山登りの魅力は様々で、何を良いと感じるかは人それぞれだ。山頂を踏む達成感、身体を使う爽快感、壮大な景色に出合う喜びなどイメージしやすい魅力もあれば、複雑でどうにも言葉にするのが難しい魅力もある。本書は後者を書く。特に作品後半に書かれる山行は「絶対にこんなことはしたくない」と思うかもしれないが、その裏で思いがけない精神的作用が起こる。
タイトルにある「バリ」とは「バリエーションルート」のこと。登山地図には実線で書かれた登山道と破線で書かれた登山道があり、破線は踏み跡が少なく道迷いの要素が強かったり、クライミングの技術が必要だったりする。一般的なルートでないのでバリエーションルートと呼ばれる。さらには、破線ですら書かれていない道を選び、地形図や等高線を見ながら山に踏み入り、自分で道を開拓しながら山を縦横無尽に歩く人もいる。
そんなバリ山行を会社の上司・妻鹿さんが休みのたびにやっていることを、社内の登山部に参加する主人公・波多は知る。建物の外装の修繕を専門に手掛ける会社において妻鹿さんは一匹狼的な存在。腕は確かだけれど性格に難があり、バリをやっていることも登山経験豊富な社内のベテランからは非難されている。けれど、そんな妻鹿さんとバリに、波多は徐々に惹かれていく。そしていつしか地図通りに登山道を歩くことに、疑問を持つようになる。山登りだけでなく仕事でも社の方針とは異なったやり方を貫く妻鹿さんの存在が、波多にとっては疎ましくもあり、どこか自由で羨ましくもなってくるのだ。全体として健脚のハイカーが歩くような小気味いいテンポで書かれる本書。登山はもちろん、妻との日常の些細なやりとりや会社員としての社内での立ち振る舞いといった描写すらスリリングに感じる。
仕事上のトラブルを妻鹿さんの力量で解決した流れで、波多はバリに連れていってもらう。ここから文章のテンポがあがる。バリ山行そのもの、波多の刻々と変化する感情、そして妻鹿さんの常に曖昧さをはらみ、それでいてちょっとしたヒーローのような言動。感極まった波多は山行終盤に起こるハプニングを機に妻鹿さんを断罪するが、その怒りは、自分がやりたくてもできないことを飄々とやる妻鹿さんへの憧憬が裏返ったもの。波多の一人称で書かれているので、妻鹿さんの本心は分からないが、バリ山行はそういった感情を露わにしてしまうのだ。波多自身には見えていないが、私たち読者には解放感とともにその魅力が伝わってくる。
これこそ、山登りにおける魅力なのではないだろうか。無心で身体を動かすことで、考えるより先に感情が溢れ出てくること。だから私は登山が好きだし、本書がそれを証明してくれるように、文学的行為でもあるのではないかと思っている。
本の山
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