先週発売された鯨井あめさんの新刊『白紙を歩く』は女子高生2人のダブル主人公でお届けする青春物語です。
前回、類に誘われてブックカフェに行くことになった風香。本日はブックカフェの様子を風香目線でお届けします。(はじめから読みたい方はこちら)
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職員室に鍵を返して、校舎を出る。真夏の陽射しに、明戸さんは折り畳みの日傘を差した。日傘を忘れたわたしは、目元に手をかざして影を作る。腕がじりじり焼けていく。湿度と気温が下がる気配はない。朝に塗った日焼け止め、落ちてしまったかも。塗り直したくても、予備は部活用バッグのなかだ。
「こっち」と言われて、普段は使わない道を、明戸さんについていく。駅と反対方向だ。知らないお店がたくさんある。信号に引っ掛かるたび、明戸さんはスマホを取り出している。逃げ水の見えるアスファルトを黙々と進むこと、三十分。坂道を上った住宅街の一角にたどり着いた。そこには三階建ての小さな家があった。家の一階部分は半地下になっていて、木製のドアにはプレートがかかっている。『ブックカフェ・アトガキ』。開店時間は十三時半から十九時まで。定休日は火曜。
「アトガキって、本の?」
「そう。店主が、定年退職して始めたお店。そろそろ人生のあとがきでも書くか、って」
「おしゃれな理由だね」
来た道を振り返ると、坂の下に街が広がっていた。繁華街と駅を越えた先には、右から左へ流れる大きな川と、アスファルトの敷かれた堤防も見える。
半地下の入り口へと階段を下りて、明戸さんがドアを開けると、カランカランとベルの音が鳴った。わたしの背後でドアが閉まるときも、同じ音が鳴る。冷房の涼しさに全身が包まれて、ほうと息を吐いた。
「いらっしゃいませ」と、エプロンを着けた男の人が、カウンターの内側で言った。黒色の短髪で、細身の体格だ。持っていた文庫本を閉じて、座ったまま「おかえり」と言い直す。たぶん、店員さん。他にお客さんらしき人はいない。
明戸さんが言う。「織合さん、また店番?」
男の店員さんが答える。「これは間借りの対価」
「あっそ。定本さん、この人は織合慎さん。ここに入り浸ってる社会人。二十代後半。で、こっちは定本風香さん。陸上の人」それぞれを紹介した明戸さんが、通学鞄をカウンター席に置く。「定本さん、そこ、座って」
わたしは通学鞄を足元に置き、明戸さんの鞄を挟んで隣に座った。
明るくて狭いお店だった。テーブル席が三つと、カウンター席が五つ。カウンターと反対の壁が一面本棚になっていて、サイズの異なる本がずらりと並んでいる。調度品の色合いは古そうで、大人っぽい純喫茶といまっぽい喫茶店の中間の雰囲気だ。
「何か飲みます?」と織合さん。身長はわたしと同じくらいだろう。メニュー表を手放すように置く仕草に、性格を感じる。
「じゃあ、カフェラテで」こういう場所では、カフェラテが似合っている気がした。
「この暑いのに、よく熱いの飲むね」明戸さんがノートパソコンを取り出しながら言った。「あたしアイスティー」
織合さんが片手を振る。「自分で淹れろ。出来合いをグラスに注ぐだけだろ」
「ちっ。みえこさんに言いつけてやる」明戸さんが席を立ち、カウンター内に入った。
カウンターの奥に続く小部屋は、キッチンらしい。カーテンの隙間から小ぶりの冷蔵庫が覗いている。そこからピッチャーを取り出した明戸さんは、背の高いグラスに四角い氷を入れてから、紅茶を注いだ。
織合さんは、カチャリ、ザラザラ、とカウンターの端でコーヒー豆を準備している。やがてゴリゴリとミルにかける音がした。
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『ブックカフェ・アトガキ』に初めて足を踏み入れた風香。この場所は今後の2人に大きな影響を与えていきます。続きが気になる方はこちら!
白紙を歩く
天才ランナーと小説家志望。人生の分岐点で交差する2人の女子高生の友情物語。
ただ、走っていた。ただ、書いていた。君に出会うまでは――。
立ち止まった時間も、言い合った時間も、無力さを感じた時間も。無駄だと感じていたすべての時間を掬い上げる長編小説。