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 企画立案者の友人が実家の事情で直前に欠け、急遽ママ友とふたり旅に。上諏訪第2日目はまたしても丸腰で、なんの計画もない。

 窓の向こうに諏訪湖の絶景が望めるホテルレストランで、朝食をとりながら相談をする。宿決めの我が最優先事項、“朝食のおいしさ”をクリアしているそのラウンジは和洋中のビュッフェで、とくに長野の食材を活かした和食が白眉だった。

 きのこ三種の辛子和え、地元野菜のせいろ蒸しには信州味噌のディップ、サラダには自家製わさびドレッシング。こういうビュッフェは、メインのおかずはどこも似たり寄ったりだが、副菜やドレッシング、デザートで個性が出る。フルーツは長野産のみずみずしい大粒ぶどうだった。

 

「諏訪に来たことだし、とりあえず諏訪大社にお参りしようか」
「いいね」

 次はどこへ行って、それからあそこもここもと決めると、とたんに心が忙しくなる。そして「ブラブラ」が、目的地だけを目指すただの移動になり、ブラブラでなくなってしまう。

 諏訪大社メインで、周辺をブラブラくらいのアバウトさでいると、途中で素敵なものやおもしろいものに気がつきやすい。

 電車にひと駅乗り、下諏訪駅から歩く道すがら、民家の軒先にガレージセールらしき棚を見つける。木製の棚には硬貨を入れる穴があり、「料金は値札と一緒にここに入れて下さい」という張り紙が。野菜の無人販売みたいだねと笑った。ビールジョッキや焼き魚でも似合いそうな長方形の皿が、ビニールにくるまれている。売主は居酒屋でも営んでいたんだろうか。

 諏訪大社・下社の神楽殿に着くと、なにやら二十人ほど集まっている。頭越しにのぞくと、装束姿の巫女さんが厳かな舞をしているではないか。後日調べると──その場でスマホを検索していたら舞が終わってしまう──八束穂講神楽(やつかほうかぐら)という収穫を感謝する神事だった。巫女が悠久の舞を奉納していたのだ。

 笛の澄んだ音色が風にのって、自分の奥にしみこんでくる。旅にでるぎりぎりまで締切と格闘していた日常や、くよくよと思い悩んでいた小さなあれこれ、ざわざわしていたものが徐々に鎮まっていくようで深呼吸したくなった。

「得しちゃったね」

 神聖な場で損得はあれだが、私達は素直に小さな偶然の幸運を喜びあった。

 春宮と秋宮を参拝後、鳥居の前で土産の大社煎餅を買う。少し歩いた曲がり角の向こうに、木製の格子戸と紫紺ののれんが見える。風格漂う古さにただならぬ気配を感じ、ほんの少し遠回り。明治創業、老舗の塩羊羹で知られる和菓子店だった。

「なんか、ちょこっと甘いもの食べたいよね」

 昔ながらの朱塗りの箱に行儀よく並ぶ色とりどりの美しい上生菓子やお饅頭を眺めていたら、辛抱のきかない私たちは今すぐ食べたくなった。

 ふと、十年ほど前に著書の取材でお世話になった、布ものの手作り作家さんのアトリエが近くにあることを思い出す。

「もし彼女がいたら十分ほどお邪魔して、一緒にこれ食べようか」
「アトリエなんて素敵。じゃあ私がその人への手土産に買うよ」と、友達が鹿の子や練り切りを四つ買った。

 連絡先を持っていない。インスタで突然メールを送ったら、予定を切り上げたりやりくりしたり負担になるだろうと思った。いないならいないでいい。
 はたして、鍵がかかっていた。私は名刺の裏に“二、三十分後にダメ元でまた来ます”と書き、ドアに挟んだ。
 しばらく散策し、再訪すると満面の笑みの彼女が出迎えてくれた。

 コーヒーと和菓子でしばしおしゃべり。友達は興味津々で、彼女のミシンやリメイクした洋服や帽子に見入る。
 30分ほどして、「じゃあ元気で。またいつか」。
 手を振られ、アトリエをあとにする。練り切りの餡は、上品な甘さとほのかな塩味のバランスが絶妙で、ほろほろととけるようにはかなくておいしく、つかの間の再会を引き立てた。

 さて夕方の電車までなにしよう。

「そうだ。長野といえばツルヤだ!」

 ツルヤは、ジャムやドレッシング、だし、コーヒーなどオリジナル商品の品揃えが圧巻のご当地スーパーだ。県内に多店舗ある。そうそう、あそこの無添加ナポリタンソースもなかなかあなどれないのだよな。マヨネーズ型の容器に入ったツルヤオリジナルのそれを、以前ももらったことがあった。
 検索すると、隣駅の上諏訪駅前にある。

 いざ、もう一度電車に乗ってツルヤへ。

 私はエコバッグを取り出し、ドライフルーツのふじりんご・シナノスイート──りんごだけでも多品種ある──白桃、清見オレンジ、瀬戸田みかん、軽井沢ビール、栗バター、生七味などこことぞばかりにオリジナル商品を買い込んだ。

 こうして振り返ると、神社の舞も、練り切りも、レトロなビールジョッキも、旅前に計画を立てていないから出会えたものばかりだ。旅のプランにはもっと、美術館や有名な蕎麦屋や味噌会館など、ランドマーク的なところを入れるだろう。すると、素敵でささやかなものたちを見逃し、きっとアトリエのあの女性と再会することもない。

 惜しむらくは、探せど探せど喫茶店がなかったことくらいか。あてずっぽうに歩きながら、いい喫茶店があったら入ろうとしていたら、自分たちが好きな感じのそれが見つからない。いよいよスマホをとりだし、検索してやっとたどり着いた店は2軒続いて定休日だった。友達が、歩数計の1万超えの表示と定休の看板に、ゲラゲラ笑いだす。「これは神様が、今日は喫茶店に来るなって言ってるんだよ」と。

 そんなだめな思い出まで愛おしいくらいに、あの気ままな二日間は自分の中で今も輝いている。長年ママ友だった彼女とは、それから時々旅をするようになった。体が疲れない近場の1泊で、予定を1箇所くらいしか決めない丸腰旅。会話に子どもの話がほとんど出ない。諏訪への旅は、自分の節目になる、まぎれもない卒母旅であった。

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ある日、逗子へアジフライを食べに ~おとなのこたび~

早朝の喫茶店や、思い立って日帰りで出かけた海のまち、器を求めて少し遠くまで足を延ばした日曜日。「いつも」のちょっと外に出かけることは、人生を豊かにしてくれる。そんな記憶を綴った珠玉の旅エッセイ。

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大平一枝

文筆家。長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に「東京の台所」シリーズや『人生フルーツサンド』『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた』『そこに定食屋があるかぎり』など。「東京の台所2」(朝日新聞デジタル&w)、「自分の味の見つけかた」(ウェブ平凡)、「遠回りの読書」(サンデー毎日)など各種媒体での連載多数。

HP:https://kurashi-no-gara.com/

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