10月23日(水)に発売された鯨井あめさんの新刊『白紙を歩く』。
試し読み最終回の本日は、風香と類が仲を深めるきっかけになった『ブックカフェ・アトガキ』でのシーンをお届けします。(はじめから読みたい方はこちら)
* * *
わたしは体をねじって、背後の本棚を眺める。本当に壁一面、本棚だ。上から下、端から端まで、本が詰まっている。
「全部、小説?」
「ほとんど」と、キッチンから戻ってきた明戸さんが答える。「右端はエッセイと旅行記。大きいのは風景の写真集」
我が家では見られない光景だ。「すごいね」
「初のブックカフェ?」
「うん」
学校帰りにカフェに寄ること自体、初めてだ。空腹に耐えられなくて、コンビニで肉まんを買い食いしたことはある。
明戸さんのノートパソコンが開かれ、パチパチとタイピングが始まった。
「おまえなぁ」と、カウンターの端で織合さんが溜息を吐つく。「友だちがいるのに」
「うるさいな。キリがいいところまでやらないと気が済まない性分だって何回言えばわかるの?」
「にしても初めてじゃないか、ルイが人を連れてくるの」
「ルイ?」
「あたしの名前。種類の“類”」
明戸類。
わたしは織合さんに尋ねる。「店番っていうのは、従業員の方ですか?」
「俺、ここの地下室で本の修繕をやってるんです。場所を借りてるお礼にボランティアで店番をしてたのが、最近アルバイトに昇格しまして」
「営業日の半分は入ってるからね」明戸さんがパソコンの画面を見ながら補足する。「あまりに無償労働が過ぎるから、賃金を押し付けることにしたんだよ、オーナーが」
「ここのオーナー、修繕の専門家だからいろいろ教えてもらってるんですよ。そいつの大伯母」織合さんは、くいと顎で明戸さんを示した。
「そ、おばあちゃんの姉。最近、市の貴重な郷土資料が見つかったとかで、非常勤で働きに出てんの。とっくの昔に定年したってのに」
たしかここは、明戸さんの家だったはずだ。ご両親と大伯母さんと住んでいるのだろうか。珍しい組み合わせ。でも外観を見た感じ、そこまで広い建物には見えなかった。もしかして、二人暮らし?
こと、と音がして前を向くと、コーヒーカップが置かれていた。
「カフェラテです」と織合さん。「お口に合えばいいけど」
「いただきます」早速、一口飲んだ。「美味しいです」
「よかった。学生のとき、カフェのバイトが長かったんですよ」
明戸さんが顔を上げた。「織合さん、一瞬だけでいいから、裏に行ってくれない? 三分。何か仕込んでて」
「何を仕込むんだよ」
「スコーンとか」
「どう仕込むんだ」
織合さんがカウンター奥に引っ込んでいく。キッチンの音が漏れ聞こえるから、たぶんわたしたちの話し声も聞こえているけれど、いいのかな。
「あの」と意を決した口調で、明戸さんはわたしにノートパソコンの画面を向けた。縦書きの文字がずらっと並んでいる。「見てもらったらわかると思うんだけど、これ、小説」
「小説?」パソコンの画面に?
明戸さんはそっぽを向きながら、続ける。「その、あたし、創作活動してて」
「あっ、なるほど。すごいね」
「ネットにアップしたりとか、新人賞の公募に送りつけたりとか、そこそこ、精力的にやってて、ほとんど呼吸みたいなもので」
「呼吸」よくわからないけど、書いた小説で何かをしていることはわかった。「うん」
「それで、お願いがあって。いま、次回作のネタに悩んでて、だから、『走れメロス』を貸す代わりに、あなたをモデルに、小説を書いてもいい?」
黙っていると、明戸さんの鋭い眼光がわたしを刺した。「無理なら無理って、はっきり言って」
「ごめん、ちょっと考え事してた」わたしは答える。「いいよ。でも、わたしをモデルにしても、つまらない作品になると思うから、」
「そんなわけない」
遮って断言した明戸さんは、今度は真剣な顔つきで、まっすぐわたしを見ていた。
「絶対にハッピーエンドにしてやる」
むしろモデルにするんだから、と言い聞かせるように力の籠った言葉が続く。
「ハッピーエンドにする、責任があるでしょ」
明戸さんの口調と眼差しは、司書室の窓から差し込んできていた陽射しみたいに強かった。
* * *
風香の物語を絶対にハッピーエンドで終わらせると断言した類。果たして類はどのように風香の物語を書き上げていくのでしょうか。
鯨井さんの描く物語とともに、類の描く物語もお楽しみください。気になる方は書籍をチェック!
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白紙を歩く
天才ランナーと小説家志望。人生の分岐点で交差する2人の女子高生の友情物語。
ただ、走っていた。ただ、書いていた。君に出会うまでは――。
立ち止まった時間も、言い合った時間も、無力さを感じた時間も。無駄だと感じていたすべての時間を掬い上げる長編小説。