私は今、絶賛放送中であるNEXTドラマ「私の町の千葉くんは」にレギュラー出演している。
主人公は井桁弘恵ちゃん演じる高校教師のマチ先生。
彼女の役の設定は、とあるクラスの副担任で、私はそこの担任三船先生役。
劇中、職員室のシーンがよく出てくる。
そこに登場するのが教頭役のチャンス大城さんと同僚教師役の関口アナン君。
アナンとはかつて舞台で何度も共演し酒を酌み交わした、言わば親戚の様な仲の良さ。
主役の井桁弘恵ちゃん、チャンス大城さんとは初めましてではあるが
二人とも撮影初日からメチャクチャ仲良くなり
職員室のシーンではスタッフさん含めワイワイキャッキャしながら
楽しく仕事をしている。
井桁弘恵ちゃんは肝の座った頭のいい面白カッコいい女の子。
さすが主役。素敵な芝居で我々共演者をグイグイ引っ張っていってくれる。
チャンス大城さんは、今大ブレイク中の芸人さん。
いやあ、この方も最高に素敵で面白い。
売れっ子芸人さんなのに、とても腰が低くいつも周りのみんなに気を配ってくれる。
ただ、このチャンスさん。とても真面目な方なのだ。
最初に職員室のシーンを撮った日。チャンスさんのセリフは二言。
この二言のセリフをずっと、カメラが回る直前まで練習していた。
その姿に感動も覚えたがおかしくもあり、一気に現場の空気が和んだ。
もちろんチャンスさんは芸人さんであって俳優ではないので
緊張するのは当然のこと。
もし私が、逆に芸人さんとして漫談やれって言われたら、おそらく一言も喋れない。
だからチャンスさんは本当にすごい事をやっているのだ。
そんな中、先日体育祭シーンの撮影があった。
エキストラさんも含めたら総勢50人以上の大所帯。
その日、私もチャンスさんもアナンもセリフはなし。
生徒たちを応援しているシーンだけ。
セリフがあると緊張してしまう真面目なチャンスさんも、この日はとてもリラックスしていて待ち時間の間も、チャンスさんがいろんな話をしてくれたり、持ちネタを披露してくれ
私もアナンも大爆笑の大興奮。
あっという間に時間が過ぎていった。
ただ、その日チャンスさんは夜7時に渋谷でライブがあると言っていた。
その日の我々3人の撮影終了予定の時間は16時半。
だがドラマの終了時間はあくまで予定であって
押して時間が長引くこともあれば、巻いて早く終わることもある。
でもその時の撮影は順調で、逆に早く終わるんじゃないかなんて3人で話していた。
そしてまた待ち時間。
チャンスさんは声真似芸なんかも披露してくれて、みんな揃って大爆笑。
その後も撮影はずっと順調だったのに、突然雨が降ってきた。
多少の雨なら撮影続行する時もあるが、この時は生憎の土砂降り。
スタッフさんも俳優部も一旦待機することになった。
その時、チャンスさんの夜のライブの事を思い出したが、まあ大丈夫だろうと3人で言い合っていた。
なのに、なかなか雨がやまない。
真面目なチャンスさんはどんどん不安になり無口になっていく。
時計を見るともうすぐ16時になろうとしている。
(ちなみに撮影場所は千葉県で、電車で帰っても渋谷まで1時間以上かかる)
チャンスさんの顔色が、「青」というより「灰色」に変わり始めた頃。
ようやくスタッフさんから声がかかり、最後のシーンを撮影することになった。
チャンスさんに残された時間はあと30分。本当にギリギリ渋谷でのライブに間に合うかどうかだ。
無口なまま現場に向かうチャンスさん。
その日の我々教師の最後のシーンは、テントの中で生徒を応援する。という場面。
カメラは2階の保健室から撮っている。
画面を広くして「引き」で撮る。というやつ。
ドラマではシーン毎に必ずドライというのをやる。
※ドライとはカメラなしで行われ、役者の動きなどを確認しながらやるリハーサルのこと。
その後テスト、本番となっていった。
チャンスさんの顔色は「灰色」を通り越して「漆黒」に近くなっていたが
そんなことおくびにも出さず、必死で生徒たちを応援する演技をしていた。
やっぱり売れてる芸人さんは凄く強い集中力を持っているんだと感動すら覚えた。
そうして撮影が無事に終わり、カットがかかった瞬間。
走って帰るのかと思いきや、全員に丁寧に挨拶して回っているチャンスさんを見て私はたまらずこう言った。
「もう挨拶いいから早く渋谷に向かって!」と。
すると今度は私に向かって丁寧に挨拶しようとするから
「もう喋らなくていいから。早く帰って」と私が再び言うと
急に走り出していった。
チャンスさんが帰って行った後、アナンと二人で話していた。
チャンスさんは今回、自分の歳より上の設定なので、メイクさんに白髪を入れてもらっている。
私「チャンスさん、焦ってたから絶対自分が白髪メイクされてること忘れて、あのままライブにでるよ」
アナン「僕もそう思う」
後日チャンスさんにLINEして聞いたら
「はい。すっかり忘れて白髪頭のままライブに出ました。お客様はみんな、あいつずいぶん老けたなって思ったと思います」と返信が来た。
ああ、本当にこんな楽しい現場に参加出来て
山野海は幸せ者です。
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山野海の渡世日記
4歳(1969年)から子役としてデビュー後、バイプレーヤーとして生き延びてきた山野海。70年代からの熱き舞台カルチャーを幼心にも全身で受けてきた軌跡と、現在とを綴る。