についての言葉をいただいてもまだ、そうは言っても私にとってはやっぱり母が一番大きいしなと思っていたんです。
その後、妊娠がわかり、どうやら女の子らしい、と。「娘が生まれるという恐怖心から子どもを作る選択肢をとらなかった」と書かれている上野さんにとっては、娘を産むというのは恐怖以外の何ものでもないのでしょうけれど、私は産もうと思って。
すると、それまで自分に直接的にかかわりがなかったので熱心に読んでいなかった作家の子育てエッセイやエッセイ漫画に興味が湧いてきました。いくつか読んでみたところ、息子についての作品がすごく多い一方で、娘についてのエッセイはさほど多くなかった。娘は母についてすごく語るけど、母は娘についてさほど語らず、むしろ語られる側に回るんだな、と思いました。
上野 何をおっしゃる。伊藤さんは娘についていっぱい書いていますよ。
鈴木 ええ。伊藤さんはすごくレアなケースです。伊藤比呂美以外で、娘がテーマのエッセイってものすごく少ない。中でも幼児を描いたエッセイ漫画のほとんどは息子が主人公です。
伊藤 面白い。さすがに社会学者ってのはすごいもんですね。なるほど、そうきたか。確かにそうかもね。ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』も息子の話だもんね。
まあ、表現者に息子が生まれるケースがたまたま多かった、というだけのような気もしますけれど。だって私たちって目の前にいれば書かざるを得ない。私は息子でも書いていたと思いますよ。
上野 息子と娘が生まれる確率は半々なのに、書くのはもっぱら息子の親だというのは、なるほどと思いますね。息子の方が対象化しやすいのでしょうか。
そういえば、出産、育児をエッセイに書く人はいても、それを小説にする女性作家ってあんまりいませんね。女にとってあれほど切実な経験なのに。
産む女のエゴイズム
上野 解説の中で伊藤さんは、娘の母になった自分自身について強烈な一言を書いておられて、私にはグサリと刺さりました。文庫版解説の最後(374ページ)、読んでない人もいらっしゃるでしょうから、朗読が得意な比呂美さんにご自分の文章を読んでいただきましょうか。
伊藤 「私は娘しか産まなかった母である。妊娠する前には、上野さんの持つ恐怖、解らぬでもなかった。漠然と、私も同じような恐怖を持っていた。でも産むつもりの妊娠を最後までやり遂げてみたら、たまたま女で、育ててみたら、その子はその子だった。娘が女であることについて、嫌だとも困ったとも考えたことがない。だいぶ振りまわしたが、振りまわされもした。育つ苦しみには、私が母だったという理由もあっただろうが、ちゃんと生き延びたし、やがて育って離れていった。このまま会わなくてもいいのかもしれない。これなら別に恐怖するまでもない。娘の母になったらという恐怖も、もしやミソジニーがこねくり回されてつくり上げられたものだったんじゃないかと考えたことがある」
上野 これは、私に対する挑戦だと。
伊藤 (笑)見破られましたね。
上野 だから、ここでちゃんとお答えしようと思って。はい、その通りです。ミソジニーの効果だと思います。産まない女って、すぐに「エゴイスト」と揶揄されますが、産まない女のエゴイズムと、産んだ女のエゴイズムと、どちらがより大きいか。あるとき産んだことのある女友達に質問したら、彼女はカラカラと笑って、「そりゃ、産んだ女のエゴイズムのほうがずっと大きいに決まってるわよ」と言ったのよ。その通りだと思う。そう考えると、産むことを選択したおふたりは、生命体として私よりもずっと強い。私はこうやって遺伝子も残さずに消えていくだけですから。
伊藤 今のコンテクストで「エゴイズム」ってなんですか。
上野 自己愛ですよ。今回の打ち合わせのメールのやりとりで、このトークイベントを書籍化したいと言う編集者に対し、私が「欲を出さないように」と伝えたら、比呂美さんは「いや、欲出しましょうよ」って。やっぱりすごいよね、比呂美さんのエゴイズムは(笑)。
伊藤 えっ、あれは観客を増やそうということじゃなかったの? だって観客は多いほうがいいでしょう? これもエゴイズム?
上野 はい、欲の強さはエゴイズムのあらわれです(笑)。
※続きは、『限界から始まる、人生の紆余曲折について』をご覧ください。
目次
- 因縁が深い3人
- 上野千鶴子が中国でウケる理由
- 「上野千鶴子ラインから、伊藤比呂美ラインに鞍替えしました」
- 産む女のエゴイズム
- 「売り物としての身体」が「生殖としての身体」に変わるとき
- 自分とは違う「子ども」という存在
- 「産まない人生」を選んだつもりが……
- 語りたがる産む女、産まない女の意外な役割
- 「父親より母親のほうが面白い」と娘に思わせる母の陰謀
- それぞれの結婚の理由
- パートナーに自分の本を読ませるか問題
- 伊藤比呂美が語る「看取りの快感」
- 上野千鶴子の結婚に安堵した人たち
- 一流になれないから二兎を追う
- 性における嗜好性の不均衡と陳腐さ
- 支配する母親とどう折り合いをつけるか
- 「子どもより親が大事」と言い切りたい
- 「あたしはあたし」と思うのがフェミニズム
- 人生はそもそも想定外なもの
往復書簡 限界から始まる
7月7日発売『往復書簡 限界から始まる』について
- バックナンバー
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