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白紙を歩く

2024.10.23 公開 ポスト

#1 怪我が原因でインターハイを辞退した風香は、読書に興味を持ち始める鯨井あめ(作家)

本日(10月23日)発売の鯨井あめさんの小説『白紙を歩く』は、天才ランナーの定本風香(さだもと・ふうか)と小説家志望の明戸類(あけど・るい)のダブル主人公でお送りする青春物語です。

発売を記念し、本日から7日間にわたって風香サイドの冒頭シーンをお届けします。

定本風香(高校2年)
陸上部の長距離エース

*   *   *

セミの鳴き声と部活動の掛け声が、窓の外で響いている。梅雨が明けて夏が始まった六月末。

シャツの胸元をぱたぱたと煽ぎながら階段を下りていると、「定本」と呼び止められ、わたしは踊り場で振り返った。

階段を下りてきた横田先生は、いつもの赤いジャージ姿だ。これから部活に向かうのだろう。

「脚の具合はどうだ?」

「まずまずです」

「改めて、インターハイ残念だったな」

曖昧に頷くと、横田先生は「おお、なんだなんだ」と興味津々に眉を上げた。「本当は出たくなかったのか?」

「いえ。でも、辞退しても、残念だとは思わなかったな、って。夏の予定が無くなっちゃったな、とは思います」

「定本らしいなぁ」笑う先生の上半身が揺れる。「秋から調整して、新人戦には間に合わせような」

気を付けて帰れよ、と先生は階段を下りて右に曲がり、職員玄関のほうへ去っていく。大柄で筋肉質。広い肩幅。刈り上げた黒髪。四角い顔。「ゴリ田せんせー」と呼ばれると、「そういうニックネームはやめなさい」と窘めながらも、むんと力こぶを作る、陽気な先生。

わたしは階段を下りて左に曲がった。職員室のドアは開いていた。漏れた冷気が足元を流れていく。なかを覗くと、先生たちの頭が点在している。ドアをノックして、「失礼します、蓼科先生はいらっしゃいますか」と声をかけた。頭がひとつ飛び出した。

「定本さん」

ばたばたと蓼科先生が職員室から出てきた。紙袋と大量の本を抱えていた。重そうなので、「手伝います」と紙袋を受け取る。

先生が、職員室のドアを後ろ手で閉めた。

「行こうか」

「はい」

図書室は、特別棟の三階の端にある。職員室から、ちょっと遠い。渡り廊下を通り、人気のない階段を上る。前を歩く先生の、首の後ろで束ねられた茶色っぽい髪が、尻尾みたいに左右に揺れている。

蓼科先生は、いつもロングスカートを穿いている、メイクの薄い、国語の先生だ。司書教諭を兼任していると知ったのは、昨日のこと。

「蒸し暑いですね」とわたし。階段を上るだけで、熱が身体の周りに薄い膜を張ったみたいにまとわりつく。「すごく夏って感じ」

「夏は夜、とも言えないね、最近は」と先生。「陸上部は大変だ。熱中症に気を付けてね」

「今頃テント出してると思います」わたしは先生の背中に尋ねる。「本、直りますか?」

「直ります。ページが外れるくらい、よくあることだから」先生が首だけで振り向く。「珍しいね。定本さんが読書なんて」

「読書、似合わないですか?」

「まさか!」軽やかな声だ。「趣味に、似合う似合わないはありません。好きでやるものだからね。どんどん借りて、どんどん読んで」

三階の端に着いた。湿気がどんより溜まった廊下の突き当たりに、ペンキの剥げかけた白いドアがある。ドアの上には、『図書室』と彫られた金属製のプレートが打ち込んである。そのドアの右の壁には、司書室のプレートを掲げる白いドア。

蓼科先生が司書室のドアに手をかけたとき、ブー、ブー、とバイブレーションの音が響いた。

先生のスマホだった。

「ごめん、定本さん、ちょっといい?」

わたしが頷くと、先生はスマホを耳に当てて、「はい」と階段のほうへ戻っていく。「ああ、その件は、はい、パーカッションが……」と、吹奏楽部に関する電話だったみたい。

取り残されたわたしは、司書室のドアの窪みに手をかけた。そこで、微かな音を聞いた。パチパチパチと、何かを打っている、不規則な音。パソコンのキーボードを打つ音だ。ドアの向こうから聞こえる。

引き戸を開けた。

*   *   *

明日は風香と類が初めて出会うシーンをお届けします。
性格も好きなことも正反対な2人がどのように仲良くなっていくのか。早く続きが知りたい方はぜひ書籍をチェックしてみてください。

関連書籍

鯨井あめ『白紙を歩く』

天才ランナーと小説家志望。人生の分岐路で交差する2人の女子高生の友情物語。 ただ、走っていた。 ただ、書いていた。 君に出会うまでは――。 立ち止まった時間も、言い合った時間も、無力さを感じた時間も。無駄だと感じていたすべての時間を掬い上げる長編小説。 「あなたをモデルに、小説を書いてもいい?」 ケガをきっかけに自分には“走る理由”がないことに気付いた陸上部のエース、定本風香。「物語は人を救う」と信じている小説家志望の明戸類。梅雨明けの司書室で2人は出会った。 付かず離れずの距離感を保ちながら同じ時間を過ごしていくうちに「自分と陸上」「自分と小説」に真剣に向き合うようになっていく風香と類。性格も好きなことも正反対。だけど、君と出会わなければ気付けなかったことがある。 ハッピーでもバッドでもない、でも決して無駄にはできない青春がここに“在る”。

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白紙を歩く

天才ランナーと小説家志望。人生の分岐点で交差する2人の女子高生の友情物語。

ただ、走っていた。ただ、書いていた。君に出会うまでは――。

立ち止まった時間も、言い合った時間も、無力さを感じた時間も。無駄だと感じていたすべての時間を掬い上げる長編小説。

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鯨井あめ 作家

1998年生まれ。兵庫県豊岡市出身。兵庫県在住。2015年より小説サイトに短編・長編の投稿を開始。2017年に『文学フリマ短編小説賞』優秀賞を受賞。2020年、第14回小説現代長編新人賞受賞作『晴れ、時々くらげを呼ぶ』(講談社)でデビュー。他の著書に『アイアムマイヒーロー!』『きらめきを落としても』『沙を噛め、肺魚』(いずれも講談社)がある。

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