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愛の病

2024.11.26 公開 ポスト

リトリートする狗飼恭子

リトリートに行くんだけど一緒に来ない?と誘われて気軽に「行く」と答えたけれど、その時点でわたしはリトリートが何たるやを知らなかった。

リトリート。検索。

自然あふれるところでゆっくりしたりする活動、心身のリフレッシュや精神的な成長を目的とする旅、とのことらしい。

 

「リ」は生まれ変わる、やり直す、の「re」、「トリート」はトリートメントの意味かな?くらいの軽い気持ちで「リトリート」へ向かう。わたしは元来大変腰が重いのだが、初めて経験することにだけは貪欲なのだ。

待ち合わせは新幹線の駅。メンバーは、20年来の友人のAちゃんと、そのAちゃんの30年来の友人のBさん。Bさんとはそこで初めましてである。軽く挨拶をしてお昼を食べて、そこから電車と車を二時間ほど乗り継いで目的地へ行った。山の中にある小さな山小屋。そこに二日ほど滞在し、リトリートするのである。

「リトリートって何するの?」

わたしが尋ねると、Bさんも、言い出しっぺのAちゃんですら分からないと答えた。Aちゃんはその宿泊施設の惹き文句である言葉をそのまま使っただけらしい。

「普通はヨガしたり瞑想したり森を散策したりするらしいけど」

じゃあまず山でも歩くか、ととりあえず外に出てみる。しかし考えてみれば、というか考えずとも、わたしは現在木々に囲まれた山の中に定住している。Aちゃんは東京在住だが毎月山に行っているし、Bさんもそれなりの田舎暮らしをしている人だった。山歩き、別にそんなに特別じゃなかった、とすぐに気づいた我々は、息も切れたし30分ほどで山小屋に戻った。

珈琲を淹れて、買ってきた果物を食べながらお喋りをした。テレビもないし音楽もない。携帯も触らず、ただずっと喋っていた。夕飯は用意してもらっていたものを簡単に温めて食べて、順番にお風呂に入って、また喋った。お酒も飲まずお水とお茶と珈琲だけなのに、気付いたら12時を過ぎていた。お布団に入って目覚ましもかけずぐっすり眠った。

次の日は人の話し声で目が覚めた。AちゃんとBさんはもう起きていて、居間でお喋りしているようだ。わたしはもう一度目をつむって二度寝に入る。人の話し声を聞きながらうとうとするの、久しぶりだなと思う。普通は旅行に来たら頑張って起きるものだけれど、今回は頑張らない。

一時間か二時間たって、二度寝から醒めて居間に行く。珈琲を貰って、ブランチがてら三人で夕飯の残りを食べた。

それから車を借りてドライブして、三人とも行ったことのない町に行った。町の名物を食べて温泉に入った。その間もだいたいずっとお喋りしたりうとうとしたりぼうっとしたりしていた。

次の日はゆっくり起きてお喋りをして、お昼を食べてそれぞれの家に帰った。帰りの新幹線に一人で乗っても、しばらく三人でLINEで話をしていた。

普段、わたしはあんまり人と喋らない。というかほぼ家にこもっているので物理的に人に会わない。話すのは仕事相手ばかりだから、内容はだいたい大切なことばかり。でもこのリトリートでは意味のない会話ばかりした。まさに雑談。こんなことがあったんだ、共感。こんなことがあってね、感心。そんな程度の会話のキャッチボールはとても楽だった。

ときどき、「歳を取ったら友達集まって暮らそうよ」という人がいる。どれくらいリアリティをもってそう言っているのかは分からないけれど、そんなときわたしは「そうだね」と答える。まったくリアリティを持たないままに。わたしにとっては一人で暮らすことのほうが現実的だった。

でもたとえばこんなふうなのかもしれないな、と思った。歳をとって非家族だけで暮らすこと。わりとみんなてんでばらばらに、好き勝手寝たり起きたり、喋ったりしてる感じ。気負いも、責任も何もなく。

こういうのだったらいいかもしれない。姥捨て山だって、名前はひどいけど実は結構楽しいのかも。

家に帰ってあらためて、「リトリート」の語源を調べてみた。Retreatment(リトリートメント・再治療)の意味もあるが、Retreat(リトリート・遭難や引きこもり)の意味のほうが強いらしい。

わたしの場合、普段の生活のほうがRetreatだったみたいだ。

関連書籍

狗飼恭子『一緒に絶望いたしましょうか』

いつも突然泊まりに来るだけの歳上の恵梨香 に5年片思い中の正臣。婚約者との結婚に自 信が持てず、仕事に明け暮れる津秋。叶わな い想いに生き惑う二人は、小さな偶然を重ね ながら運命の出会いを果たすのだが――。嘘 と秘密を抱えた男女の物語が交錯する時、信 じていた恋愛や夫婦の真の姿が明らかにな る。今までの自分から一歩踏み出す恋愛小説。

狗飼恭子『愛の病』

今日も考えるのは、恋のことばかりだ--。彼の家で前の彼女の歯ブラシを見つけたこと、出会った全ての男性と恋の可能性を考えてしまうこと、別れを決意した恋人と一つのベッドで眠ること、ケンカをして泣いた日は手帖に涙シールを貼ること……。“恋愛依存症”の恋愛小説家が、恋愛だらけの日々を赤裸々に綴ったエッセイ集第1弾。

狗飼恭子『幸福病』

平凡な毎日。だけど、いつも何かが私を「幸せ」にしてくれる--。大好きな人と同じスピードで呼吸していると気づいたとき。新しいピアスを見た彼がそれに嫉妬していると気づいたとき。別れた彼から、出演する舞台を観てもらいたいとメールが届いたとき。--恋愛小説家が何気ない日常に隠れているささやかな幸せを綴ったエッセイ集第2弾。

狗飼恭子『ロビンソン病』

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愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。

 

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狗飼恭子

1974年埼玉県生まれ。92年に第一回TOKYO FM「LOVE STATION」ショート・ストーリー・グランプリにて佳作受賞。高校在学中より雑誌等に作品を発表。95年に小説第一作『冷蔵庫を壊す』を刊行。著書に『あいたい気持ち』『一緒にいたい人』『愛のようなもの』『低温火傷(全三巻)』『好き』『愛の病』など。また映画脚本に「天国の本屋~恋火」「ストロベリーショートケイクス」「未来予想図~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~」「スイートリトルライズ」「百瀬、こっちを向いて。」「風の電話」などがある。ドラマ脚本に「大阪環状線」「女ともだち」などがある。最新小説は『一緒に絶望いたしましょうか』。

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