10月23日(水)発売の鯨井あめさんの最新小説『白紙を歩く』。
類を傷つける言葉を言ってしまった風香は、類に謝ることができるでしょうか。(はじめから読みたい方はこちら)
* * *
翌日、つまり金曜日の放課後。司書室に行くと、涼しさのなか、中央の丸テーブルでノートパソコンのキーボードを叩く明戸さんがいた。「それ、くっついてたよ」と、画面を見ながら言う。全集のページのことだ。わたしはお礼を言う。
「ここの鍵って、生徒が借りれるの?」
「ごねた。去年からしょっちゅう借りてるから、何も言われない。司書教諭を部活顧問と兼任させて仕事を押し付けて放課後に図書室を開けたり開けなかったりする管理下手の高校が悪い」
明戸さんって、たぶん口が悪くて、あけすけな言い草をする人だ。一方的に決めつけて文句を言えちゃう人。親しくなったことがないタイプだから、新鮮に感じる。
「そうだ、昨日、ごめんね」
「え?」明戸さんが顔を上げた。「何が?」
「上から目線って、言っちゃったから」
「いま? 別にいいけど……」
わたしは通学鞄を丸テーブルに置き、全集を抱えて図書室へ移動した。
図書室の自習スペースは、蒸し暑くて、がらんとしていた。壁紙の一部が剥がれたり、床に落ちない汚れがあったりと、古さを感じる。どうしても市立図書館と比べてしまう。
奥の棚に全集を戻して、帰ってくる途中、出入り口傍の大きな掲示板が目についた。真新しい紙が一枚貼り出されていて、そこには『改修工事のお知らせ』と書かれている。昨日、蓼科先生が教えてくれたことだ。期間は夏休みの初日から十月中旬まで。その間、図書室と司書室は立ち入り禁止になるらしい。
司書室に戻ると、明戸さんは窓際に移動していた。パソコンの画面がわたしに見えない位置で、カタカタとタイピングしている。絶え間ない音は、楽器を奏でているみたいだ。
「スマホ、使わないの?」
「フリック入力だるいし遅い」
「すごいね。キーボードのほうが速いんだ」
「慣れてるから」
「何をしてるの? プログラミング? 動画作製?」
タイピングの音が止やんだ。明戸さんは、通学鞄から文庫本を取り出した。
「これ、はい」
表紙には、ぼやっとしたイラストが描かれている。男の人が走っている絵だ。題名は、『走れメロス』。
「ありがとう」受け取って、パラパラとめくる。「結構分厚いね」
「それ短編集。『走れメロス』以外にも収録されてるから、読むとき気を付けて」
「いつ返せばいい?」
「読めたらでいいよ。二学期に入ってからでも、全然」
「わかった。早く読めるよう、頑張るね」
汚れないようハンカチでくるんで、通学鞄に仕舞った。
「読書は頑張ってすることじゃないけどね」明戸さんの顎が、くんと上がる。癖毛の前髪は、目にかかるくらい長い。「普段、本当に本を読まないの? 一冊も?」
「一冊も。だから読書スピードもすごく遅くて」
「オーディオブックとかは? 朗読してくれるやつ」
首を横に振る。朗読されたら、さらに眠気が強まりそうだ。
「どうして眠くなるの?」
訊かれてから、考える。「文字がたくさんあるから、かな」
「なんで文字がたくさんあると眠くなるの?」
「なんでだろう。でも、小説だけじゃないんだ。映画も、ドラマも、アニメも、漫画も、ほとんど最後まで憶えてない」
「飽き性ってこと? 集中力が保てないとか?」
「どうなんだろうね?」
わたしは通学鞄を肩にかける。じゃあ、と言いかけて、「あのさ」と呼び止められた。
「定本さん、部活は、休部中?」
「うん」右脚をちょっとだけ上げる。「サポートも、やってない」
「えっと、じゃあ、これから空いてる、ってことでいい?」
頷くと、明戸さんの視線が泳ぐ。
「あー、あの……その、うちの家、ブックカフェを、やってるんだけど、来る?」
ブックカフェ。「いいの?」
「いい、けど、そんな、即答?」
「悩んだほうがよかった?」
「そういうわけじゃないけど……えっと、歩くから、脚は大丈夫?」
「走らなければ」
そう、へえ、と言って、明戸さんはノートパソコンを閉じた。ケースに入れて、通学鞄に仕舞う。テーブルの上の鍵を手に取って、冷房を切った。わたしがカーテンを閉めると、司書室は夜みたいに暗くなった。
* * *
風香をブックカフェに誘った類。果たしてブックカフェではどのような出逢いがあるのでしょうか。早く続きが読みたい方はこちらをチェック
白紙を歩く
天才ランナーと小説家志望。人生の分岐点で交差する2人の女子高生の友情物語。
ただ、走っていた。ただ、書いていた。君に出会うまでは――。
立ち止まった時間も、言い合った時間も、無力さを感じた時間も。無駄だと感じていたすべての時間を掬い上げる長編小説。