1. Home
  2. 生き方
  3. 愛の病
  4. 馬鹿

愛の病

2024.10.28 公開 / 2024.10.22 更新 ポスト

馬鹿狗飼恭子

「自殺する人が一番馬鹿だ」

と、年齢よりもさらに幼く見える顔で彼は言った。

彼はまだ十三歳。友達の子供だ。夏休みを利用して、東京から山の中にある我が家に一人で遊びに来ていたのだった。

そのあまりにもあまりな言葉に驚いて、わたしは車の後部座席に座る彼の気配を伺った。バックミラー越しでは頭頂部しか見えなかった。つやつやとした黒髪に天使の輪が光っていた。

「って、お母さんが言ってた」

と続けて彼が言ったのを聞いて、ようやく少しほっとする。

母親が子供にそう教えるのは心情的に理解できる。親にとっての一番の恐怖は子供の死だ。しかもそれが自死だったとしたら。考えるだけでぞっとする。どんな言葉を使ってもどんな手段を使ってもそれを止めたいと思うだろう。

でも。それでも。何かがわたしの喉元に引っかかった。

それは、政治に関わる仕事をしている人たちについて話しているときのことだった。上司の不正を告発したがもみ消され抗議のために自殺した部下がいた、というニュースがカーラジオから流れていた。それについての彼の意見が「自殺する人が馬鹿だ」だったのだ。

「だって死んじゃったらもう戦えない」

彼の声はまっすぐだった。自分が正しいと信じている人の快活さがあった。そして本当のところ自分には関係のない話なのだという純粋な無関心が。わたしは次に続ける言葉が見つけられなくなる。そうしてそのまま会話は終わり、うやむやになった。

彼が帰ったあとも、その言葉についてずっと考えていた。

映画監督のジャン=リュック・ゴダールが安楽死を選んだとき、とても悲しかった。もっと映画を撮って欲しかったし、撮らなくても生きていて欲しかった。でもわたしの勝手な思いなど彼にとっては知ったことではない。人間の権利の中には、自分の命を好き勝手することすら含まれるのだろう。それに、ゴダールらしい人生だ、という納得感もどこかにあった。もう充分と思えたのだろうと、思った。

わたしはあるときまで人が自死を選ぶ理由は「生きるのがしんどいから」なのだと思っていた。体なのか心なのか環境なのか、とにかく「生きていたくない」からするものなのだと。けれどそれだけじゃないことをもう知っている。年齢を重ね、実際に死に近くなったからなのかもしれない。

「生きる」というのは「生き延びる」ことだ。毎日毎夜、近づいてくる死の気配から一歩だけ逃げる。その一歩が、年を取るたびにちょっとずつ小さくなっていく。そしてそのうちに追いつかれる。

背後に迫ってくる死を感じることなく生きられている人はすごい。本当はそのほうがいい。「生きる」はそんなに仰々しくなく気軽にできるものであるほうがいいのだから。

前述の十三歳の彼に、今度会ったらもう少しきちんと話をしてみようかな、と思う。なんだか怖いけれど。だってわたしも十代のときは、もっと生きることも死ぬことも真剣に考えていた。

でもこれだけは伝えたい。

「自殺は馬鹿な人がするもの」ではない。

人を「自殺させる世界」が馬鹿なのだ。

関連書籍

狗飼恭子『一緒に絶望いたしましょうか』

いつも突然泊まりに来るだけの歳上の恵梨香 に5年片思い中の正臣。婚約者との結婚に自 信が持てず、仕事に明け暮れる津秋。叶わな い想いに生き惑う二人は、小さな偶然を重ね ながら運命の出会いを果たすのだが――。嘘 と秘密を抱えた男女の物語が交錯する時、信 じていた恋愛や夫婦の真の姿が明らかにな る。今までの自分から一歩踏み出す恋愛小説。

狗飼恭子『愛の病』

今日も考えるのは、恋のことばかりだ--。彼の家で前の彼女の歯ブラシを見つけたこと、出会った全ての男性と恋の可能性を考えてしまうこと、別れを決意した恋人と一つのベッドで眠ること、ケンカをして泣いた日は手帖に涙シールを貼ること……。“恋愛依存症”の恋愛小説家が、恋愛だらけの日々を赤裸々に綴ったエッセイ集第1弾。

狗飼恭子『幸福病』

平凡な毎日。だけど、いつも何かが私を「幸せ」にしてくれる--。大好きな人と同じスピードで呼吸していると気づいたとき。新しいピアスを見た彼がそれに嫉妬していると気づいたとき。別れた彼から、出演する舞台を観てもらいたいとメールが届いたとき。--恋愛小説家が何気ない日常に隠れているささやかな幸せを綴ったエッセイ集第2弾。

狗飼恭子『ロビンソン病』

好きな人の前で化粧を手抜きする女友達。日本女性の気を惹くためにヒビ割れた眼鏡をかける外国人。結婚したいと思わせるほど絶妙な温度でお風呂を入れるバンドマン。切実に恋を生きる人々の可愛くもおかしなドラマ。恋さえあれば生きていけるなんて幻想は、とっくに失くしたけれど、やっぱり恋に翻弄されたい30代独身恋愛小説家のエッセイ集第3弾。

{ この記事をシェアする }

愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。

 

バックナンバー

狗飼恭子

1974年埼玉県生まれ。92年に第一回TOKYO FM「LOVE STATION」ショート・ストーリー・グランプリにて佳作受賞。高校在学中より雑誌等に作品を発表。95年に小説第一作『冷蔵庫を壊す』を刊行。著書に『あいたい気持ち』『一緒にいたい人』『愛のようなもの』『低温火傷(全三巻)』『好き』『愛の病』など。また映画脚本に「天国の本屋~恋火」「ストロベリーショートケイクス」「未来予想図~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~」「スイートリトルライズ」「百瀬、こっちを向いて。」「風の電話」などがある。ドラマ脚本に「大阪環状線」「女ともだち」などがある。最新小説は『一緒に絶望いたしましょうか』。

この記事を読んだ人へのおすすめ

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP