長野県の上諏訪に、ユニークな古材と古道具を売る店があると聞き、自著の装丁をしてくれたデザイナーさんと盛り上がって行くことになった。
リビルディングセンタージャパン、通称「リビセン」という。巨大な倉庫のような古い3階建ての建物に、器から家具、建具まで宝探しのように楽しいらしい。
「せっかく泊まりになるし、誰かお誘いしてもいいですよ。賑やかな方が楽しいですしね」とデザイナーさんが言う。
すぐにYさんが頭に浮かんだ。
ちょうどその頃、私は長く住んだマンションから近所の戸建てに住み替えたところで、Yさんは旧居の住人だ。12戸の長屋のような作りで、長男が同い年。20年来の付き合いで、幼馴染の長男たちもすでに新社会人である。
そんな彼女とひとつ屋根の下でなくなったのがなんだか淋しく、声をかけたのだった。
「行く行く!」と彼女は二つ返事で、いざ前日。ホテル、電車も全て予約してくれていたデザイナーさんが、ご実家の事情で急に行けなくなった。
リビセン以外ほぼ何も決めておらず、ノープランに丸腰でデザイナーさんに頼り切っていた私とYさんは、見切り発車で出かけることにした。
ところが、特急あずさの車内で旅の計画を立てるはずが、到着までおしゃべり三昧に。諏訪出身の友達の夫においしい蕎麦屋を聞いておいたので、とりあえずはそこを目指す。
数人並んでいたが、無事入店でき、瓶ビールでまずは乾杯。旅の開放気分を全開にする昼間のビールと蕎麦を堪能しながら、2日間の予定を立てる。
今日は欲張らずリビセンをゆっくり楽しんで、帰りに酒蔵をのぞこうということになった。信州を代表する蔵元・真澄が上諏訪にあることを思い出したのだ。
夕食は気になっていた食堂を予約していた。かつて東京で、人気のお弁当を作る料理家の台所を取材をした。小さなアパートの一室で、それはそれはおいしい季節の食材を存分に活かした弁当やケータリングの料理を作っていた。
その女性が移住して、評判の良い料理店をやっていると風の便りに聞いていたのである。
よし、今日行きたい場所は決まった。さあ、出かけましょうと蕎麦屋の席を立ち上がると、Yさんが言った。
「予約してくれてありがとう。御礼にここは支払わせて。あとは割り勘で、ねっ」
私がしたのは、ホテルへのひとり分キャンセルの連絡と、食堂の予約くらいだ。だが、「3人の連絡役をしてくれた」「意外にこまごまとこういうのって大変だと思うんだよね」と、彼女は譲らない。
考えてみると、今や旅の予約や連絡などメールやLINEでほとんどすむ。大した手間ではないが、誰かがやれば、やらない人が出る。私は、ふだんは人にやってもらうことが多い。逆の立場になったとき、こういう気遣いを真似しようと思った。
もうひとつ、蕎麦屋で彼女とやったことがある。5千円ずつ出し合ってひとつの共通財布──ミニポーチでも封筒でもなんでもいい──に入れるのだ。
ふたりで乗るタクシーや食事代やお茶代、なにかの入場料はここから出す。いちいち割り勘にして出し合うと、「今細かいのがないから後で」が起きがちで、忘れると、相手に小さな気がかりが募る。残金が尽きたらまた5千円ずつ追加する方式は、こまごま小銭をやり取りするより、ずっと合理的なのだ。
まずはメイン目的のリビセンへ。体育館のように広いそこには、ぎっしり古道具や古家具がつまっていた。解体する家屋から引き取ってきたあらゆるものが並んでいる。器、生活用品、家具、建具、タイルやドアノブ、釘に至るまで何でも。
宝探しに夢中になっていると、
「あなたたちの着ている服、どこでお買いになったの?」
と、不意に60歳くらいの女性に話しかけられた。
私達は、アフリカの生地を使った色鮮やかな柄が特徴のワンピース(Yさん)とスカート(私)を履いていた。Yさんが生地とデザインを発注して、オリジナルで作ってもらっているブランドである。
Yさんとその女性は、「歳を重ねると何を着ていいかわからないんですよね」と盛り上がり、とうとう最後は連絡先を交換していた。後日、本当にワンピースの注文がきたらしい。
古道具の中に、青や黄色の太陽の柄、緑にオレンジの花柄など原色が目立ったのかもしれない。あるいは、私たちの休日のはじけるような晴れやかな気分が、服を通して伝わったのではなんて、こじつけ過ぎだろうか。その人は長野県内の少し離れたところに住んでいて、女友達と上諏訪まで遊びに来たと言っていた。つかの間の旅人同志の交歓に、同じ服を着てふたりで東京を歩いても、こうはいかないであろう不思議を思う。
お次は蔵元へ。
日本酒・真澄の蔵元の敷地には、セラ真澄という落ち着いたショップがあった。試飲や、日本酒に合うよりすぐりの食品、洗練された酒器が揃う。ずらりと並んだ漆黒の日本酒セラーも圧巻だった。
近くのスタッフに、“山廃純米吟醸”と“純米吟醸”の違いを尋ねると、マンツーマンで日本酒講座さながらに詳しい解説が始まる。
ためつすがめつした結果、これぞと納得の四合瓶を一本買い、会計へ。女将さんに、「うちだけじゃなく、ほかにも四つ、蔵元さんがあるから、そちらもぜひ訪ねてみてくださいね」と笑顔で勧められた。レジ横にあった地図に丸をつけ、それぞれの蔵元の特徴を丁寧に語る。
ともに日本酒文化を盛り上げようという支え合いの精神を感じ、心がほっとあたたかくなった。上諏訪の蔵人は、こういう気質なんだな。
ホテルに戻ると、夜、10分だけ花火があると教えられる。夏の間開催される「諏訪湖サマーナイト花火」で、500発の花火が打ち上げられるとか。
花火! 私達は顔を見合わせて興奮した。サプライズの嬉しさだけではない。我が子が大きくなってからもう何年も、すっかり花火から遠ざかっていた。そう、私の人生の30代から40代の花火は、つねに子どもとセットのイベントで、自分が個人で楽しむために見たことがなかった。見ようと考えたこともない。
長男が同じ年のYさんもきっと同じだろう。たった10分のショーにもかかわらず、私達は浮足立ちながらルーフバルコニーに向かった。
早々と浴衣を着た宿泊客たちが、大きな花火大会のときのようにひとつ打ち上がるごとに歓声を上げている。予期せぬ花火は、予期していた花火の数倍美しい。
もう自分は縁がないと思っていた不意打ちの花火に、今まで母業お疲れさんと労われたような気がした。これからは自分のために時間を使い、好きなものを食べ、美しいものを眺めに行ってもいいんですよ、と。
眼福の次はお腹を幸せで満たさねば。というわけで勇んで街へ繰り出す。
夕食に予約していた料理屋は、4千円のおまかせコースのみ。スープ、前菜の盛り合わせ、炒め物・野菜のフリット・春巻き・煮込み・炊き立てご飯と汁物といった具合で、旬の食材にスパイスなどひとひねりくわえた創作料理が特徴だ。
野菜のポタージュにシナモンと黒胡椒がかかっていたり、スペアリブの梅スパイス酒粕煮込みなどなど。期待をうわまわる丁寧な味、独創的なメニューで心打たれた。
おまかせのみのシステムは、無駄が出ず、個人で営む実力派の料理人には、リスクのない素晴らしいシステムだと思う。驚きや発見が多く、客にとっても満足度が高い。
デザートで頼んだイギリスの伝統的なデザート「イートンメス」は、爽やかなクリームと焼きメレンゲ、フレッシュなフルーツを混ぜ合わせた絶品で、おかわりをしてしまった。同じデザートをリピートするとは、どれだけの食い意地かと思うが、それだけ旨かったという話である。
店主や隣り合った客とたくさんおしゃべりを交わし、上機嫌で店をあとにした。旅先は、どの人とも一期一会。肩書も名前もわからない間柄だからこそ、案外本音を言えることもある。
上諏訪8割ノープラン旅の第一日目、終了。
気がつけば、ママ友だった人と、子どもの話をしなかった。ビールと蕎麦で始まり、古道具、日本酒、花火、創作料理で一日を閉じる。ホテルでは、ゆっくりサウナと温泉で、ふたり汗を流した。
この、当日現地で予定を決めた上諏訪が、私の大人の小旅、第一歩である。
ひととき袖すり合わせた人たちとの会話が、旅に色や音や温度を与え、思い出を補強し、特別なものにしてくれている。それからたった10分の花火の夜空も。
二日目も小さなヨロコビの連続であったので、続きは次回に!
ある日、逗子へアジフライを食べに ~おとなのこたび~
早朝の喫茶店や、思い立って日帰りで出かけた海のまち、器を求めて少し遠くまで足を延ばした日曜日。「いつも」のちょっと外に出かけることは、人生を豊かにしてくれる。そんな記憶を綴った珠玉の旅エッセイ。