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ぶらり世界裁判放浪記

2024.11.10 公開 ポスト

イタリア編・前編

イタリア・トリノの裁判所で目を引いた「縦型タッパー」のような空間原口侑子(弁護士)

TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」出演で話題! 世界131ヵ国を裁判傍聴しながら旅した女性弁護士による、唯一無二の紀行集『ぶらり世界裁判放浪記』(小社刊)より、イタリア・トリノでの旅をお届けします。

ぶらり世界裁判放浪記』(小社刊)

*   *   *

法廷内の「縦長タッパー」

山の中腹にあるいかにも貴族の邸宅といった雰囲気のヴィラ・レストランには、広々とした庭がついている。庭の端まで歩くとそこには天蓋付きのソファがあり、トリノの町がまるごと見下ろせた。川の向こうには、その朝に足を運んだ裁判所もあるはずだった。裁判所に行かなければここにも来なかったと思いながら、私はスパークリングワインをぐいっと飲み干した。

トリノの丘の上。

午前中に裁判所に行き、ランチはイータリーでパスタを食べる。フィアットの自動車博物館と、国立映画博物館をはしごして、ポー川沿いを散歩する。締めは、山の中腹にあるヴィラ・レストランでふるまわれる、シェフのお任せコース。それが、その日の私の「トリノ観光」であった。

裁判は朝10時に始まった。トリノの裁判所は、庭をはさんで長い建物が2棟向かい合う形。両翼の廊下に沿ってずらっと並ぶのが法廷だ。私は受付で刑事裁判のスケジュールを教えてもらうと、重い扉をギィと開いて目当ての法廷に入った。法廷の扉はどの国も重い。

どこにでもあるシンプルな法廷だった。傍聴席の前に柵があり、1段高い場所に裁判官の座る法壇がある。裁判官の後ろの壁にはピエモンテ州のものと思われる旗と、「法は万人に対し平等(La legge  uguale per tutti)」という言葉。その足元、向かって左が検察官席で、右が弁護人席だった。弁護人の隣には法廷通訳とおぼしきお姉さんが立っている。

トリノの裁判所。

いかにも普通の法廷だが、その中でただひとつ、目を引いたものがあった。向かって右隅にあるガラスの囲いで覆われた一角だった。囲われた空間は細く高く、「まるで1人乗りのエレベーターだ、これは」と私は思った。「囲われた空間」は並んで2つあり、1つは壁とつながっていて、後ろに扉がある。もう1つはどこにもつながっていない。入口は1つ。人が1人立てるだけの、細く、狭い、密閉空間だ。縦長のタッパーに見えてきた。

その中にペドロという名の被疑者が立って、怒鳴っていた。彼はアフリカ系の外見をしていて、白いランニングを着ていた。イタリア語と英語のちゃんぽんで話し、英語のときは法廷通訳のお姉さんがすぐさまイタリア語に訳す。私はとぎれとぎれにメモを取る。

「あなたは紙を破いて侮辱的なことを言った。それは本当ですか?」法廷通訳が聞いた。ペドロ氏は一言二言、早口のイタリア語で答えた。すると裁判官も何事かを言い、法廷通訳がふたたび訳した。

「では、あなたは彼を殴りませんでしたか?」

 

「いいえ!」ペドロ氏が英語で答える。

「あなたは飛びかかりましたか?」

「針を見て……走らないといけないと思ったんだ」

「あなたは怖かったのですか?」

「気分がよくなかった。だから病院へ行った」

そうペドロ氏が答えると、唐突に裁判官が立ち上がり、裁判官席のドアから外へ出ていった。裁判は中断となった。中断のあいだ、縦長タッパーの中にペドロ氏はじっと立っていた。疲れたのか、もう怒鳴ってはいなかった。ぼんやりとした視線がガラスに反射している。現場となった「病院」のことは分からなかった。何の病院だろう。よく分からないまま、私は直立不動のペドロ氏を、息を詰めてじっと見ていた。

何の裁判?

再開後の審理は一瞬で終わり、ペドロ氏は手錠をされたまま、先ほどまで立っていたタッパーその1からタッパーその2へと移った。タッパーその2の後ろにある扉が開けられると、ペドロ氏はこの部屋から出ていき、入れかわりに新しい被疑者が入ってきた。2人はタッパーの入口ですれ違った。

「身柄拘束を争う、勾留裁判だったわ」審理が終わってから、法廷通訳を追いかけ尋ねると彼女は教えてくれた。「何が争われていたの?」私が質問を重ねようとすると、「捕まったときのこと……」と答えながら、「もう裁判所を出ないといけないの」と法廷通訳の彼女はすまなそうに言った。それを見て、隣でたばこを吸っていた、頭をそり上げたスーツ姿の男性が、「僕が説明しようか?」と話しかけてきた。「さっき法廷の中にいたから」

* * *

つづく(後編は11月17日公開予定です)

原口侑子『世界裁判放浪記』

バックパッカー×裁判傍聴!ある日バックパッカーとなった東大卒の弁護士は、アフリカから小さな島国まで世界131カ国を放浪し、裁判をひたすら見続けた。豊富な写真と端正な筆で綴る、唯一無二の紀行集!

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ぶらり世界裁判放浪記

弁護士の原口さんは、ある日、事務所を辞め、世界各国放浪の旅に出ました。アジア・アフリカ・中南米・大洋州を中心に、訪れた国は、約131カ国。目的の一つが、各地での裁判傍聴でした。そんな唯一無二の旅を描いた『ぶらり世界裁判放浪記』(小社刊)の試し読みをお届けします。

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原口侑子 弁護士

東京都生まれ。弁護士。東京大学法学部卒業。早稲田大学大学院法務研究科修了。大手渉外法律事務所を経て、バングラデシュ人民共和国でNGO業務に携わる。その後、法務案件のほか、新興国での社会起業支援、開発調査業務、法務調査等に従事。現在はイギリスで法人類学的見地からアフリカと日本の比較研究をしている。これまでに世界131カ国を訪問。

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